第81話 起源
ザフィルがシルリネアに顔を向け、目を合わせた。
「僕の短刀を持っているでしょう? あれはずっと効果があるから」
いつでも殺していい。ザフィルが言外に滲ませる。
「あの短刀は、僕の防御魔法をすべて無効化できる。あと、止血できなくなる。だから僕を殺せる……はずだったんだけど」
ザフィルが緩やかに首を傾げる。
「どうして血を止められたんだろう」
シルリネアは息を呑んだ。褪紅色の瞳が、暗く輝いている。何かを探し求めるかのように。
「……止血を許さない意思は感じた。だから、まっさきにそれを排除した」
慎重に言葉を選びながら、シルリネアは答える。
「どうやって」
「あなたから引き剥がした」
「引き剥がしたものは、どうしたの」
「どうしたって……」
考えたことがなかった。邪魔だったから排除した。それだけだ。
沈黙してしまったシルリネアを見て、ザフィルはメイランと視線を合わせる。
「彼女に怪我をさせない方がいいよ。怪我をしたら血が止まらない。どんなに小さな傷だとしても、死ぬまでずっと」
シルリネアの傍らにいたメイランが、眉をひそめた。
「どういうことだ?」
ザフィルが静かに口を開く。
「僕が自分の首を切った短刀と、シルリネアに渡した短刀には、止血を阻む呪いが付与してある。シルリネアは、その呪いを『引き剥がした』。浄化でも解除でも分解でもない。じゃあ、その呪いは今どこにあると思う?」
メイランの顔が強張った。
「シルリネアの魔法は強力だけど、術者を守る仕組みがひとつもない。だから、呪いをそのまま引き受けてしまうし、傷も跳ね返る。彼女の生命力そのものを、使っているのにね」
ザフィルがシルリネアと目を合わせる。
「シルリネア、あなたは知っていたでしょう」
シルリネアは渋面で嘆息する。
「私の癒しの魔法が、危険なものなのは知ってる。でも、あなたの短刀に呪いがかけられていたことと、その呪いが私にかかっていることは、知らなかった」
「そう」
ザフィルは少し考え事をする様子で黙り込み。やがて口を開いた。
「考えてみるよ。呪いを消す方法。あまり得意ではないけれど」
この呪いは強固だ。確実に自分を死に追いやるため、入念に組み上げた。
一朝一夕で片付く問題ではない。
もう一度、彼はシルリネアを見た。
「とりあえず、今の僕がシルリネアに渡せそうな未来は、これ。どう?」
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ここが限界だ。
そう思えるところまで、シドゥは調べ尽くした。
あの男とザフィルのかつての名前がわかった。
両親の名前もわかった。
子を手放し、ルハサーンに託した経緯も理解した。
「古神ダウル・マハ」
ルハサーン寺院で祀っていた神と、対立する神。
このダウル・マハの祭司が、ザフィルたちの親だった。
対立する神の寺院にわざわざ子を託した理由は——。
「加護の大きさに恐れをなした……」
我が子のためにと願い、得られた古神の加護は、人の手に余るものだった。
昼と夜、身体と魔力、生と死。
円環を成し、対になることで完成するよう、神によって「設計」された兄弟。
だがルハサーンで、その設計は崩壊した。
完成され、閉ざされていた円環が開いた。
「そこに介入したのが、アザルファ様……」
シドゥは歓喜に包まれる。鮮やかな手際に震えんばかりだ。
古神の加護を受けた子を、別の神に捧げる。
これほど痛快なこともないだろう。
******
中央大陸北端、ヴァルグリムを通過した。
荒れた海が眼下一面に広がっている。白い波濤がいくつも見えた。
「なるほどなぁ。中央大陸と北大陸で往来が少ないわけだ」
メイランが眼下の海と、少し先に見える北大陸を見比べて、そう言った。
北大陸の南岸は海岸線が高く切り立っている。船を降りるために崖登りを求められるような地形では、さすがに港を作ろうとは思わないだろう。
「でも、お前みたいに空を飛べれば、海が荒れてようが港がなかろうが、関係ないってことだな」
ザフィルを見て、メイランが笑った。
「そうでもない」
ザフィルが視線で前方を示す。小さな点が見えた。
「北大陸の上空には、竜がたくさんいるから」
指先ほどの大きさだった点は、大きく膨れ上がっていく。あっという間に、巨大な竜の姿と化した。
人間の数十倍はありそうな竜が、怒りを撒き散らしている。縄張りに入りこまれた苛立ちだろうか。
巨大な口から放たれた威嚇の咆哮で、全身が内側から振動した。
メイランが弓を構え、引き絞る。目に当てれば、退散してくれるだろうか。あるいはもう一度咆哮してくれれば、口の中に——。
ザフィルが静かに告げた。
「排除する」
感情を感じさせない声だった。
「殺さないで!」
シルリネアが叫ぶ。
ザフィルは、殺戮のために用意した魔法を中断した。
「どうしろと?」
「殺さなければ何でもいい。殺してはだめ。触媒があなたの殺意を待っている」
ザフィルは小さく嘆息し、殺意の塊と化している竜に向けて、認識阻害の魔法をかけた。竜は途端にこちらを見失い、まったく別の方角へと飛び去っていった。
「なぜわかる」
竜が見えなくなってから、ザフィルがシルリネアに問いかける。一体彼女は、どこまで「視た」のだろう。
「あの時、あなたの心に触れたから」
シルリネアは迷いなく答えた。
「あなたが殺意や破壊の衝動を覚えるたびに、魔力が触媒にも流れていると思う。あなたにとってはわずかな量だから、気付けていないのかも」
「…………」
ザフィルは沈黙してしまった。
なぜ気付けなかったのだろう。
なぜ彼女は気付けたのだろう。
彼女の魔法の起源は、いったいどこにあるのだろう。
あまりにも特殊だ。
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しばらくすると、巨大な環状の山脈が見えてきた。
「これがアルダル・サトゥ。魔族の古い言葉で『万象の背骨』。シルリネアの故郷は、この内側」
山脈を示してザフィルが言う。岩がちで、いかにも険しそうな山容だ。
「アルダル・サトゥの内側には、空にも侵入阻止結界が張られている。……壊しても?」
「だめ」
「じゃあ空の旅は、ここでおしまい」
シルリネアの有無を言わせぬ拒否に従って、ザフィルは小舟を山脈の外側に降ろした。
ひやりとした空気が、かすかに故郷の温度を伝える。それだけで、シルリネアは泣きそうになってしまう。
もう二度と、帰ってくることはないと思っていたのに。
帰るのであれば、ザフィルの死を手土産にするつもりだったのに。
そのザフィルの魔法で、帰ってきた。
何て皮肉なんだろう。自嘲を乗せて苦く笑った。
軽快に降り立ったメイランは、足元を確認するように数歩足踏みしてから、はるか高くまでそびえ立つ山を見上げる。
「これ、足で山を越えるしかないってことか。かなりキツそうだな」
自分だけなら問題ない。だが、シルリネアとザフィルは越えられるだろうか。見る限りでは、かなり険しい山だ。崖登りをする場面もあるだろう。
シルリネアが、メイランの横に寄ってきた。メイランは自然に彼女を迎え入れ、そっと肩を触れさせる。
「山の中腹に、向こう側に抜ける洞窟があるはずなの。村の人たちは、そこを使ってたから」
山を見上げながら、シルリネアが言った。メイランは苦笑する。
「中腹でもだいぶキツそうだけど。山脈越えよりはマシか」
「洞窟を探す」
人の侵入を阻むような山肌に、ザフィルは探査の糸を走らせた。




