第76話 破壊者の恐怖
ザフィルは警戒網の精度を慎重に高め、魔族の様子を詳しく観察した。
「信者ども」
アザルファの下についていた連中であることを、ザフィルは確信する。
触媒の反応を探しに来たのだろうか。自分が追われていると見て良さそうだ。
殺すことは容易だ。
では、どうやって殺すべきか。
虚無の力は、使わない方がいいのかもしれない。不確定要素が多すぎる。
シルリネアの見立てを待つべきだろう。
ならば、こうする。
ザフィルは魔族どもがいるあたり一帯の、魔力網の性質を変えた。
探査ではなく、殺戮へ。
網の密度を一気にあげて、布状にした。絹よりもしなやかで、鉄よりもはるかに頑丈な魔力を作り出し、包み込んだ。
終わりだ。いかなる声も外界に届かず、よってメイランたちを起こすこともないだろう。
魔族どもは閉じ込められ、混乱している。いつも狩る側だったはずが、今は狩られる側に回っていることに、まだ気付いてない。
容赦なく布を引き絞り、厚さを増して圧殺した。
他愛のない。
魔族だった物質を、さらに圧縮しながら考える。
こいつらは、どこに捨てればいいだろう。
今までは虚無の力を使い、跡形もなく消せば良かったのだが。
虚無の力がないと、ゴミ捨てに困るというのは、さすがに想定外だ。
いずれにせよ、ここと関連付けられない場所に捨てたい。しばらく悩んだ末、アザルファの屋敷に放り込むことにした。あそこは廃墟になって久しいはずだ。
ゴミを屋敷の奥深くに転移させ、捨てた瞬間。
今度こそ、ザフィルは最大級の悪寒に襲われた。
アザルファの冷たい手で首の根を掴まれ、優しく手を握られる錯覚に陥る。
呼吸が荒くなる。反射的に痛みを遮断する。
視野が狭くなった。汗が止まらない。
あいつは殺したはずだ。
徹底的かつ確実に、入念に殺した。
この屋敷は間違いなく、廃墟なのに。
どうしてこれほど、あいつの魔力に満ちているのか。
早くこの場から戻れと、脳のどこかで誰かが叫ぶ。誰だろう、わからない。
うるさい、わかっている、叫ぶな、黙れ。
しかし、動けなかった。
どうしよう。戻れない。困惑していると。
「おい、大丈夫か」
急に肩を揺すられて、外に伸ばしていた魔力がすべて千切れた。身体感覚が戻ってきて、湿った土と枯れ葉の匂いが、ザフィルの鼻をくすぐった。
メイランだ。心配そうな顔で、こちらを見ている。
ザフィルはほっとため息をつき、手を伸ばしてメイランの頬に触れた。
自分の指は骨に皮膚を貼り付けただけのような姿で、相変わらず歪んで醜い。
でもメイランは温かかった。その温度が、冷え切った心を溶かしていく。
メイランは醜い指で触れられたことなど気にしない様子で、ザフィルの手を自身の手で覆ってくれた。
アザルファの冷たい手が、途端に霧散した。
「大丈夫か?」
メイランが重ねて問う。
「顔色が悪い」
「……大丈夫。昔の夢を見ていただけ」
震える手をメイランに預けたまま、ザフィルは深呼吸した。
「後で、話すよ」
何をどこまで話せばいいのか、わからない。それでも何かを聞いてほしかった。
「いつでも聞かせてくれ。待ってるから」
メイランは微笑んでそっとザフィルの手を離し、彼に毛布をかけた。その毛布に自身も潜り込む。窮屈だが、どこか懐かしい。
「俺は目が覚めたから、お前は寝てもいいし。暇なら何か話でもしようか」
シルリネアの睡眠を妨げない小さな声。
内緒話の雰囲気で、メイランはザフィルに笑いかけた。
******
メイランはザフィルが話しやすくなるよう、自分の話をした。
最初は滑稽な失敗談を選んだ。誰もが笑うような、バカげた話を。
ザフィルに笑ってほしい。そうでなくとも、心が軽くなればいい。そう願いながら語る。
だが、彼の失敗するシーンになると、ザフィルは決まって眉をひそめた。
だから、楽しい成功体験に変えた。
すると、弟の表情が少し和らいだ。
表情を見ながら、メイランは話す内容を調整していく。
そうやって話しているうちに、だんだんザフィルの好む話がわかってきた。
ザフィルは、メイランのかっこいい話が聞きたいようだった。
自分の活躍する話をかっこよく話すのは、なかなか気恥ずかしくて苦労する。
それでもメイランは苦心しつつ話を盛って、やや大袈裟に話してやった。
退治した化物は一回り以上大きくなり、魔物に吐き出された毒液は、コップ1杯分から大鍋1杯分になった。普通の剣を持った敵は、身の丈よりなお大きな剣を持つに至った。
ザフィルは表情の変化こそ乏しいものの、目を輝かせてそれらの話を聞いていた。
——なんだ、青嵐の弟妹とあまり変わらないじゃないか。
その事実が、メイランの心を温めた。
そのうち、ザフィルがぽつりぽつりと話しだす。
「僕はアザルファという魔族に拾われて、魔力の使い方を教わった。それが魔法の『師匠』」
ザフィルは節くれだった両手を出して、それを眺めた。相変わらず醜くて、不恰好に思える。
ふと、手指を覆っている歪さが、直っていることに気付いた。
シルリネアの治癒だろうか。
歪みの取れた手を改めて見てみると、少しだけメイランの手と似ているように思えた。
とすると、もしかしたらこれは、醜くも不恰好でもないのかもしれない。
不思議と浮き立ちそうな心を抑えて、言葉を続ける。
「この手は何度も壊された。そのたびに、繋ぎ直した。繋ぐとまた、壊された」
メイランが息を呑む。平板な言葉の裏に潜む、地獄を垣間見たような気がした。
「お前が手を使わねぇのって……」
手を使う必要がないから、ではなく——。
メイランの声が震える。
震えの理由が怒りなのか悲しみなのか、それとも別の感情なのか、よくわからない。
「かもね」
ザフィルは嘆息して、手をしまった。
歪みが直っても、やはり、長時間見ていたいものではない。
「どうでもいい」
メイランが毛布の上から、ザフィルの手に触れた。少し荒っぽいのに、なぜか温かい。
「どうでもいいことねぇだろ、そいつマジで許せねぇな」
「殺したから、もうどうでもいい」
「だーかーら、俺が、どうでもよくねぇって、言ってんの」
メイランはごく軽く、ザフィルの頭を小突いた。
小突かれるとは思っていなかった。
不本意ではあったが、ごくわずかに熱を持った小さな場所は、不思議と心地良い。
冷たい手で優しく触られるよりも、ずっと良かった。
話が逸れたことに気付き、ザフィルは話題を戻そうと試みる。
「そうじゃなくて、僕が言いたいのは……この体を繋ぐ方法が、僕の直し方だということ。魔力で穴を塞いだり、体を繋いだり、折れた骨の代用にしたりする。数日程度なら、血の代用もできる」
メイランは絶句した。そんな治癒魔法は、聞いたことがない。シルリネアの治癒も彼女にしかできないことだと思っていたが、ザフィルはそれ以上だ。
壊れた人形を繕うかのような話は、ある種の嫌悪感さえ抱かせる。ザフィルがその歪な能力と技術を磨かざるを得ない状況に追い込まれていたことは、さらに苦しかった。
言葉を失うメイランを見て、ザフィルは小さく嘆息した。できることの説明をしたいだけなのに、なぜかメイランに辛い思いをさせてしまうらしい。噛み合わない。
せめて、メイランの半分ぐらい、上手く話せればいいのに。
とはいえ今すぐ解決できることではなさそうだったので、今回は結論を急ぐことにした。
話せば話すほど困らせてしまうなら、余計なことは言わない方がいい。
「……だから、僕の方法だとメイランには効かないだろうけど、他の誰かになら使える時もあると思う。シルリネアとかね。一応言っておくと、神由来の治癒魔法は使えないし、神には近寄りたくもない」
自分の中に潜んでいるモノを意識しながら、ザフィルは言った。
触媒のあるあたりが、何かを呼ぶように脈動したような気がした。




