第6話 姐
招き入れられた家の中には、居心地の良い雑然さがあった。
程よく清潔で、程よく生活感がある。
テーブルの上には帳簿らしきものが広がり、飲みさしのカップが置かれ、椅子は立ち上がった時に動かされたまま、中途半端な位置にある。
2階からは、鳩の声が聞こえてきた。おそらく伝書鳩だろう。
少し懐かしくなり、メイランは微笑んだ。
「姐、開けてくれてありがとう。頼みがあるんだ」
「その子だろ?」
姐と呼ばれた女性は艶やかに微笑んで、メイランの連れてきた少年を見る。
「昔のお前みたいな顔をしてる。不安そうで、どうしていいのかわからない顔だ。放っておけなかったんだろ? いいよ、預かろう」
「…………さすが」
メイランが肩をすくめ、苦笑した。気風と察しの良い姐には、いつも頭が上がらない。
彼女はメイランに悠然と笑い返してから、少年に優しく語りかける。
「私はファラン。少年、名前を教えてくれる?」
「リンジー……です」
ファランと名乗った女性は満足げな様子で、優艶に微笑んだ。
「いい子だ。教えてくれてありがとう。……リンジーは、あんたより見どころがあるね」
「そりゃあね」
メイランは苦笑するしかなかった。彼はファランと出会った頃、口がきけなかった。相手になるはずがない。
「姐、できればさらに1人、俺の連れ合いも今日だけ、置かせてほしいんだけど」
「あんたはどうするの、梅弟」
「俺はどうとでもなるから」
何でもないような顔で、メイランはしれっと笑う。ファランは呆れ顔で彼に近寄った。間髪入れず、後頭部をピシリと叩く。
「あんたもおいで。何人でも変わらないんだから」
少々乱暴だが、ファランの愛情を感じる。メイランは叩かれた場所を軽く押さえつつ、嬉しくて思わず笑ってしまった。
「わかった、ありがとう。じゃ、連れてくるから」
「照弟に連絡出しておくから。あいつにも会ってやりな」
「りょーかい」
ファランの声を背中で受けつつ、メイランは家を出た。シルリネアを案内するために。
ファランはメイランの背中を見送り、ため息をついた。
ヴァルグリムにいるなら、もっと私たちを頼ればいいのに。
そうでなくとも、青嵐の人員は各地を飛び回っている場合が多い。どの地域でも、探せば誰かしらいるだろう。全員メイランのことを知っていて、手助けしたいと思っているに違いない。
なぜならメイランは昔から、体を使うことに関しては天才的で、目立つ存在だったから。
それなのにあいつは、変な気を回して頼ろうとしない。
もう抜けた身だから。そう言って、メイランは笑うのだろう。
こっちはもっと世話を焼いてあげたいんだけどね。
ファランは苦笑して、家の扉を閉めた。
******
シルリネアをファランのもとに案内する頃には、すっかり夜になっていた。
ファランに彼女を紹介すると、ファランは片眉を跳ね上げつつ、じっくりとシルリネアを観察していた。
「あの、なにか……」
シルリネアが困惑した様子で、ファランに話しかける。
ファランは肩をすくめてから、優しい姉の眼差しで微笑んだ。
「……いや。ごめんね不躾で。2階に部屋を用意したから、ゆっくりしていって。リンジーと同室で、申し訳ないけど」
「いえ、十分です。ありがとうございます」
シルリネアは一礼し、2階へと去っていった。程なく、シルリネアとリンジーの語らう声が聞こえてくる。
「連れ合い……ねぇ。梅弟、あんた使う言葉間違ってない?」
シルリネアを見送ったファランは、苦笑しつつメイランに語りかけた。
「あれ、そう?」
メイランは、テーブルの端から帳簿を引っ張り出して、眺めていた。
彼は、文字と計算があまり得意ではない。単語の意味と数字の増減はわかる。しかし、この帳簿の必要性や、売買の記録を科目で分類することの意味が、さっぱり理解できない。
「連れ合いっていうのは、恋人や夫婦が相手に対して使う言葉。あの子、そういうんじゃないだろ?」
「あ、マジで? やべ」
「気をつけな」
ファランは嘆息した。メイランは相変わらず、語彙に不安があるようだ。
語彙だけではない。彼は、抽象的な概念を扱うことが昔から苦手だった。
だが。
「いつもありがとう。姐がいれば安心だ」
メイランには、素直さと愛嬌がある。これさえあれば、どこでも通用するだろう。
別れた後にメイランがどう過ごしてきたのか、それとなく察することができた。
ファランはひとつ深呼吸して、自分の腰に手をかけた。帳簿をめくるメイランに近寄る。
「……で、その帳簿の何がわからなかったの」
「ああ、ええっと……」
ファランは、メイランに悟られない程度に微笑んだ。帳簿を肴に話をするというのは、だいぶおかしな話だ。
しかしこのまま夜っぴいて色々な話をするのも、悪くはない。
******
「ヴァルグリムで何を仕入れたの」
メイランが、ファランに尋ねる。
蝋燭一本だけを灯し、ふたりは酒を酌み交わしていた。
シルリネアとリンジーは、既に眠っている。
「色々だよ。強い酒、このあたりでしか捕れない魚の塩漬け、毛皮、木材、織物、亜麻。だいたいそんなところ」
「へぇ。そんなのが売れるんだ」
ファランが微笑む。
「毛皮と酒の一部はうちへの土産。他は照弟と手分けして、売りながら帰るの。帰る頃には、ほとんど金か銀に化けるさ」
「なるほどなぁ」
メイランが感心しながら、木の実をつまんだ。
ファランは片肘をつき、メイランをしげしげと眺める。
「あんた、弟を探しに出てから何年になるんだっけ?」
「7年かな」
「手がかりは?」
「さっぱり」
ファランは苦笑した。
「……見つかるといいね」
メイランが微笑む。
「ありがとう。死ぬまでに会えるといいんだけど」
「そうだね」
死ぬまでに。現実的だ。ファランは嘆息した。
夢を見すぎていない。希望と願望はあるにしても。これが彼のすごいところであり、物寂しいところでもあると思う。
盃に残っていた酒を飲み干し、木の実を一掴み口に放り込んでから、メイランは立ち上がった。
「ごちそうさま。俺、そろそろ寝るよ」
メイランは自分の荷物から毛布を取り出し、身体に巻き付けてから入口の扉に寄りかかった。
剣を横に立てかけ、床に座って目を閉じる。
すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。ファランが呆れ顔で軽く笑う。
「……相変わらず」
番犬みたいだ。メイランは昔からそうだった。
一度眠ると、多少小突いても起きないくせに、敵意や害意を感じると即座に跳ね起きる。さらに、床で眠るのは落ち着くなどとうそぶく。
ファランは卓上を簡単に片付けてから、自身も眠るために部屋へ戻った。




