第77話 雨あがりの光
シルリネアが目を覚ました。
雨はすっかり上がっている。
シルリネアは、体が支障なく起こせるようになっていた。もう少し休めば、歩くぐらいはできそうだ。
余っていた麦粥を温めなおし、3人で分けて食べた。
昨日食べた時は水っぽかったのに、今回は煮詰まりすぎて、なんだかモッサリとしている。
さらには鍋をかき混ぜすぎたのか、鍋底の焦げが浮かんできていた。
「……ねえメイラン、美味しい?」
まだら模様の麦粥に手を出す勇気が持てず、シルリネアはメイランに尋ねた。
「うまいうまい。全然いけるって。な、ザフィル」
「温かければ、それでいい」
「お、いいね。温かいのは重要だ」
メイランは豪快に、ザフィルは少しずつ食べているが、ふたりとも食べる速度が落ちることはない。不味いものを、無理して食べている様子はなかった。
シルリネアは彼らの味覚を疑いかけ——メイランは「だいたい何でも食べる人」だったことを思い出してしまった。
ため息をつくしかない。
実は本当に美味しいという、万に一つ程度の確率を祈って、シルリネアが麦粥を口に運ぶと——。
「……じゃりじゃりしてモソモソする……」
どうしても食べられない程ではないが、喜んで口にできるものでもない。なんとも絶妙なバランスだった。食感は最悪だ。
ひっそりと首を横に振る。
できるだけ、料理は私が受け持たないとダメだ。自己防衛のためにも。シルリネアは密かに誓う。
癒しの魔法で動けなくなっている場合ではないかもしれない。
******
「ところでザフィル、お前、なんか好きな食いもんとかあるの?」
食事がひと段落したところで、片付けをしながらメイランが尋ねる。
ザフィルは首を横に振った。
「味がよくわからない。強いて言うなら、冷たいより温かい方がいいぐらい」
「へぇ」
さも当然のように受け流すメイランを、シルリネアは思わず凝視してしまった。こういう時に限って、お得意の察しの良さが機能していない。
へぇで済ます話なの、これ。
味覚がないってことなんじゃないの?
味がわからないと、毒物とか食べちゃうんじゃないの?
とんでもない話をしてると思うんだけど。
シルリネアは頭の中で立て続けに訴えたが、楽しそうに語らうメイランに水をさすのも気が引けて、口にするのはやめた。
もし私が「味がわからない」と言ったら、大騒ぎしそうなのに。どうしてザフィルに対しては、無条件で受容してしまうんだろう。
なんだかこの兄弟、ダメな部分ばかりがよく似ている気がする。
それにしても。
シルリネアはザフィルを見る。
彼はどれぐらいの感覚を失っているのだろう。
「視た」限り、痛覚がないか、極めて弱いのは確実だ。
加えて味覚もない。このふたつだけでも、かなりの喪失だと思う。
喜怒哀楽も薄そうだし、そもそも生への執着が希薄だ。自死を願う程度には。
魔法に関しては天才と言う他ないが、それ以外のものが犠牲になりすぎている。
自分も他人も——あるいは世界も——犠牲にしてまで、成すべきことなんて、果たしてあるのだろうか。
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メイランは出立の準備を整え、外の様子を確認する。
雨あがりの陽光が眩しくて、気持ちいい。
「これからどうすっかなぁ」
メイランの呑気な呟きに、シルリネアが渋面を作った。
「まだ何も終わってないでしょ。ザフィルの体を診るにはまだ何日かかかるし、ここの話もしないと」
シルリネアが胸のあたりを示す。ザフィルは小さく頷き、メイランは首を傾げた。
「あれ、メイランにまだ言ってなかったの。じゃあ話さなきゃ」
シルリネアは、ザフィルがとっくに話していると思っていたので、少し意外だった。全員が起きるまで話を待っているなんて、存外律儀なのかもしれない。
シルリネアはザフィルの体の中で見つけたもののことを話し、ザフィルが自分の予測を語った。
ザフィルの話はふたり想像を遥かに超えていたようで、シルリネアとメイランは頭を抱えてしまった。
「……とりあえず、ここではどうにもならないことだけは、わかった……」
シルリネアは唸るようなギザギザ声でぼやいてから、大きなため息をついた。先刻の問いへの答えらしきものが、早速出てしまった。
ザフィルの胸にある何かを確認するだけだとしても、どこかもっと、落ち着ける場所が必要だ。
「魔族なぁ……話に聞いたことはあったけど、実在するんだな。どうすりゃいいのか、さっぱりわからねぇ」
メイランにも妙案が浮かばない。
おとぎ話や神話の世界が、いきなり目の前に飛び出してきたような気分だ。問題の規模が大きすぎて、青嵐に甘える気さえ起こらない。
ザフィルは自分をこの場で殺し、捨て置けば解決するだろうと思う。
だが、このふたりが自分を生かしている意味や理由を考えると言い出せなくなり、沈黙するしかなかった。
この体を壊すのが、一番手っ取り早いはずだ。触媒ごと、消滅させてしまうのが。
シルリネアがため息をつく。
「安全で、魔族に見つかりにくい場所でしょ……?」
そんなところが、どこにあるのだろう。
「ちょっと整理してみようかな」
シルリネアは焚き火のために集めてあった小枝を取り、地面にガリガリと線を引きはじめた。
「まずザフィル」
ザフィル、と書く。
「人間の国はだいたいダメよね。あんなに派手に喧嘩売って回ったんだから」
メイランに聞きながら中央大陸にある国名を書いていき、すべてにバツ印をつけた。
「いきなり絞られすぎだなぁ」
メイランが苦笑した。当の本人は、無表情で地面の文字を眺めている。
「次は……私かな」
シルリネア、と書いた。
「リュミエールは完全にダメよね、どう考えても……」
リュミエールの文字に施されたザフィルのバツ印の横に、もうひとつバツ印を足した。
「相手が光の神の大神殿だから、光の神の神殿には一通り回状が届いてるかもな」
メイランに指摘され、シルリネアは嘆息しながらリュミエール以外の国にもバツ印を加えていった。
「あ、カル=ナハルとアズ=ハディールとエルデは光の神の力が少ねぇかな。あと天嶺も」
メイランの再指摘により、4国はバツ印ふたつから、バツ印ひとつと三角印ひとつに修正される。
「……こんなもの? あとはメイラン」
ザフィルの下にシルリネアと書いたので、その下にメイランと書こうとして——ザフィルの上に書くことにした。つまらない文字の羅列だが、ここだけでも近くに置いてやろう。兄弟の位置関係で。
「メイランは特に思いつかないけど」
シルリネアが考えこむと、メイランは苦笑した。
「いやぁ、ダメだと思うぜ俺。リュミエールの追っ手を始末したの、だいたい俺だし。光の神殿まわりは全滅だろ」
「つまり、私と同じってことね」
シルリネアは苦笑する。国名の横に、印を足していく。
「ヴェンツェルさんはリュミエールにいるのよね?」
シルリネアの問いかけに、ザフィルは頷くことで応じた。
「じゃあ接触しにくい……ということで……」
ヴェンツェル、と書いて三角印をつけた。彼は、ある程度協力してくれそうではあるが。
結果は見えているが、シルリネアはもうひとつだけ、メイランに尋ねた。
「青嵐は……」
「ダメ」
「知ってた」
シルリネアは青嵐と書き足してから、大きなバツ印を念入りにつけた。
「こんなものかなぁ」
一通り書き上げたものを見下ろすと……マル印がひとつもない。
「こりゃやべぇな」
メイランが笑った。笑うしかなかった。
シルリネアも枝を放り出し、ため息をつく。
ザフィルは沈黙したままだ。
外は明るいのに、洞穴の中は重苦しい。
全員が押し黙って、しばらく経った後。
「……あ」
シルリネアが声をあげた。
「もしかしたら、いけるかも」
森を渡る風と湖から流れるせせらぎの音が、シルリネアの脳裏に響いた。




