第82話 時を経て
「そういえばザフィル、あなた何歳ぐらいなの?」
ザフィルが山を探っているさなか、シルリネアが休憩しながら尋ねた。
ザフィルは魔法を途切れさせることなく、彼女と目を合わせることもなく、口を開いた。
「知らない」
にべもない返答だ。
でも悪意はない。シルリネアは、ザフィルのことがわかるようになってきていた。
ザフィルは自分の年齢を数える機会が、なかったのかもしれない。
シルリネアはザフィルへの質問を諦め、メイランを見た。
彼は軽く剣術の稽古をしていた。型をなぞって自由自在に動く体が、美しく感じる。彼の全身に宿る生命の息吹に、シルリネアは微笑んだ。
「じゃあメイランは? 何歳ぐらいなんだっけ」
確か黒嵐が、25だと言っていた気はするのだが。
「25か6ぐらい? よくわかんねぇんだよな」
体を動かしながら、メイランが答えた。
「生まれ年がわからないから?」
「そう」
メイランが肩をすくめた。
「ふぅん……」
シルリネアはメイランの姿を眺めた。彼の自認している年齢は、見た目に合致している。違和感はない。
「じゃあザフィルの年齢は、どれぐらいだと思う?」
「どれぐらいってそりゃあお前」
メイランは、今更何を言うのかと、笑い飛ばすつもりだった。そんなの、わかりきっているじゃないか。ザフィルは俺よりも少し年下で…………。
「……あれ?」
ザフィルの姿を改めて見てみると、明らかにおかしい。
稽古を中断した。
少し年下? 「だいぶ」年下に見える。19歳だというシルリネアと比べても、さらに年下だ。18歳の黒嵐と紅嵐さえ、下回るかもしれない。
となると、メイランとザフィルは10歳ぐらいの年齢差があることになる。
だがメイランの記憶は、その年齢差を否定する。ザフィルは、この愛すべき弟は、そこまで年齢が離れていない。どれだけ離れていたって、4歳差が限界だ。5歳以上はありえない。絶対に。
そういえばヴェンツェルが、そんなことを言っていた気がする。
ザフィルの外見年齢が、7年前からあまり変わっていない、と——。
今までまったく気にかけていなかったが、確かにおかしい。
******
気付いたら横にいた。
それがザフィルとの、一番最初の記憶だ。どれだけ記憶を掘り起こし、考えなおしても、その時のザフィルは2歳か3歳ぐらいだ。
10歳程度の年齢差があるなら、当時の自分は12歳前後。それぐらい年齢差があるなら、ザフィルの産まれた時だって、覚えていないとおかしい。
だがメイランに、その記憶はない。「最初から横にいた」ザフィルが2歳か3歳だという認識は、どうしても覆らない。
弟が危なっかしくバタバタと走り、転び、泣く姿を覚えている。
舌っ足らずに「にーちゃ、だっこ」とせがまれた時の声は、まだ耳の奥に残っている。
弟を抱きとめた時の、嬉しそうなキャーという歓声、続く笑い声、手足をやたらと動かす振動、その温かい重み……。
当時の自分はきっと、4歳か5歳ぐらいだ。
メイランは自分の年齢を25歳前後と自認している。なのになぜ、ザフィルは10代半ばのような見た目をしているのだろう。
時間が歪んでいる。
ゾッとした。冷水を背中に流しかけられたような気分だ。メイランは身震いする。
驚愕で固まっているメイランを見て、シルリネアはやっぱり、と小さく呟いた。
「ザフィルの身体年齢、止まっていそうね。ヴェンツェルさんもそんなこと言ってたし……どこまで止まっているのかな……」
外見の年齢だけが止まっているのだろうか。それとも、精神年齢も止まっているだろうか。
——あるいは、寿命さえ止まってしまったのだろうか。
******
シルリネアが、ザフィルの年齢について考えるようになったのは、彼の中を「視た」ことがきっかけだった。
彼の記憶の中にいたメイランは、幼かった。7、8歳ぐらいだろう。ザフィルとメイランの年齢差が見た目通りであるなら、メイランが7、8歳の時、ザフィルは産まれていたとしても、乳幼児のはずだ。
乳幼児は、あんな反応をしない、兄が酷い目に遭っているのを見て、兄の苦痛に怒りを覚えるだなんて。
ザフィルの記憶と、現在の見た目に整合性が取れない。
何かがおかしい。何かが歪んでいる。
だからシルリネアは、ザフィルの年齢を確かめる機会を待っていた。
「向こうで視る時に、わかるといいんだけど……」
シルリネアは、そびえたつ山を見た。その先にある故郷の姿が、彼女にはありありと見えている。
聖域に行く。そこで視る。その意志は変わらない。だが、どこまでわかるだろうか。なるべく考えないようにしていた不安が、頭をもたげてきた。
「わからなくていい」
ザフィルは静かに口を挟んだ。シルリネアとメイランが、ザフィルの方を向く。
「胸にある何かの正体が、ある程度確定できればそれでいい。それ以上のことは、求めない」
本当に触媒なのか。触媒だとしたら、外せるのか。外せないのであれば、どうすれば良いのか。触媒ではないのなら、何なのか。
ザフィルは、それがわかれば十分だった。年齢など、気にするだけ無駄だ。思い煩う必要を感じない。
「あのなぁ、ザフィル」
メイランが嘆息した。呼びかけに応じて、ザフィルがメイランを見つめる。
「俺は、気にすんの。お前が歪められてるのは、どうしたって許せねぇよ」
「でも、どうしようもない」
「それでもどうにかしてみようぜって、言ってんの」
わずかに怒気が混じった。苛立ちに任せて剣を一振りすると、風を切る鋭い音と共に、灌木の小枝が数本切り離された。
「あらゆる手を尽くした後に諦めるのは、仕方ねぇ。だが、何もする前から諦めるのは、俺の好みに合わねぇんだわ」
シルリネアは微笑んだ。義憤にメイランらしさが詰まっている。温かくて心地よく、優しい。それが嬉しかった。
「そうね、私もメイランに賛成。ザフィル、あなたは自分の身体と心を、もうちょっと大事にした方がいいと思う」
シルリネアが、悪戯っぽく笑う。
「あなたの命を救ったのは、私。私にあなたの命を助けてくれって頼んだのは、メイラン。ならあなたは、私とメイランの言うことを、もうちょっと素直に受け入れてくれてもいいんじゃない?」
とんでもない言い分だ。ザフィルは閉口した。
あまりに飛躍しすぎた理屈のせいで、一瞬思考が追いつかず、固まってしまう。
これが成り立つなら、どんなに無茶苦茶な話でも、成立してしまうではないか。
反論の言葉がいくつも頭に浮かぶ。
僕は頼んでいない。
救命と、今回言うことを聞くという問題の間には、何の関連性もない。
恩と報恩という対立概念は、理論的には成立しない。
命を救われたことを恩とした場合でも、その恩を返すのが今である必然性はない。
救命という大恩を、この程度のことで消費してしまって本当にいいのか——?
どれも筋の通った、正しい反論のはずだ。
しかし、あの酷すぎるこじつけの前には、どの反論も無力に思える。
勝ち目は、どこにもなさそうだった。
「……わかった。従う」
諦めて首を横に振った。彼らはどうして、こういう時に限って連帯してくるのだろう。
わっと歓声をあげ、頭上で互いの手を叩き合わせて喜ぶ二人を呆然と眺めているうちに、少し悔しい気がしてきた。
どこかで一矢報いることはできないだろうか。
その時、山肌全体に伸ばしていた探査の糸が反応した。
「見つけた」
洞窟だ。相当な奥行きがある。
洞窟の奥に糸を伸ばしながら、この場所からの経路を探る。
「案内する……あれについていって」
ザフィルは小鳥型の魔法生物を作り出し、先導させた。




