第64話 招待
シルリネアが、符を床に置く。
メイランが万一に備えて剣を持ち、符とシルリネアの間に立つ。
準備が整ったことを確認してから、シルリネアが合言葉を口にした。
符が光を発する。
光は上方に伸びてゆき、半球を形成した。
「お招きに与りました」
半球から、穏やかな男性の声が聞こえた。
「ヴェンツェルさん!」
シルリネアが驚いて大きな声を出す。
やがて半球の光が徐々に薄れ——ヴェンツェルが姿を現した。
メイランは、ひとまず剣を腰に収める。
「お二方とも、お久しぶりです。お元気そうでよかった」
ヴェンツェルが微笑んだ。
「ヴェンツェルさんも……!」
シルリネアが嬉しそうに微笑み、メイランは苦笑する。
「転移符ですか……うちの符術使いが悔しがりそうだ」
黒嵐の顔を想像した。彼が未だ作れない転移符を、ヴェンツェルは使いこなしている。
黒嵐も優秀だが、魔法王国の宮廷魔術師は別格ということだろう。
「お互いに込み入った状況のようですから、直接話した方が早いと思いまして」
「確かに」
ヴェンツェルの言葉に、メイランは頷いた。
ここで情報交換ができるのは、ありがたい。
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「なるほど……」
お互いの状況と情報を交換した後、ヴェンツェルは考えた。
予想をはるかに超えて、このふたりは対ザフィルの重要人物だ。そして、ザフィルが己の死を望んでいるのなら、もしかしたら。
「私の手に入れた『沈黙の書』も、ザフィルがもたらしたのかもしれませんね」
魔法を受け付けないメイランに、自身を殺させると宣言させ、シルリネアには、ザフィルを殺せるという短刀を与える。そしてヴェンツェルには、ザフィルの魔力を封じることのできる魔法を渡す。
三重の策だ。ザフィルが、彼自身を死に追いやるための。どれかひとつが機能すれば良いようにできている。あるいは、もっと重層的に策を巡らせているかもしれない。
ザフィルは、いつから死を望んでいたのだろう。一体、どれだけの時間をかけて——。
ザフィルがその罪の報いを受けるべきだという思いは、変わらない。
だがその方法を彼の死とするのは、果たして妥当なのだろうか。
死を望む者に死を与える。これで、罪の報いを受けさせることになるのだろうか。
再考の余地はありそうだが……。
首を振り、考えを切り替えた。
「そちらの準備は、いつ頃終わりそうですか」
武具を仕立てていると聞いた。それが終わる頃が、彼らの出発の時だろう。
「明日……は無理か。明後日か明々後日か、それぐらいですかね」
メイランが答えた。今朝岩嵐と、最後の打ち合わせをしてきた。満足のいくものが仕上がるだろう。
ヴェンツェルが微笑む。
「敬語は不要です。余計な気遣いはしないことにしましょう。メイラン」
メイランが笑った。
「わかった。でも、そっちがまだ敬語だけど」
「これは口癖です。あなたもそのように、シルリネア」
「……わかり、ました。話しやすいようにします」
すぐに対応したメイランに比べて、シルリネアの口調は固い。だがいずれ、彼女の柔らかい口調を聞けるようになるだろう。ヴェンツェルは急かさず見守ることにした。
「では、3日後あたりが出発ですか」
ヴェンツェルの問いに、メイランは頷いた。
さらに問う。
「ここから石哭谷までの距離は?」
「5日ぐらい。最寄りの村からは1日」
「なるほど。人里からそれぐらい離れていれば、他者に影響を及ぼすことも考えにくい……」
計画性の高さが見て取れる。
「不思議だ……」
ヴェンツェルが呟く。
「なぜ今回は、ここまで人の命に配慮しているのか」
生命を奪うことに躊躇のない人物なのに。
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人の命に配慮している……ザフィルが?
シルリネアには、にわかに信じがたい話だった。ただの偶然ではないだろうか。
生命を塵にするような奴なのに。
でも確かに、ザフィルはあの時言っていた。
——ここでやると、あなたの大切なものを壊してしまうでしょう。
「メイランを尊重している……?」
そういうことだろうか。青嵐を壊さないために? あんな奴が、今更……?
メイランが顔を強張らせた。
「どういうことですか」
ヴェンツェルが問いかけ、シルリネアは静かに首を横に振った。
「わかりません。でも、あいつはここを壊さなかった。青嵐の人たちを殺さなかった。メイランの大切なものを壊すことを、避けているみたいだった……」
なぜなのかは、わからない。ただ……。
「あいつが本当に、どうしても確実に、メイランに自分を殺してほしいのなら。青嵐を壊すことは……すごく、有効だと、思います……」
青嵐は、メイランの大切な場所だから。そこを壊されたら、彼の嘆きと怒りはいかばかりだろう。
「……そうだな……」
メイランが肯定した。様々な感情を抑えつけたような、低い声で。
ヴェンツェルはメイランを気遣う視線を送ってから、頷いた。
「なるほど。ザフィルにはもう、感情などないのかと思っていましたが……かすかな感情、あるいは執着のようなものが、残っているのかもしれませんね」
合理だけで動いているのではなさそうだ。メイランの大切なものを避けるザフィルは、矛盾を抱えている。
あの大魔法使いにも、付け入る隙がありそうだ。
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「だいぶ光明が見えてきましたね」
ヴェンツェルが重苦しい空気を払うように、微笑んだ。
「やはり直接話すと早い」
足元を見る。転移符は跡形もなく消えていた。元々使い捨てのつもりで作ったものなので、当然だ。
「あ、そうだ。ヴェンツェルさん」
シルリネアが呼びかける。
「何でしょう?」
「もし良ければ、明日、黒嵐と紅嵐を見てもらえませんか? 黒嵐は符術の使い手なので、ヴェンツェルさんに彼の符を見てほしくて。紅嵐は戦士ですが、魔力があるんです。彼女が魔法を使えるようになれそうか、見てもらえると嬉しいのですが」
ヴェンツェルは苦笑した。一旦戻ろうと思っていたが、戻らない方がよさそうだ。後事をゲルハルトに任せておいてよかった。
「……わかりました。今晩の寝床をお借りしても?」
「あ、はい、そうですね……いいわよね、メイラン?」
「ああ、構わねぇけど……俺の部屋とベッドでいいなら貸すよ」
シルリネアのベッドを貸すわけにはいかないので、メイランは自分のものを渡すことにした。ヴェンツェルも察するものがあったのか、軽く笑って頷いた。
「では、ありがたく。メイランのベッドをお借りします」
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夜。
ヴェンツェルは既に眠っている。シルリネアも自室に戻った。
メイランは毛布を体に巻き付けて、食卓横の床で眠ろうと寝転がる。どこでも眠れるのは、彼の特技だ。
目を閉じて程なく、シルリネアの部屋の扉がそっと開かれた。燭台をまだ消していないのか、部屋の奥がかすかに明るい。
「眠れない?」
暗闇の中、小声でメイランが尋ねると、シルリネアの影がもそりと動いた。頷いたのだろうとあたりをつける。
「何か話でもする?」
上体を起こし、シルリネアの腕を掴んで自分の前に引き寄せた。
シルリネアはしゃがみこみ、メイランの腕にそっと触れて……おもむろに立ち上がり、メイランを引っ張った。
「え、なになに」
メイランの腕を引っ張って、シルリネアは自室に向かう。自室にメイランを入れてから、音を立てないよう慎重に、扉を閉めた。
「どうしたの」
メイランが微笑む。燭台の薄明かりに照らされたシルリネアは、いつもと違う雰囲気をまとっていた。愛らしさはそのままに、蠱惑的な陰影が足されている。
「あそこで寝たら、寒いでしょ。だから……」
頬を赤らめて、シルリネアが言う。
「ベッド、半分、貸してあげようかなって……」
「え」
メイランが固まった。さすがにそれはまずい。
「いや、えーっと、ちょっと待って……」
嫌ではない。むしろ歓迎したい。だが、どう考えてもよくない。
それでいて、シルリネアの誘いを断るのも良心が咎める。
「……わかった。シルリネア、とりあえず横になんなよ」
メイランの言葉に従って、シルリネアがベッドに横たわった。
「もうちょっと奥」
シルリネアをベッドの端まで追いやってから、彼女の体に毛布をかける。厳重に。
「メイラン?」
不思議そうに問いかけてくるシルリネアの声を無視して、メイランは自分の体にも別の毛布を巻き付け——ベッドに横たわった。シルリネアとは反対側の端で。
「おやすみ」
一方的に挨拶をして、シルリネアを見ないように目を閉じた。
こういう時は、さっさと眠ってしまうに限る。
あまり遠くない場所から、嘆息とも含み笑いとも取れる音が聞こえた。




