第7話 旅立ちの悲喜劇
シルリネアは、鳩の鳴き交わす声で目を覚ました。
リンジーが、穏やかな寝息を立てて眠っている。
彼を起こさないよう、シルリネアはそっと寝床を抜け出し、階下に向かう。
昨日、ファランとメイランにはかなり世話になったので、朝食の手伝いぐらいはしたかった。
1階ではメイランが毛布に包まり、扉に寄りかかって眠っていた。側には、剣が立てかけてある。ずっと警戒していたのだろうか。
一方のファランは、既に目を覚ましていた。テーブルを片付け、暖炉に火をおこして鍋をかけ、湯を沸かしているようだった。
朝食の用意をしているのだろうと察しをつけたシルリネアは、ファランのもとに駆け寄った。
「おはようございます。手伝わせてもらえませんか?」
「もう起きたの? 寝てていいのに」
ファランは、優しくシルリネアに笑いかけた。
「でも起きたなら、手伝ってもらおうかな。床を水拭きしてくれない? 子供に汚い場所で食事させる訳にはいかないからね。井戸は外、そこにいる奴を蹴り飛ばして、連れて行っていいよ」
掃除用の桶とモップをシルリネアに手渡しながら、ファランは眠っているメイランを示す。
「……わかりました」
シルリネアは苦笑した。なんとなく、ファランとメイランの今までの関係が、透けて見えた気がする。
「メイラン、起きて」
シルリネアはしゃがみこんで、メイランの肩を揺すった。
メイランが、重そうなまぶたを持ち上げる。褐色の瞳がシルリネアの薄荷色の瞳とぶつかり、メイランの目がまん丸に見開かれた。
彼はとっさに毛布を跳ねのけ、剣を握る。その直後に、相手が敵ではないことを理解したらしい。メイランの体から力が抜ける。
「……びっくりした。シルリネアか、おはよう」
シルリネアはメイランの動きに驚いたが、努めて穏やかに、メイランに語りかけた。
「おはよう、メイラン。井戸に行きたいんだけど、付き合ってくれる?」
「もちろん」
メイランはニッコリと笑って立ち上がり、自然な動作で扉を開けた。桶を持ち、二人は家の外に出ていく。
ファランはそんな二人の様子を見て、吹き出してしまった。
「あいつ、あんなに惚れっぽかったっけ? 昨日会ったばかりだって、言ってたのに」
彼女の呟きを聞く者は、誰もいなかった。
******
掃除を終えて朝食を用意し、リンジーを起こして食卓を囲んだ。
食事はスープに麦を入れて麦粥風に仕立てた簡素なものだったが、心尽くしの温かい味がした。昨日は硬い表情だったリンジーも、遠慮がちな笑顔を見せるようになってきた。
食事の後、リンジーには2階をまるごと与えた。ファランは鳩に触れるなときつく言い渡したが、それ以外は自由にさせている。
「あの子は、照弟に連れて行ってもらうことにしたよ」
2階の足音を楽しそうに聞きながら、ファランが言った。
「照弟?」
シルリネアが、聞いたことのない単語に首を傾げた。
「俺らの弟。ショウランが名前。照弟は、愛称みたいなもんかな」
「そうなんだ」
メイランの説明に、シルリネアはひとまず頷いた。
きっと彼らは、実の姉弟ではないのだろう。ファランとメイランは、外見がまったく似ていない。だからきっと、ショウランという人も、似ていないと思う。
だが、仲は良さそうだ。彼らの名前の末尾が全員ランで揃えられているのも、微笑ましい。
「照弟が安全なところまで連れて行ってくれる。そこから先は、あの子の適性次第だ」
ファランがゆったりと微笑んだ。
「あんたにも、教えておかないとと思ってね。元凶はシルリネア、あんただって聞いたから」
「お手間をかけてしまって、すみません。でも、我慢できなくて……」
シルリネアは、あの行動を正しいことだと、今でも思っている。しかし、そのせいでメイランとファラン、さらにはまだ見ぬショウランという人物にまで負担をかけてしまっているのは、さすがに申し訳ない気持ちが勝る。
ファランは恐縮するシルリネアを見て、大きく笑った。
「気にしないで。メイランという大事な弟に頼まれたんだから、協力するのは当然。シルリネア、あんたがメイランの旅の仲間なら、私たちにとっても仲間だ。歓迎するよ」
面白いものも見せてもらえたしね、とファランは声に出さず付け足した。
「……ありがとう、ございます」
シルリネアは彼らの絆と、かつての日々を重ね合わせて、少し悲しくなった。
しかし今は、その悲しさを力にしないといけない。テーブルの下で拳をぐっと握りしめ、太ももに爪を立てた。痛みが、彼女に復讐の気持ちを思い起こさせる。
シルリネアの様子を見て、メイランが口を開く。
「姐、木剣ないかな。シルリネア、剣術やってみないか? 俺が教えてやるから」
「あるよ、ちょっと待ってな」
ファランが席を立ち、物置きらしき部屋に消えていった。それを見送ってから、メイランは言葉を足す。
「仇討ちするなら、どうしたって武力は必要だろ。自衛のためにも、ある程度覚えた方がいいと思う。どう?」
シルリネアは突然のことに戸惑った。しかし、メイランの言う通りだ。武器のひとつも使えないで、何ができるというのだろう。
だから、シルリネアは頷いた。
「そうね……。お願いできる?」
「もちろん。とりあえず剣術やってみて、合わなそうなら別のやつも試そう」
メイランが、嬉しそうに笑った。対するシルリネアは、やや不思議そうな表情をしている。
「……剣術以外も、できるの?」
「まあ一通りは?」
すごい。シルリネアは目を見開いた。エルッキ隊長だって、剣と槍しかできなかった。武器がふたつもできるのは達人の証だと、村人たちは言っていた。
きっとメイランは、それ以上の達人なんだ。
「体を使うことに関しては、こいつに任せておけばいいよ。ほら、木剣。大小あったから、両方あげる」
ファランは、長剣と短剣を模した木剣を1つずつ持って戻ってきて、シルリネアに手渡した。
「ありがとうございます……」
手に取ると、予想よりもズシリと重い。きっと本物は、さらに重いのだろう。
しかし命の重さと比べると、異常に軽いとも思えた。こんな木剣でさえ、命を奪うことはできる。
「よし、時間を見つけて訓練しような」
メイランは楽しそうに、シルリネアに笑いかけた。
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木剣を受け取ってから程なく、扉が派手な音と共に開いた。ノックのひとつもない。
シルリネアは驚いて肩をすくめた。メイランとファランは予期していたのか、涼しい顔をしている。
「きたきた」
ファランが微笑むと同時に、声の主が姿を現した。
「梅兄、梅哥!」
扉の音に負けない大声をあげながら、男性が嬉しそうに飛び込んできた。
金髪に近い栗色の髪が無秩序に跳ねており、灰色の瞳は生気に満ちている。
年齢は20歳を過ぎたぐらいだろうか。シルリネアと同年代か、やや年上に思えた。
「ようショウラン、元気そうだな」
メイランが、やってきた青年に笑いかける。彼がショウランのようだ。
「梅哥、会いたかったー!」
ショウランはメイランのもとに駆け寄り、メイランの両手を握って、満面の笑顔でブンブンと上下に振り回す。
メイランは苦笑しつつ、なすがままにさせていた。ショウランの行動を愛すべきものとして、受け入れている。
「ショウランお前、俺の新しい友人に挨拶もなしか?」
メイランに軽く嗜められて、ショウランはやっと我に返った。メイランの手を離し、シルリネアに向き直った。背筋を伸ばし、如才ない笑顔を作る。
「はじめまして、ショウランです。梅哥の弟です。お名前を伺えますか」
シルリネアは、目の前で起きたことが信じられなかった。さっきまで、メイランに甘えていた青年とは思えないような変化だ。これが彼らの礼儀作法なのだろうか。
「シルリネア、です。メイランと旅をすることに、なりました……」
面くらいながら、シルリネアはショウランに挨拶を返した。完全に雰囲気に流されている。
ファランはその様子を、笑いを噛み殺しながら眺めていた。
やがて、ファランはそろそろ介入すべきだと判断した。パンと手を叩き、全員の視線を自分に向けさせる。
「さあ、感動の挨拶はそこまで。照弟、『お客』は2階だよ、用意しな。梅弟とシルリネアは、もうお行き。あんたらが喧嘩した連中が、ここに来ちまうかもしれない」
ファランの一声で、全員が動き始める。メイランは立ち上がり、ショウランは指で丸を作って了解の意を示してから、2階へ向かった。
「ショウランまたな。俺らは十王国方面に南下するから。ほら行こう、シルリネア」
メイランが外へ出ようとするので、シルリネアも慌てて後を追った。
「お、お世話になりました!」
シルリネアは、ファランとショウランに忙しなく頭を下げてから、外に出る。
外にはメイランがいて、シルリネアのことを待っていた。
「これからよろしくな」
「こちらこそよろしく、メイラン」
優しく微笑むメイランに、シルリネアも笑いかけた。
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「さて、これからどこに行くかだけど」
歩きながら、メイランがのんびりと言う。
「南西に、十王国ってところがあるんだ。ヴァルグリムより魔法が盛んらしいし、魔法使いを探すなら、まずはそこかな」
十王国。シルリネアの聞いたことのない国名だ。やっぱりここは、中央大陸なんだ。北大陸ではなく。
改めて実感しつつ、自分が何を持っているのかを確認すると……。
「あ……」
シルリネアは唐突に、途方に暮れて立ち尽くす。
「どうした?」
メイランが立ち止まり、こちらを見た。
「あの、ね……」
すごく言いにくい。だが、言わないといけない。
「お金、私、全然持ってないみたい……」
メイランが目を丸くする。恥ずかしい。顔が赤くなっていくことを、シルリネアは自覚する。
「お金だけじゃなくて、この服以外、何も持ってない、みたい……」
村ではお金を使う機会がほとんどない。だからシルリネアには、持ち歩く習慣がなかった。
メイランの驚いた顔が徐々に緩み——ついに彼は大笑いをした。
「あっはっはっは! なんだよ、金持ってねぇの?」
「うん……」
消え入りそうな声のシルリネアに対して、メイランはさらに笑う。
「いやぁ、最高最高。いいよ、しばらくは俺が全部出すから」
「ごめん、なさい……」
一緒に旅をさせろと言ったくせに、所持金がまったくないだなんて。我ながら酷い話だ。メイランは怒ってもいいはずなのに、なぜか笑っている。
「途中で稼ぎながら、十王国に行こう。急ぐ旅でもないだろ?」
「……はい……」
そもそもシルリネアには、旅をしながら稼ぐ方法さえわからない。
当分の間、メイランに頼りっきりの生活になりそうだ。
大笑いするメイランの横で、シルリネアは心苦しく、憂鬱だった。




