第71話 再会
パチパチと小さな破裂音が聞こえる。
何の音だろう。不規則な、しかし優しい音。
何かが身体を包んでいる。こんなに安心できる温もりは、久しく感じていなかった。
そうか、僕は眠っているのか。
では起きなければ……。
……なぜ起きる必要が? こんなに心地良いのに?
このままでいいじゃないか、放っておいてくれ。
まだ眠っていたい。
このまま死んだって、構わない…………。
******
ザフィルが重い目を無理矢理こじ開けると、石と土と木の根が入り混じった、ゴツゴツした不規則な天井が見えた。
夢うつつに聞こえていた破裂音の方を見れば、小さな焚き火があった。
火の上には小鍋が渡され、湯が沸いているようだ。
湯気と煙の先には、屋外への開口部がうっすらと見える。
どうやらここは、小さな洞穴らしい。外から雨音が聞こえる。
どうなっているのか理解が追いつかないでいると、小さな風で煙がかき乱され、人影が見えた。
メイラン。
見間違えようもない。
彼は焚き火と洞穴の入り口の間で、木の枝を指の間に挟みつつ、うつらうつらと微睡んでいた。
そうか、メイランに生かされたのか。
ザフィルは無意識に思考する。
あの短刀には、止血できない呪いを付与していたのに、どうやったのだろう……。
身じろぎをして横を向くと、そこには眠る誰かがいた。
毛布に包まれたシルリネアだ。血の気の見えない蒼白な顔色で眠っている。
理解した。
彼女だ。彼女しかあり得ない。
呪いさえ奪う程の、癒しの使い手なのか。驚異的な能力だ。
しかし、なぜシルリネアは自分に癒しを与えたのだろう。さっぱりわからない。
メイランの口添えだろうか。それでも彼女が動く理由には、ならないように思える。
ザフィルはふと、自分の状態に気付いた。
思考が妙に冴えている。長い間、重苦しい霞がかかったような状態だったのに。
何が起こったのだろう。
わからないことだらけだ。
「んー……」
不意にメイランの声がした。反射的にそちらを向くと、彼の褐色の瞳が見えた。
ふたりの視線が合う。
メイランのぼんやりした目が、大きく見開かれた。
「! おま、ぇ……っ!」
メイランは叫びかけて、慌てて口を押さえる。シルリネアの眠りに配慮しているようだ。
彼は何度も念入りに深呼吸をしてから、慎重にゆっくりと、ザフィルに近寄る。
気付けばザフィルもシルリネアと同様に、毛布で厳重に巻かれていた。
メイランはザフィルの横にきてしゃがみ、そっと彼の頬に触れる。
温かい。
頬から顎先へ、そして頭、耳、また頬……。メイランの手が、震えながらザフィルの輪郭をなでる。
まるで壊れ物を扱うような、丁寧で慎重な触れ方だった。ザフィルには慣れない感触だったが、悪くないと思える。
メイランの指が余韻をひいて離れた。指から泥と枯れ葉の残り香が漂う。
「メイラ……」
ザフィルがそっと声をかけようとした瞬間、メイランに強く抱きしめられた。
空気が胸の奥から無理矢理絞り出される。顔が頑丈な革鎧に押し付けられて、皮革の持つ生々しい匂いと、メイラン自身の煙った匂いが鼻をつく。
骨が折れんばかりの圧力に呼吸さえ難しくなってきて、ザフィルはあえいだ。
「くる、し……」
あまりにも滑稽だ。
死ぬために、自ら首を掻き切ったはずなのに。
今は生きようと空気を求めている。
メイランはザフィルの様子に気付き、慌てて力を緩めた。
「悪い、嬉しくてつい……怪我してねぇか?」
「……大丈夫」
「なら良かった」
メイランは名残惜しげにザフィルを解放し、照れくさそうに笑った。
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「あいつが、お前の命を救ってくれたんだ」
弱くなっていた火を掻き立てながら、メイランはまだ眠っているシルリネアを見た。
「わかっている」
ザフィルは上体を起こして座り、小さく丸まって首から下を毛布で覆った。毛布は必要なかったが、温かくて心地よく、手放し難い。
「もう3日近く眠り続けてる」
不安を隠しきれないメイランの声に誘われるように、ザフィルはシルリネアを見た。相変わらず顔は蒼白で、まるで死体のようだ。
ただ胸の上下だけが、彼女の生命が尽きていないことを示していた。
ふと、視界の端に異物が見えた。黄金色をした魔力の糸が、ザフィルの首とシルリネアの指先を繋いでいる。
見られた。悪寒が一瞬でザフィルの全身を駆け巡る。
慌てて糸を断ち切った。
気分が悪い。
動悸がひどい。野ネズミよりも早く脈打っていそうだ。
「……どうした?」
メイランが問いかける。彼には糸が見えていない。ザフィルでさえ気付くのが遅れたぐらい、か細い魔力の糸だ。おそらく大半の人には見えない。
魔力の届かない体質を持つメイランは、さらに無理だろう。
落ち着くために少し時間を置いてから、ザフィルは答える。メイランはその間ずっと、彼の返答を待っていた。
「僕に流されていた魔力を切った。消耗は止まったから、しばらく待てば目覚めると思う」
「まだ癒していたのか……」
メイランが絶句する。意識を失ってなお癒し続けるシルリネアの覚悟を、過小評価していた。
あまりにも気安く頼みすぎてしまった。後悔が牙を剥いて襲いかかる。
一方のザフィルは、彼女の魔法原理を読み解いていた。
「この魔法、あまり使わせない方がいい。メイランが、彼女に長生きしてほしいと望むなら」
極めて原始的な魔法だ。
痛みを受け止めて同調し、包み込んで癒す。同調を核として起動している。
痛みを受け止めきれなければ、術者が死ぬしかない。自殺行為にも等しい理屈の魔法を使い続け、よく今まで生きていたものだと思う。
「知ってる。でも止められねぇんだよ、こいつはさ」
メイランが渋面を作ってぼやいた。しかし言葉の奥には、敬意と優しい眼差しが宿る。
「そう」
ザフィルはそれ以上追求せず、洞穴の外を見やった。
雨はまだ降り続いている。
やむまでは、この小さくて心地の良い隠れ家に、居続けられるだろうか。




