第84話 ままならない
「知らない」
眉をわずかに寄せたまま、ザフィルは答えた。
「光の神の大神殿の高司祭です。あなたの魔力を感じましたよ」
ヴェンツェルの言葉に、もう一度記憶を辿る。
ロランドという名は知らない。だが高司祭で、自分の魔力を残す者……。
「ああ、あれ……」
思い出した。
カルブが意識を潰した奴だ。
メイランとシルリネアを軟禁し、無益な尋問をし、メイランに殴り飛ばされて気絶した愚物。
「あれがどうかしたの」
感情の乗らない平板な声で、ザフィルがヴェンツェルに問いかけた。
「彼をどうしたのです」
「カルブが僕の魔力とあれを繋いだ。あれは僕の魔力に意識を喰い潰された。だから僕が、あれの脳から意識を作り直して動かした」
「カルブとは?」
「魔法生物。見たでしょう? メイランに消されたやつ」
「なるほど。では、なぜあなたは、ロランド高司祭をあのようにしているのですか?」
「あのように?」
今度はザフィルが問いかけ、ヴェンツェルが答える。
「ロランド高司祭は、驚くほど『普通』です。日々の務めをこなし、人々と会話をする。私が話しても、不自然さは感じない。ただ、あなたの魔力を感じるだけで」
ザフィルは淡々と言葉を紡いだ。
「あれが勝手に、持っている意識と記憶に従って動いているだけ。僕は何の指示もしていない。今は使い道もないから」
ヴェンツェルの真意を測るように、首を傾げる。
「邪魔なら始末するけど」
異常だ。シルリネアの話では、だいぶ人間的になったように思えたが。
寒気を覚えながら、ヴェンツェルはさらに問う。
「使い道のない者に、莫大な魔力を与え続けているのはなぜです?」
「どうでもいい量だ」
常人の魔力量であれば、1日分さえ賄えない。
それなのに、ザフィルは数か月間、維持し続けている。
ザフィルの魔力量が常軌を逸しているのは、わかっていたはずだ。しかしいざ眼前に出されると、畏怖する他ない。
「わかりました」
ヴェンツェルは合理性のみで判断することにした。
「ではロランド高司祭を、私の味方にすることはできますか?」
「どういうこと」
ザフィルが問い、ヴェンツェルは言葉を続ける。
「私たちは大聖堂で、シルリネアの異端および偽聖女認定の撤回を求めます。高司祭には列席の権利があります。ロランド高司祭にも列席していただき、我々の意見に同調してもらいたい」
「いいよ」
ザフィルはわずかに沈黙し、口を開いた。
「命令した。あれはあなたに協力する。好きに使って」
「助かります」
ヴェンツェルは微笑んだ。倫理的な問題は、論議する意味がない。
少なくとも、今は。
「結局、何の話だったんだ?」
事態を飲み込めていないメイランが、ザフィルに尋ねた。
「メイランがリュミエールで殴り倒した司祭の話」
メイランに答えるザフィルの空気が、大きく緩んだ。声が温かみを帯びる様子に、ヴェンツェルは驚愕する。
今までは、まったく温度のない平板な態度だったのに——。
メイランは記憶を探り、思い出したようだ。
「……ああ、あいつか。シルリネアに下手クソで失礼な尋問をしたやつ」
「そう。そいつ」
メイランが苦笑した。思い出して損をしたと言わんばかりに。
「じゃあ、どうでもいいや」
ザフィルの口の端がわずかに上がり、眉から力が抜けた。
「でしょう」
ヴェンツェルは、こんなに柔らかいザフィルを見たことがなかった。
******
ヴェンツェルが、ゲルハルトを見て微笑む。
「いかがです? 卿の目で見たザフィルは」
ゲルハルトは、苦々しく吐き捨てた。
「まったく情けない」
あまりにも嘆かわしく、取り返しのつかない事態だ。
「我が祖国は、このような子供さえまともに扱えなかったのか」
ザフィルは確かに、想像を絶するような力を持っているのかもしれない。それでも、目の前にいるザフィルは、ただの子供にしか見えなかった。たとえ見た目が何歳であろうとも。
一国が、ひとりの子供を扱いきれず、滅ぼされた。あまりにも救いようがない。
今、子供にしか見えないザフィルが、7年前にはどれぐらい幼かったのか。想像に難くない。
改めてザフィルを見る。15、6歳程の見た目だ。だが、中身はもっと幼い。せいぜい12、3歳ではないだろうか。
「国王陛下をはじめ、誰もがお前の才能に踊らされたということか……」
魔法王国を自負し、魔法に絶対の自信があったがゆえの——。
ゲルハルトは、ヴェンツェルを見返した。
「ヴェンツェル、そなたの意見と案に全面的に同意する」
「……ありがとうございます」
ヴェンツェルは一礼してから、ザフィルを見た。
「ということです。ザフィル、我々はシルリネアと大神殿の確執を解きます。これが、あなたを借りる条件です。いかがですか?」
「わかった」
ザフィルは魔法生物を作り出した。
カルブによく似た子犬の姿をしている。だが、痛々しく首に食い込んでいた真紅の首輪は、ついていなかった。
「これで連絡が取れる。持っていって」
子犬はトコトコ歩き、ヴェンツェルの横で座りこんだ。
ザフィルが言葉を足す。
「ただ、この先しばらく連絡が取れないと思う」
「わかりました。連絡が取れるようになったら教えてください」
ヴェンツェルの言葉にザフィルは小さく頷いた。
「じゃあ、さようなら」
ザフィルの言葉と共に、ヴェンツェルとゲルハルト、子犬型の魔法生物は姿を消した。
******
「おつかれ」
メイランが笑顔でザフィルの背を叩き、労った。
ザフィルは少し思案してから息を吐き、メイランを見る。
「そうだね、少し疲れたかもしれない」
「休憩する?」
メイランがザフィルとシルリネアに尋ねた。シルリネアは首を横に振る。
「私は大丈夫」
ザフィルはかすかに首を傾げた。自分の疲労状態を確認する。
「話してる間に、体は休めたみたいだ。行けるよ」
「じゃあ行くか」
メイランは笑って歩きはじめる。木の枝先で休んでいた小鳥の魔法生物も、先導を再開した。
日没前。洞窟の入口に到達できた。
「ここで今日は終わりだな。洞窟は明日にしよう」
メイランは洞窟を仰ぎ見た。思った以上に大きい。高さも幅も十分にあり、人々が道として使っていたというのも、頷ける。
「シルリネアは、この洞窟を使ったことねぇの?」
メイランが尋ねると、シルリネアは寂しく苦笑した。
「残念だけど。村の外には出たことがなかったから」
——ヴァルグリムに飛ばされるまでは。その言葉を飲み込む。
「そっか」
メイランは優しく微笑んだ。何も聞かれない。それが、シルリネアには嬉しかった。過去を思い出しすぎずに済むから。
「メイラン」
ザフィルに呼ばれ、メイランは振り返る。
「近くに川がある。あと、鹿がいる」
「お、助かる」
メイランは鹿を仕留めに行き、ザフィルは魔法を使って水を集めている。
シルリネアは、火をつけるための落ち葉や枯れ枝を拾い集めながら、暮れゆく空を見上げた。
懐かしい色をしている。洞窟を抜ければ、もっと懐かしいものが待っているだろう。
ずっと帰りたかった故郷。嬉しさと悲しさで、涙が出てきそうだ。
深呼吸をする。中央大陸よりも鋭く冷えた空気が、肺を満たした。その時、肺のあたりがズキリと傷んだ。
思わずしゃがみ込み、呼吸を整える。ザフィルを癒した時の反動が、まだ治りきっていない。ふとした時に、痛みが顔を覗かせる。
彼はどれだけ傷ついていたんだろう。メイランのように魔法が効かない体質でもないのに、これだけの反動がある。
どういう思いで、生きてきたのだろう。
シルリネアは嘆息して、踵を返した。そろそろ戻らなければ。この腕いっぱいに抱えた落ち葉と木の枝がないと、火を熾せない。
彼の中を断片的に「視た」。それだけで、あの衝撃と反動があった。
聖域では、一体何を「視る」ことになるのだろう。




