第74話 幸せを守る
メイランはいつにも増して饒舌だった。
好きなだけ質問してと言ったくせに、あなたが全部聞かせてるんだけど。
シルリネアは苦笑する。
こちらが話す暇を与えてくれない。
彼は、ザフィルがどれだけ大切で可愛かったのかを熱弁した。子供らしい他愛のないものから聞くのが少しつらい話まで、一緒にいたすべての日を覚えているのではと思わせるような、無数の思い出が語られる。
ザフィルは当初、やや所在なさげな様子で、それでも耳を傾けていた。だが今はもう聞きたくないとばかりに、抱えた膝の間に顔を伏せていた。
このまま嵐が過ぎ去るのを、待つつもりだろうか。
弟との思い出話が終わると、シルリネアのことに話題が移った。メイランは彼女の優しさと芯の強さを何度も何度も褒め称え、頑固なところをほんの少しだけ非難した。
話題が一通り終わったかと思ったら、また同じ話をしはじめる。シルリネアはメイランが酒でも飲んだのかと訝しんだが、どこにも酒なんてなかった。
ザフィルは膝の間に耳まで埋めてしまった。
「メイラン、話しすぎ」
シルリネアはゆっくり上体を起こし、苦笑しながら軽く嗜めてみたが、メイランは笑うだけで止めようとしない。
「俺、今、本当に幸せでさ。だって、シルリネアもザフィルもいて、殺し合わなくて良くて。なあ、こんなこと、俺に都合良すぎて怖いぐらいなんだよ!」
泣きそうな顔で、それでもメイランは幸せだと笑った。
******
「話すだけ話して寝ちゃうんだから」
シルリネアは呆れ顔で、しかし最大限の親しみをこめて、眠ってしまったメイランを眺めた。
きっとこの数日、ほとんど寝ていなかったのだろう。よく見ればあちこち泥だらけで、雨の中を何度も外に出ていた様子がうかがえた。
「ねえ」
シルリネアがザフィルに呼びかけた。ザフィルはゆっくりと顔をあげて、シルリネアと目を合わせる。
「なに」
「メイランに毛布かけてあげてよ。私、あんまり動けないから」
シルリネアが話し終わるよりも先に、ザフィルは自分が羽織っていた毛布をふわりと浮かせ、メイランの体を丁寧に包んだ。
ただ離し難くて持っていただけだ。メイランを温めるためなら、惜しくもなんともない。
ついでに焚き火の勢いを強め、洞穴の中に積まれていた小枝を何本か火の中に放り込んだ。
シルリネアには、火は勝手に燃え上がり、小枝は宙を舞って焚き火に投じられたように見えた。
すべてザフィルが、魔法を使ってやったことだ。
わかってはいても、驚きを禁じ得ない。
「本当に体を動かさない……」
ザフィルが指一本さえ動かさないので、シルリネアは目を丸くした。
ザフィルは何も言わない。彼にとっては当たり前すぎて、答えるに及ばないことだった。
それに彼女には「視られて」いるから、どうにも居心地が悪い。
そんなザフィルの内心を知っているのかどうか。シルリネアは彼に向けて少し微笑んだ。
「ありがとう。あなたがいてくれて良かった」
「なぜ」
「私が動けない時、あなたならメイランを助けてくれるだろうって、わかったから」
ザフィルは困惑する。
彼女にとって、自分は殺しても飽き足らない相手であるはずなのに。どうしてそんなことが言えるのだろう。
困り果てた様子で固まってしまったザフィルを見て、シルリネアは思わず苦笑してしまった。
「安心して。私、まだ憎んでいるから。あなたのしたことは許されることじゃないって、今でも思ってる。隙があれば殺すかもしれない。でも今は一時休戦、メイランの幸せを壊したくない」
「……わかった」
ザフィルは数歩歩き、シルリネアの近くで腰を下ろした。
何も話さない。しかし、緊張感は漂っていなかった。
雨はだいぶ弱まっている。そろそろやむだろうか。
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「ねえ」
しばらくして、シルリネアがふたたびザフィルに声をかけた。
ザフィルは顔をあげて、シルリネアが続きを話すのを待つ。
「あなたの体の中、このあたり」
自分の胸のあたりをぐるりと指で示して、シルリネアは言葉を続けた。
「何かあるんだけど、気付いてる?」
暗い寒気がザフィルを包んだ。そんなものは知らない。
魔力の糸を自分の内部に向け、全身をくまなく探る。何も見つからない。
……いや、これは……。
シルリネアが示したあたりの探査だけ、うまくいかない。なぜか意識から滑り落ちてしまい、探ることのできない場所がある。
「やっぱり」
深刻な様子で黙り込むザフィルを見て、シルリネアは嘆息した。
「かなり精密で強固な魔法の守りがかかってるんだけど……こう言えば、見つけられる?」
ザフィルはもう一度、探査を試みる。今度は魔力の糸を何倍にも増やして糸同士を撚り集め、編み込み、布のようにして、問題のあるあたりを広く包みこんでみた。
「見つけた」
確かに、そこには何かあった。
入念な魔法防壁に守られた何かが。
シルリネアが小さく頷いた。
「それ、ものすごく嫌な気配がする。私の体調が良くなったら、もう一度詳しく診せてもらえる?」
ザフィルはほとんど無意識で頷いた。どうして見つけられなかったのか、理解できなかった。見つけてしまえば、こんなにも存在感があるのに。
シルリネアが微笑む。
「良かった。私が動けるようになるまで、手をつけないで。多分、あなただけで何かしようとすると、失敗するから。そういうふうに出来ているモノだと思う」
「……わかった」
頷く以外、どのような選択肢があったというのか。
自分の中にあるものへの不快感と、シルリネアだけが発見できたという事実への驚きで、気分が悪くなりそうだ。
******
「どうして、そこまでする?」
しばらくして心を落ち着けたザフィルが、絞り出すような声で尋ねる。
「僕の体がどうなろうと、君には関係ないはずだ」
シルリネアは寂しく苦笑した。幸せだった村での生活が、優しい人たちが、脳裏を駆け巡る。あの生活はもうない。あの人たちも存在しない。
「一時休戦って言ったでしょ。もう一度はっきり言うけど、あなたのやったことは許せない。きっと一生許せないと思う」
当然だ、とザフィルは心の中で応える。
「でも……」
シルリネアに、復讐を誓ったときの怒りと悲しみ、憎しみが襲いかかってきた。何もできなかった無力感が、心が潰れんばかりに締め付けてくる。
次いで浮かんできたのは、ザフィルの「中」。苦痛に溺れ、もがき、それでも救われなかった少年への同情は、今でも変わらない。
メイランは救われた。
ザフィルは救われなかった。
その差は——。
自分の気持ちを再認識してから、シルリネアは決然と口を開いた。
「私、手が届きそうなところにいる人が苦しんでいるのを見逃すと、すごく気分が悪くなるの」
それだけ言い残して、シルリネアは眠ってしまった。毛布を引き上げ、横になって軽く体を丸める。
少しでも早く回復するための、断固たる睡眠だった。
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メイランに続いてシルリネアまで眠ってしまい、ザフィルだけが起きていた。
弱くて穏やかな雨音が、かすかに聞こえてくる。
ふたりとも不用心すぎる。
ザフィルは警戒と監視の魔力網を慎重に張り巡らせた。
眠りを妨げないよう、彼らを避けつつ徐々に広げ、浸透させていく。
雨粒、樹木、虫、小動物、そして人間……。
魔力の網にかかる様々な感触を確かめる。
人間に関しては、こちらに寄ってこないよう、意識を逸らしてやった。
意識を逸らされた人間は、何かを思い出した様子で別の方向へと足を向ける。
逸らす。そう、これだ。自分の体内にある何かは、この手法の延長線上にあるはずだ。
おそらく相当洗練された、限りなく頂点に近い隠蔽魔法の技術。
脳裏に、冷たい手をした魔族の姿が浮かんだ。
こいつしかいない。
殺したのに、どこまでも不快な奴。
屈服させて引きちぎり、踏み潰してやった姿を思い出す。そして、そこに至るまでの日々を。
その中に、正体を掴むための手がかりがあると思えた。
ザフィルは暗い憤りを抑えながら、自分の過去を一枚ずつ剥がしはじめた。




