第63話 名前
紅嵐と黒嵐に付き添われて、シルリネアは帰路を辿る。
「そういえば、影嵐さんは次子だって言ってたけど、どういう順番なの?」
今まで気にしていなかったが、聞くと気になってしまう。紅嵐が得意げに笑った。
「上から順に華姐、影兄、梅兄、月姐、照兄、私、黒嵐」
黒嵐が頷く。
「下にまだ何人かいる。あと、俺と紅嵐は同い年だけど、紅嵐の方が来るのが早かったから、紅嵐が姉で、俺が弟。年齢は上から30、28、25、22、21、18、18」
「へぇ……」
「湖姐は梅兄の大切な人だから、ここに並べるなら、梅兄と月姐の間かな」
紅嵐の言葉に、シルリネアの頬が赤くなる。なんで今更恥ずかしくなるのだろう。ここに来てからずっと、そういう立場なのに。
どうにか思考を切り替えようと、青嵐の兄弟姉妹たちの並び順を復習する。華、影、梅、月、照、紅、黒……。
「あれ?」
シルリネアはひとつのことに気付いた。
「なんだかメイランだけ、妙に身近でハッキリした名前なのね」
梅以外は、手に取れないものの名前に思えた。
紅嵐と黒嵐が示し合わせたかのように、ニヤリと笑う。
「さすが湖姐、いいところに気付く」
「親父がさ、梅兄だけは仮名のつもりで名付けたみたい。梅の花の季節に出会ったから梅嵐。他の名前は、親父がその人を見た時の印象らしいけど」
「俺は影兄が連れてきたから黒。紅嵐は梅兄が連れてきたから、紅梅の紅」
「あ、親父からは一応、この名前でいいか聞かれたよ。元の名前でもいいって言われたけど、今のところ全員、親父のくれた名前にしてるみたい」
黄嵐の人柄がしのばれる話だ。知らず微笑みがもれる。
「そうなんだ……」
それにしても、どうしてメイランだけ仮名だったんだろう。シルリネアは、後で彼に聞いてみようと思った。
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「それはさ、親父に拾われた時、俺が喋れなかったから」
メイランが帰ってきてすぐに質問をぶつけたら、そんな答えが返ってきた。
しかも、やけに気楽な調子で。
「え、喋れないって……どうして……?」
声が出ない、ではなく「喋れない」。驚くシルリネアを見て、メイランが笑う。
「親父が診せてくれた医者は確か、心の傷が大きすぎて喋れない、みたいなこと言ってたかな。その後、数か月ぐらいで喋れるようになったし、今はこの通りだし」
確かにシルリネアは、メイランが発話に困っているところを見たことがない。だから、何の問題もなく回復したのだろう。
「親父はさ、俺が喋れなくて名前について聞けなかったから、ひとまずの呼び名のつもりだったんじゃねぇかな。ただ残念ながら、喋れるようになった頃には、俺が元の名前を忘れててさぁ」
メイランは笑い飛ばしているが、シルリネアは呆然とする他なかった。
「だからそのままメイラン。その音で呼ばれることに俺も慣れてたし、あそこで呼ばれてた名前を思い出そうと頑張るのも嫌だったし……なに、その顔」
メイランが苦笑しながら、シルリネアの顔を覗き込む。
「バカな奴だって笑ってよ。俺、シルリネアの笑顔が見たいんだけど」
「あ、ごめんなさい……びっくりしちゃって……」
どう反応すればいいのだろう。シルリネアは途方に暮れる。メイランは笑ってほしいと言うが、笑うのも違う気がする。
メイランが困り笑いを浮かべた。
「まぁいいか。笑顔じゃなくてもシルリネアはシルリネアだし。それで十分だな」
メイランは薄荷色の瞳をみつめて、また笑う。
シルリネアはぎこちなく、それでもふわりと微笑んだ。
「ありがとうメイラン、生きていてくれて」
以前にも言った言葉を、もう一度口にした。これからは何度でも言おうと思う。シルリネアはメイランを抱きしめた。彼の鼓動を聞くために。
「うん……」
メイランもシルリネアの背中に腕を回し、抱きしめかけて——優しく背中をさすった。
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シルリネアが風呂を使っている間、メイランは何度も水を飲み、深呼吸を繰り返したが、どうにも落ち着かない。
仕方がないのでシルリネアに声をかけ、外に出て剣術の稽古をすることにした。
余計なものを切り払うかのように、剣を振る。
できれば影兄に、思い切り叩きのめしてもらいたい。
それぐらいしないと、シルリネアとの関係を「次」に進めたくなってしまう。
それはさすがに無責任すぎる。いつまで生きていられるか、わからないのに。
剣術の型を何度も何度も繰り返し、頭を空にしていく。この感覚が好きだ。不要なものが、すべて削ぎ落とされた気分になれるから。
この後、水浴びでもすれば、もっと楽になれるだろうか。
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シドゥは、ルハサーンの街中にあった書庫を開いた。
神殿の書類の写しを収めてあった場所だ。神殿は消えてしまったが、ここはどうやら、ザフィルに見逃されていたようだ。
17年前は、ザフィルといえど所詮子供だ。書庫の存在を知らなかったのだろう。
書庫は扉が歪んでいたものの、中身は無事のようだった。財宝がないので、略奪の対象にさえならなかったのだろう。
だが、今のシドゥには宝の山に見える。
ここに、ザフィルとあの男の過去が、きっとある。
時を待つ間に、調べてみるのも悪くないだろう。
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メイランがずぶ濡れで帰ってきたので、シルリネアはびっくりしてしまった。
「どうしたの」
長手拭を渡しながら、メイランに尋ねる。
「汗が酷かったから、井戸で水かぶってきた」
メイランは、からりと笑ってそう答えた。
「そう……」
釈然としないものを感じた。きっとメイランは、本質を隠している。
だから、シルリネアは微笑んだ。
「そういうことにしてあげる」
メイランの笑顔がひきつる。
「いや嘘じゃないって」
「知ってる。だから、信じてあげるって言ってるのよ」
慌てるメイランに、笑顔を返した。
「それより、ヴェンツェルさんから返事がきたの。一緒に読みましょ」
封書を切ると、手紙が数枚入っていた。
丁寧に書かれた文字が、ヴェンツェルの人柄を偲ばせる。
手紙は、ふたりが無事であることを喜ぶ文章から始まっていた。
読み進めていくと、ヴェンツェルがシルリネアが偽聖女とされていることについて、大司祭に正式に抗議していることがわかった。成果は芳しくないが、抗議は続けていくと書かれている。
「……なんだか、嬉しい」
シルリネアが微笑む。自分のために、ヴェンツェルがここまで積極的に動いてくれるとは、思ってもみなかった。
「だな」
メイランも微笑んだ。シルリネアが嬉しそうだったから。
次に、ヴェンツェルが魔法王国の廃墟に行ったことが書かれていた。宮廷魔術師の書庫で、ザフィルと遭遇したこと。ザフィルはヴェンツェルの記憶よりもさらに、感情に乏しい表情をしていたこと。凄まじい魔力に気圧されたこと。それらが、率直な筆致で並べられている。
さらに、リュミエールに向かう途中の船上で、「沈黙の書」という魔導書を手に入れたことが伝えられた。
「ザフィルの魔力を封じられる……?」
その内容に、シルリネアは目を丸くした。あの脅威に立ち向かう方法が、メイラン以外にあるのなら——。
彼に、辛いことをやらせないで済むかもしれない。
「封じられる『かもしれない』だろ。確実じゃない」
手紙の文章を示して、メイランがそう言った。
「そうだけど……」
確かに手紙には、「封じられるかもしれない」と書かれている。
「ま、確かに対抗手段は複数あった方がいいよな。俺だけじゃなく」
どこかすねた様子のメイランに、シルリネアは苦笑した。
「ヴェンツェルさんの魔法が効けば、メイランに無理させることもないでしょ」
なだめるように頬をこすり合わせる。メイランは心地よさそうに目を細めてから、シルリネアの頬に口づけをした。
「そうかもな。手紙の最後の1枚、読もうぜ」
すねて中断させたのはメイランなのに。理不尽さと微笑ましさを同居させつつ、シルリネアは手紙をめくった。
最後の1枚には、別の紙が貼り付けられていた。
「ええと……この紙を地面に置いて、合言葉を唱えてほしい。合言葉は……」
シルリネアが文面を読む。どうやら貼り付けられている紙は、符の一種らしい。紙に魔法と魔力をあらかじめ乗せておき、必要な時に合言葉で発動できるようだ。
ふたりは顔を見合わせる。
「やってみるか」
「そうね」
頷き、シルリネアは符を地面に置いた。




