第83話 うちの弟
ザフィルが魔法を積極的に使いはじめた。
「このあたりは魔族がいないから」
そう言って、彼が言うところの「簡単な魔法」を使っている。
結果、ザフィルは手足をほとんど使わなくなった。元々手は使わないが、体を宙に浮かせて移動する。彼が作り出した小鳥のように。
メイランは何も言わなかったが、シルリネアが憤慨して苦情を出した。
「足で歩けないの?」
ザフィルは首を傾げた。どうして彼女が苛立っているのか、理解できない。
「なぜ足を使う必要が?」
足は遅いし、すぐに疲れる。転べば怪我をする。どう考えても、浮いて移動した方が良いと思える。
「あなたの触媒が、殺意や敵意を食べているって言ったはずだけど」
シルリネアの言葉に、ザフィルは小さく頷いた。シルリネアが信じられないとばかりに、呆れた表情をする。
「魔法を使う時に出る魔力も食べられてるかもって、考えたことないの?」
「考えたことがない」
「じゃあ考えてみて」
言われ、考えてみる。
触媒は何かを動力源にして維持されている。では何を使っているのか。当然、体内にあるものだ。
シルリネアは、殺意と敵意と共に、魔力を食べている——動力源にしていると、言っている。これはおそらく正しい。彼女は「視た」のだから。
だが、殺意と敵意だけでは、触媒の餌として不適切だ。なぜなら、定期的に供給されるとは限らないから。それに対して、魔力は日常的に使う。餌として適切なのはこっちだ。
殺意と敵意を抱かなくても、魔力を使えば触媒にも流れる。そう考えた方が自然だろう。殺意と敵意を抱くと「より強く流れる」ということだろうか。
体内に流れる魔力を詳細に探る。
認識阻害の魔法がかかっている辺りで、辿れなくなった。直前まで流れていたものが、ぶつりと途切れる。
「……なるほど」
ザフィルは地面に足をつけた。
「もう少し控える」
「そうして」
シルリネアが苦笑した。ザフィルは、納得できれば実に素直だ。
ふたりのやり取りを見て、メイランが笑う。
「じゃあ、ザフィルは体を使う訓練だな。俺の弟なんだから、やりゃあ何とかなるだろ」
「メイランは、自分が『やれば』魔法を使えるようになると思う?」
即座に言い返されて、メイランはもう一度笑った。
「確かに」
ザフィルとの対話が、日々円滑になっていく。メイランにはそれが嬉しかった。
******
リュミエール王国の大神殿。ヴェンツェルの私室。
「首尾はいかがです?」
彼はゲルハルトに、そう尋ねた。
白髪で隻腕の元騎士は、今なお矍鑠とした体躯で頷く。褪せた黄褐色の瞳も、未だ力強い。
「問題ない。ルイス騎士団長、アーロン、ギデオン、レナーテ。話せば気の良い若者たちだ。そちらは?」
「大司祭に面会する手筈は整いました。ただ、ひとつ気になることが」
ゲルハルトは無言で片眉をあげ、続きを促す。
「ロランドという名の高司祭なのですが……ザフィルの魔力を感じます」
「どういうことだ?」
ヴェンツェルは首を横に振った。
「わかりません。おそらくロランド高司祭の意識は、既にない。心臓も一度は止まったかもしれません。それをザフィルが無理やり動かしているのでしょう。私は理由に心当たりがないのですが、ゲルハルト卿はわかりますか?」
「……いや、思いつかないな」
「そうですか……」
やはりわからないか。ヴェンツェルが小さくため息をつく。
「本人に直接聞きましょうか……疲れるのですが、仕方ないですね」
手元にはザフィルの髪の毛がある。これを使えば、彼の居場所を追える。
「ザフィルと連絡を取るなら、私も同席できるか?」
ゲルハルトが尋ね、ヴェンツェルが頷いた。
「ええ、できますよ。何か聞きたいことが?」
ゲルハルトは少し考えてから、口を開く。
「聞きたいというより、直接確認したい。そなたの決断を信じぬのではないが、ザフィルが、罪一等を減ずるに足るのかを」
ゲルハルトは、ザフィルと直接会ったことがない。
ヴェンツェルのように直接ザフィルと対峙したわけでもない。
そのためか、ザフィルに対して直接的、感情的な怨恨は薄い。
だからこそ、知りたかった。ザフィルという仇敵が今、どのような状態なのかを。
「わかりました。今から始めてもいいですか?」
「頼む」
ヴェンツェルは頷き、ザフィルの髪の束からひとつまみほどの毛を取り、元の持ち主を探すための魔法を唱えはじめた。
せっかく覚えたので、魔力だけでなく魔素を取り入れてみよう。うまくいけば、通常よりも疲労が抑えられるはずだ。
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山登りは続く。
小鳥には、できるだけ楽な道を先導させている。
それでも、ザフィルには厳しい道のりだった。呼吸が速くなっているのに、まだ余裕の見えるシルリネアが信じられない。平坦な道と同様に歩くメイランなど、想像の遥か外だ。
迂回しきれない崖があれば、ザフィルは「合理的な理由」により宙に浮いて移動することができる。ついでにシルリネアも移動させてやれば、文句を言われることもない。
メイランは魔法が効かないので助けられないが、彼は崖の登り降りが楽しいようなので、気にする必要がなかった。
いっそすべて断崖絶壁であればいいのに。
そんなことを考えながら歩いていると、軽く引っ張られるような魔力を感じた。
「……うるさい……」
小さく呟く。ヴェンツェルに呼びかけられている。だが、応答する気になれない。
「どうした?」
メイランが問いかける。聞かれてしまった後ろめたさを感じつつ、ザフィルは答えた。
「ヴェンツェルが呼んでいる」
メイランが驚いて足を止めた。
「え、どうやって」
「髪。あれを手がかりに、探ってきた」
「へぇ、そんなことできるんだな」
メイランが感心した様子で言う。少し悔しくなって、ザフィルは思わず言い返した。
「僕は髪がなくてもできる」
叩きつけるようなザフィルの言葉に、メイランは目を見開き——笑った。
「そうだな。知ってるよ、悪かった」
メイランはザフィルを抱えこみ、頭をぐしゃぐしゃにかき回した。
じゃれついているメイランを見て、シルリネアは嘆息した。これじゃあメイランは本当に犬みたいだし、ザフィルは大きな犬に懐かれて困っている子供だ。
今は「猟犬」でも、次回青嵐に行ったら「愛玩犬」になりかねない。
見かねて助け舟を出す。
「ねえ、ヴェンツェルさんに応えてあげてよ」
「……わかった。メイラン、どいて」
ザフィルはどうにかメイランを押しのけ、距離を取ってからヴェンツェルの呼びかけに応じた。
彼は棒立ちになっているだけに見える。だが、ほどなくシルリネアとメイランに視線を向けた。
「ヴェンツェルとゲルハルト? を、連れてきていい? 話が終わったら戻す」
「別にいいけど……どうして?」
シルリネアが少し驚いて尋ねた。一体どうしたんだろう。
「わからない。ゲルハルトが会いたいらしい。メイランは連れていけないから、こっちに連れてくるしかない」
ザフィルの淡々とした声に、メイランは苦笑した。さっきの悔しそうな様子とはまったく違う。肩をすくめた。
「お互い荒事はナシ。それでいいなら、文句ねぇよ」
「わかった」
ザフィルはヴェンツェルとのやり取りを再開し、ややあって。
「メイランの条件でいいって。そこに呼ぶ」
ザフィルが一点を示した次の瞬間、ヴェンツェルとゲルハルトが姿を現した。
「こんにちは」
ヴェンツェルが笑顔で挨拶をした。ゲルハルトは目礼する。
「ザフィルに確認したいことがあるのと、皆さんの様子を直接見たくて」
「ずいぶん用事が多いんだな」
メイランが笑顔で進み出て、ゲルハルトとザフィルの間に立った。おもむろに、ゲルハルトに握手を差し出す。ゲルハルトに合わせて、左手で。
「お久しぶりです」
「ああ、壮健そうで何よりだ」
「そちらも」
社交辞令的な挨拶を交わし、メイランは一歩引いた。
「で、うちの弟に確認って、何?」
わずかな警戒心と牽制をこめたメイランの声に、ヴェンツェルは軽く苦笑した。
それぐらい慎重な方が望ましい。ヴェンツェルは微笑み、口を開いた。
「では私から。ザフィル、あなたはロランド高司祭を知っていますか?」
ザフィルの眉が、かすかに寄った。




