第62話 余韻
昨日の手合わせの熱がまだ残っていそうな、安洛通運の中庭。
シルリネアはその隅で、紅嵐と黒嵐と談笑している。
メイランは岩嵐に呼ばれて工房へ行っていた。頼んでいた武具が完成間近らしい。
シルリネアの体調は、かなり回復していた。完全回復とまではいかないが、日常生活には差し障らない。体が少し重く感じるぐらいだ。
「俺は影兄の影響が強くて、紅嵐は梅兄の影響が強いんだよね」
黒嵐の言葉にシルリネアは首を傾げる。
「どうして?」
「贔屓と相性、かなぁ」
紅嵐が答え、黒嵐も頷いた。
「俺は影兄に助けられて、紅嵐は梅兄に助けてもらって、ここに来たから。二人とも尊敬してるけど、どっちがいいかって言われると、どうしてもね」
「……そうなんだ」
紅嵐と黒嵐が同時に頷く。
「そう。命の恩人」
「でもさぁ、影兄と梅兄がここに来た理由、私たち知らないんだよね。湖姐、梅兄の知らない?」
紅嵐が好奇心で瞳を輝かせ、シルリネアに尋ねた。
「うーん……知ってる、けど……」
シルリネアが言葉を濁す。メイランが言っていないことを告げるのは、さすがに良くない。
「えー、少しだけ、ね、少しだけ教えてよ」
食い下がる紅嵐を見かねて、黒嵐が制止させようとすると。
「下衆の勘繰りすんな、みっともねぇ」
影嵐がふらりとやってきて、紅嵐の頭を軽くはたいた。
「影兄、珍しい。どうしたの」
はたかれた頭を押さえながら、紅嵐が言う。
「挨拶してねぇと思ってな」
影嵐はシルリネアに向き直り、折り目正しく一礼した。
「青嵐の次子、影嵐と申します。ご挨拶が遅れました」
「あ、あの、シルリネアです。すみません、こちらこそ……お世話になってます……」
シルリネアも慌てて一礼した。
紅嵐と黒嵐は顔を見合わせ、笑う。
「影兄、順序おかしくない?」
「今更すぎる」
「うるせぇ……ではごゆっくり」
影嵐は軽く会釈して立ち去ろうとするが。
「あのっ、影嵐さんっ」
シルリネアが声をかけた。影嵐はいぶかしげに振り返る。
「お話、聞かせてもらえませんか? メイランと……ザフィルについて」
影嵐の足が止まった。
******
影嵐は少し考え、紅嵐と黒嵐を残すことにした。
ふたりを追い払おうかとも思ったが、ザフィルについては知っておいた方がいいだろう。彼らも被害者だ。
「その話をするんなら、こっから先は客人扱いしねぇからな」
影嵐はシルリネアにそう前置きした。シルリネアが少し緊張しながら頷く。
「よし」
物わかりがいい。影嵐はシルリネアの素直さに好感を覚えつつ、壁に寄りかかって腕を組み、足を交差させた。
「で? 何が知りたい」
「ええと、どこがメイランと似てると思ったんですか?」
影嵐はひとつ嘆息した。
「顔の輪郭、骨格、声。あと、ガキの頃の表情」
纏う空気がかけ離れているから、気付けないのだろうか。あんなに似ているのに。
「……ザフィルって誰?」
紅嵐が小声でヒソヒソと黒嵐に尋ねている。
「確か、青嶺関のあの魔法使い」
影嵐はふたりを示し、シルリネアに視線を向けた。
「話すぞ。こいつらも当事者だ」
シルリネアが頷いたのを確認してから、影嵐はおおまかに説明した。
青嶺関の魔法使いの名前がザフィルであること、ザフィルがメイランの実弟であること、ザフィルはいくつもの村や街、果ては国まで滅ぼしていること。
「そんなやばい奴が、梅兄が探してた弟、なんだ……」
紅嵐が呆然と言った。
「で、湖姐と梅兄は、そいつを探してどうするの」
黒嵐の問いに、シルリネアは決然とした瞳を返す。
「殺す。あいつは私の故郷を壊した。だから、その報いを受けさせる。メイランも、私と動機は違うけど、殺すと言っている」
「……そっかぁ……」
紅嵐が悲しげに嘆息した。
「下手な同情をするな」
影嵐がたしなめる。
「お前は梅に同情してるんだろう。だがお前が梅と弟の和解を望むのは、シルリネアに仇を諦めろと言ってるのと同じだ。梅の決断もないがしろにしている。恥を知れ」
紅嵐はビクリと小さく体を揺らして、俯いた。黒嵐も同意見なのか、仲裁に動かない。
「……ごめんなさい、湖姐」
「大丈夫よ、紅嵐。影嵐さん、ありがとうございます」
シルリネアは紅嵐に微笑みかけてから、影嵐にも笑顔を向けた。
「メイランが影嵐さんを尊敬する気持ちが、少しわかったかもしれません」
影嵐が不快そうに顔を歪める。
「あいつが好きなのは、俺の技術だけだろ」
すごいと感動して、すぐに真似をする。しかも完璧に。時には上回って。影嵐はそれが気に食わない。
シルリネアは、影嵐のことをいい人だと思った。
彼は厳しい。でも優しい。
彼は不快感を隠さない。それでいて、他人を害さない。
クスリと笑う。
「そうでもないと思いますよ」
きっとメイランは、影嵐に救われた。
******
「ああそうだ」
影嵐が壁から身を離した。
「リュミエールで手紙を預かっている。持ってくるから待ってろ」
影嵐はシルリネアにそう言って、立ち去っていった。
「手紙……ああ、ヴェンツェルさんからかな」
現況を伝える手紙を紅嵐に託していたことを、シルリネアは思い出した。
「あ、私が湖姐から預かってたんだ……あれ、影兄が全部やってくれたんだっけ?」
すっかり忘れていたらしい紅嵐が、黒嵐に聞く。
「知るはずないだろ」
黒嵐の呆れ声に、シルリネアは笑ってしまった。確かにその通りだ。黒嵐の状態の悪さを考えると、リュミエールで彼が動けたとは思えない。
「ふたりとも元気になってよかった」
改めてそう思う。
「湖姐のおかげだよ。ありがとう」
「……うん。ありがとう」
「どういたしまして」
微笑んだ時、シルリネアの胸が内側から傷んだ。
——昨日の反動が、まだ残っている。
顔をしかめないよう、気を張る。幸いなことに、痛みはすぐに引いた。
ほっと胸をなでおろしていると。
「待たせた」
封書を持って、影嵐が戻ってきた。
「あと伝言。『リュミエールの疑いを晴らせるよう尽力します』とさ」
影嵐は封書を手渡しながら、シルリネアに告げた。
「ありがとうございます」
封書の裏面には、ヴェンツェルの署名が入っている。彼がまだ、自分を気にかけてくれていることが嬉しかった。リュミエールで敵視されている自分を、信じてくれるなんて。
「それ持って、今日は帰れ」
影嵐が唐突に言った。
「さっきよりもだいぶ顔色が悪い」
——よく見ている。
シルリネアは感嘆した。影嵐の観察眼は、きっとメイラン以上だ。
驚きで固まっていると、影嵐は嘆息した。
「紅、黒、送ってやれ。梅には伝わるようにしといてやる」
影嵐はそう言って、来た時と同じように、ふらりと立ち去った。
「湖姐、大丈夫? ……ほんとだ、ちょっと顔色悪いかも」
「影兄は目ざといから。馬車出そうか?」
紅嵐と黒嵐が、シルリネアを心配そうに見る。シルリネアは苦笑した。
「歩けるから大丈夫、ありがとう。でも確かに疲れてるかも。せっかくだから、送ってもらおうかな」
******
シドゥはルハサーン寺院の廃墟にいた。
寺院は影も形もなかった。
「ザフィルか……」
独りごちる。かつて栄華と威容を誇った寺院が、跡形もなく消えている。こんなことができるのは、ザフィルしかいない。
つまりザフィルは、ルハサーンを2度滅ぼしたということだ。
1度目は、17年前に。
2度目は、おそらく最近。
寺院を囲むように広がっていた街の廃墟を歩く。
ここはオアシスがあり、ルハサーン寺院があり、それらを中心に栄えた街があった。
ザフィルが17年前にこの街を破壊した時、オアシスの水も途絶えた。以来、この街を顧みる者は誰もいない。
寺院だけでなく、街に17年前の破壊が及んでいる。
熱い風が吹いた。
さざなみが、かすかに聞こえる。
水? ここで?
幻聴だろうかと疑いながら、シドゥは音の方向に歩き。
そこで信じられないものを見た。
オアシスが復活していた。
以前と……17年前と同じように、水をたたえている。




