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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第10章 帰郷は恋人と仇を誘って
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第79話 風のたより

 風が足元から強く吹きつけた。

 舟底がガタガタと激しく揺れた直後、小舟がふわりと浮き上がる。

「うわっ」

 メイランが転ばないよう自らしゃがむと、隣ではシルリネアが小さく悲鳴をあげて尻もちをついていた。メイランは彼女がこれ以上転がらないよう、腕を取って支えてやった。

「ありがとうメイラン」

 シルリネアが微笑む。メイランはその笑顔が眩しすぎて、一瞬ひるんでしまった。そのわずかな隙で、シルリネアの腕がするりと抜ける。

 慌てて掴み直そうとしたが、その手は虚しく空を切った。

 シルリネアが落ちると思ったその瞬間、見えざる手で彼女はしっかりと支えられた。

「気をつけて」

 ザフィルだ。彼は詠唱もなく、手を使うことさえなく舟と自身を浮かせて移動させ、さらに今はシルリネアを平然とやっている。

 ここまで多数のことを一度に行える魔法使いを、シルリネアもメイランも見たことがなかった。魔力の消耗も莫大なものになりそうだが、ザフィルは意に介する素振りすらない。

「ありがとう」

 シルリネアは、メイランに向けた笑顔よりもだいぶ硬い表情と声色で、ザフィルに礼を言った。

 ザフィルが協力的なのはわかっているが、シルリネアはまだ警戒を緩められない。我ながら執拗すぎる。だが、どうしようもなかった。

 憎悪の対象であった仇敵を大切な故郷に、それも聖域とされる場所へ連れて行こうとしているのだから、必要以上に気を張ってしまう。

「これぐらい、何でもない」

 ザフィルの声は平板で、抑揚がない。まるで人形のようだと、メイランは思った。

 やはりこの弟は、感情の多くが欠落している。


 ******


 空の旅は、慣れれば快適だった。

 小舟を支えている風は地面よりも柔らかく不安定だったが、メイランはすぐにその感触を楽しむ余裕ができた。

 立つことは難しいが、小舟のヘリまで這い進み、眼下の風景を楽しむ程度のことはできる。明日には、立ち上がって歩けるだろう。明後日は飛び跳ねられるかもしれない。

「すっげぇ」

 流れゆく景色は、メイランの心を浮き立たせた。「あの時」見た景色よりも、よほど面白い。高さも段違いだ。

 愉快な気分になって、ザフィルに声をかけた。

「なぁ、あそこが安洛城?」

「そう。……メイラン、しっかり掴まってて。あなたが落ちたら助けられない」

「わかってるって!」

 はしゃぐメイランに何を言っても無駄だと理解したザフィルは小さく嘆息し、シルリネアを見て、彼女に問う。

「舟の縁まで行きたい?」

 シルリネアは現在、ザフィルの魔力に支えられている。彼女が行きたいなら、落ちないように補助するつもりだ。

 しかしシルリネアは、首を横に振る。

「やめておく。あなたの負担になりたくない」

「負担じゃない」

「それでもやめておく」

 ザフィルは意味がわからなかったが、それ以上追求しないことにした。


 一方のシルリネアは、ザフィルの胸にある触媒について考えていた。

 あれが維持されるには、何か栄養源のようなものが必要に思える。

 もしザフィルの魔力で維持されているのなら……。魔力を浪費させるのは、望ましくないのかもしれない。

 しかしザフィルは、自身の持つ無尽蔵とも言えそうな魔力を、それこそ惜しげもなく使う。

 きっと彼は、魔力が枯渇するということを「体験として」知らない。だから、こんなに無頓着なのだろう。

「ねえ」

 シルリネアがザフィルに声をかけた。ザフィルが視線を向ける。

「ヴェンツェルさんと話がしたいんだけど。できる?」

 ザフィルは呼吸ひとつ分だけ考え。

「できる。メイランも一緒がいいなら、もう少し考える」

 そう答えた。シルリネアが頷く。

「ありがとう。私だけでいいんだけど、お願いできる?」

「わかった。舟を降ろす」

 降ろさなくても問題ないが、ふたりには休憩も必要だろう。

 ザフィルはメイランに一声かけてから、舟があっても不自然ではなさそうな川沿いを探した。


 ******


 ヴェンツェルは、忸怩たる思いでこの数日を過ごしていた。

 ——あなたの技術は素晴らしい。でも力が足りなかった。

 ザフィルの言葉が、頭にこびりついて離れない。

 力。つまり魔力と魔素(マナ)の総量が、魔法の威力が、ザフィルの魔力を止めるには至らなかったということだ。

 どうすれば勝てるのだろう。ヴェンツェルは考える。

 方向性は間違っていないはずだ。ザフィルの凄まじい魔力を潰すには、あれしかないと思う。それこそ、メイランのような特異体質の者を別にすれば。

 小手先のつまらない「工夫」が通用する相手ではない。

 どう考えても、扱える魔力と魔素の総量を上げるしかなさそうだ。少なくとも、ザフィルを上回る程度には。

「絶望的だな」

 ヴェンツェルはひとりごちた。彼の魔力量の上限さえ、読みきれていないというのに。


 残ったふたりは、シルリネアとメイランは、その後どうなっただろう。

 リュミエールの大神殿にあてがわれた自室で、ヴェンツェルが嘆息した時。

「ヴェンツェルさん」

 シルリネアの声が聞こえた。

 驚いて声のした方を見ると、シルリネアが立っていた。

「ご無事でよかったです」

 彼女が微笑んだ。顔色が優れない。これが癒しの魔法の反動というやつだろうか。

「どうやってここに……いや、ひとまずお座りなさい。顔色が悪い」

「ありがとうございます」

 ヴェンツェルが勧めた椅子に、シルリネアは大人しく座った。

「あなたこそ、無事で良かった。メイランも健勝ですか?」

 シルリネアは笑顔で頷いた後、少し困った様子で眉が寄せられる。

「ザフィルに送ってもらったんです」

 彼女がザフィルに送って「もらった」と言う。その事実に、ヴェンツェルは驚愕を禁じ得ない。

 シルリネアは苦笑した。

「あの後色々あって……それをお話ししにきたのと、あとは少しご相談が」

「わかりました。まずは話を聞きましょう」

 シルリネアは彼と離れてしまった後のことを話した。

 メイランのためにザフィルを救ったこと、ザフィルの胸に埋め込まれた何かのこと、ザフィルがそれを「触媒」と呼んだこと、魔族のこと、そして、故郷のこと。

 ヴェンツェルは、ひとつ大きくため息をついた。

 この数日で、大きな変化が起きている。起点はシルリネアだ。

 彼女の意思によって、世界が動いたと言ってもいい。

「なるほど。状況は理解しました。それで、私に相談したいこととは?」

 シルリネアはひとつ頷いて、話しはじめた。

「ヴェンツェルさんは、ザフィルの魔力が無限だと思いますか?」

「いいえ、有限でしょう。無限に見えても、どこかに限界があるはずです」

「ザフィルが触媒と呼ぶものについて、心当たりはありますか?」

「いいえ、残念ながら。ですが、ザフィルが考えるように神を降ろすためのものなのであれば、神に『これが供物である』と伝えるための、目印のようなものだろうとは思います」

「では、その『目印』をザフィルの体から取り除いた時、ザフィルに大きな影響はあると思いますか?」

「……難しいところですね」

 ヴェンツェルが眉をひそめる。

「たとえば、いきなり死ぬようなことはないでしょうが……。まったく影響がないとは言えないと思います」

「そうですか……ありがとうございます」

 シルリネアが頭を下げた。どうやら彼女は、触媒に関するヴェンツェルの——魔法使いとしての見解を聞きたかったようだ。

 ヴェンツェルは微笑んで頷き。

「その触媒の問題が片付いたら、ザフィルを貸してもらえませんか?」

 そう言った。

「彼を殺すつもりはありませんが、相応の報いを受けてもらう必要はあります」

「わかりました。言っておきます」

 シルリネアの即答に、ヴェンツェルは少し驚いた。

 この数日でザフィルへの復讐心を捨て、同情や救済の方向に向いたのかと思ったが、そうでもないようだ。触媒について尋ねたのも、ザフィルのためではなく「ザフィルのことを心配するメイランのため」なのだろう。

 であれば。

「シルリネア、ザフィルに伝えてください。その月白色の髪を、一房送るようにと。それを手土産にして、ザフィルは死んだと大神殿に伝えます」

 現状では、各国を糾合する大神殿とリュミエール王家の動きが邪魔だ。彼らを収めるためには、一芝居打たねばならないだろう。

「本当は首か、目玉あたりが欲しいところですが……」

 苦笑してから、言葉を続ける。

「あなたの話のザフィルは、自分の目玉ぐらい簡単にくり抜きそうですね。しかし、それを癒してつらい思いをするのはシルリネア、あなたでしょうから。やめておきます」

 ヴェンツェルは、悪戯っぽく笑った。

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