第61話 黒豹の苛立ち、猟犬の幸せ
すごい。
シルリネアはすっかり魅了されていた。痛みに顔をしかめている場合ではない。
メイランもすごいが、影嵐もすごい。違う種類の凄みを感じる。
夢中になっているシルリネアに、華嵐がそっと声をかける。
「私らはね、梅弟を『猟犬』、影弟は『黒豹』って呼んだりするんだよ」
シルリネアは吹き出してしまった。言われると、そう見えてしまう。
メイランは鞭の先端と遊んでいる犬のようだし、突っ込む時の直線的な動きも犬に見える。影嵐の攻撃は柔軟性がありながら、仕留める時は一瞬だ。しかも髪の色から服装まで全体的に黒っぽいので、黒豹という異名も納得できる。
「それ今言うの、ずるくないですか……!」
笑いながら、シルリネアは華嵐に小さな抗議をした。華嵐は澄ました顔で聞き流している。
「それよりシルリネア、あんたのその髪紐、梅弟は気付いたの?」
「全っ然」
シルリネアがわざとらしく頬をふくらませると、今度は華嵐が笑った。
「これが終わったら教えてやった方がいいよ。あいつ、言わないと一生気付かないから」
「……私の目の色に合わせてリボンを買う人だから、気付いてくれると思ったのに……」
あんなに繊細な気遣いができるのに、どうして気付かないんだろう。
今日の髪紐は胡桃色——メイランの髪の色なのに。
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影嵐は剣の間合いから数歩さがったあたりで、攻撃を開始した。
九節鞭の攻撃速度に強弱をつける。メイランの読み違いを誘うために。最初の数発は体をかすめたが、すぐに当たらなくなった。
メイランがどこを見て回避の機を掴んでいるのか、まるで見当がつかない。メイランの視線を追っても、特定のどこかを注視しているようには見えなかった。
全体の雰囲気を掴んでいる。そう考えるしかなさそうだ。
再現性がなさすぎて、うんざりする。
だから天才は嫌なんだ。
メイランは、九節鞭の多彩な攻撃に心を踊らせていた。
動きが読みにくい。それが面白い。速度も軌道も変幻自在だ。握る位置を変えれば、間合いさえ変化する。
柔軟に動く武器を鋭く操る。影嵐の技量の高さを、ごく純粋に尊敬している。自分にはできない。
九節鞭が、誘うように振るわれた。何かを狙っている。何だろう。わからない。
わからないので、メイランは誘われるまま前に踏み出した。
影嵐は九節鞭を大きく引いた後、鋭くメイランを攻めた。腕狙いを隠すこともせず、最短、最速で押し切る構えだ。メイランは少し驚いた表情を見せたが、冷静に剣で鞭先を弾いた。
これで鞭の軌道は逸れ、影嵐に隙が生まれる。そこを攻めるため、メイランは間合いを縮めようとし——驚愕で目を見開いた。
逸らしたはずの九節鞭が、ふたたび横から襲いかかってきた。
弾かれることを織り込み、軌道変更を用意していたとしか思えない。事実影嵐は、鞭先が弾かれた角度に合わせて、大きく体の位置を変えている。これも、鞭の弾かれた方向を見定めた後では間に合わない。事前に予測し、動きはじめていたはずだ。
「すげぇ!」
メイランが興奮して叫んだ。数手先まで読み、型を整え、「勝つべくして勝つ」。影嵐の真骨頂を見たと思った。これに比べれば蓮花なんて、小手先の技術だ。
この九節鞭には捕まる。メイランはそう判断し、腕の代わりに剣を差し出した。剣に鞭が絡みつく。このままでは、剣を奪われるか引き倒されるか、どちらかだ。
だからメイランは、どちらでもない方法を選んだ。つまり剣を手放さず、影嵐が鞭を引く力に抵抗せず、そのまま影嵐の懐に突っ込む。
影嵐の引く力と自分の脚力を足し合わせ、体重を乗せて肩からぶつかった。接触する直前に、剣を手放す。観衆の興奮した声が聞こえてきた。
このまま押し倒す。体格はメイランに分があった。
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読みはすべて通った。
必勝の形に持ち込みながら、影嵐は気を緩めないよう自身を律した。相手はメイランだ。最後まで、何をしてくるか想像がつかない。
腕は取れなかったが、剣を取った。あわよくば、このまま引き倒す。影嵐は九節鞭を強く引き——愕然とした。
メイランは剣を捨てず、突っ込んでくる。予想外のことに、影嵐の判断が遅れた。メイランの肩が胸に入る。咄嗟に九節鞭を手放し、自ら後ろに体を逸らして、メイランの勢いを殺す。それでも勢いを殺しきれない。押し倒されれば負ける。負けたくない。
影嵐は胸で受けたメイランの肩を掴み、背後に投げ飛ばした。
メイランは投げ飛ばされながら空中で体をひねり、足から着地する。その間に影嵐も体勢を整えた。
大歓声が安洛通運の中庭を埋め尽くした。
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「……うるっせぇ」
影嵐が眉をひそめた。メイランが徒手空拳で押す。蹴り技からはじまり、手足を自在に操って上下に翻弄しながら攻め立てる。影嵐も応戦し、次々に飛んでくる攻撃をいなしながら、時折反撃を差し込んでいく。そのたびに、メイランの流れるような攻撃が止まった。
わずかに空いた脇、引くのが遅れた胴、少しひねりすぎた脚、守りが甘くなった首から上。影嵐は的確に鋭く狙ってくる。その度にメイランは攻撃を中断され、最終的には守りに回らざるを得なくなった。
お互いに攻めあぐねていた。
息があがりはじめ、鮮やかだった攻防の技術が、次第に泥臭くなっていく。
それでも二人は退く気配を見せない。
「まーた泥試合やってる」
華嵐が苦笑した。シルリネアが驚いて彼女の顔を見上げる。
「……いつもこんな感じなんですか?」
「お互いに負けたくないの、あいつらは」
華嵐はふたりの戦場に進み出ながら、手を大きく打ち鳴らした。
「そこまで! こっから先はただの喧嘩だ。引き分け!」
華嵐の裁定にふたりとも不服そうな顔をしたが、文句は言わなかった。素直に間合いを切り、一礼し、武器を拾う。
3人とも、慣れた様子だった。
手合わせは、引き分けであっさり終わった。
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「メイラン!」
シルリネアは椅子から立ち上がり、彼のもとへ走ろうとして……数歩でよろけた。
「おっと、大丈夫?」
横から紅嵐が手を伸ばして支える。
「うわ、湖姐軽っ……」
決して小柄ではないのに、軽い。こんな軽さで旅なんてできるのだろうか。紅嵐は心配になってしまう。
そのまま、黒嵐が持ってきた椅子に座らせた。
シルリネアは紅嵐と黒嵐に笑顔を見せる。
「ありがとう」
青ざめている。疲れているどころではなさそうだ。
シルリネアがよろけたのを見たメイランも、遠くから声をかけた。
「俺が行くから!」
紅嵐と黒嵐に向けて、手振りで「抑えておけ」と指示を出している。紅嵐と黒嵐は顔を見合わせ、目配せしあった。シルリネアを動かさない。ふたりでそう決めた。
「梅兄が来てくれるから、焦らなくていいよ湖姐。怪我もしてなさそうだし」
黒嵐はそう言って、シルリネアの肩を軽く押さえた。紅嵐も頷く。
「そうそう……ってあれ? その髪紐……」
梅兄の髪の色だ。紅嵐が気付いた時、メイラン本人がやってきた。
「お待たせ」
メイランは全身汗まみれだ。髪も服も、べったりと肌にくっついている。シルリネアは微笑み、メイランを見上げる。
「お疲れ様」
「かっこ良かった?」
「うん」
ささやかな幸せを見て、華嵐が笑う。
「さあ紅嵐、黒嵐、私たちは撤収しよう。おじゃま虫は消えなきゃ。シルリネア、梅弟、またね」
紅嵐と黒嵐の背を押して急かしながら、華嵐が立ち去ろうとする。
「あ、梅兄! 湖姐の髪見てよね!」
華嵐に押されつつ、紅嵐が大声を出した。
「なんだあれ。髪……?」
メイランは首を傾げながら、シルリネアの髪を見る。綺麗な髪だ。いつも通りの、大好きな黄金色。ふと、髪を束ねているものが、いつものリボンではないことに気付いた。以前買ったという髪紐だろうか。彼女の髪色に比べると地味な色だが、だからといって彼女の魅力を損なうものでは——。
「あ」
「気付いた?」
はにかみつつ、シルリネアがメイランを見つめる。
「うん……」
どうしよう。メイランには、この嬉しさを表現する方法がわからない。
「俺の、色だ」
「メイランが勝つように、願掛けのつもりでこうしたんだけど……あまり効かなかったかも」
シルリネアが微笑む。
「最高」
メイランは屈んでシルリネアと目線を合わせ、彼女の頬に口づけをした。
未練を覚えながら唇を離すと、メイランの頬に柔らかいものがあたる。
それは、シルリネアの唇だった。
「……しょっぱくて、埃っぽい」
シルリネアが苦笑しながら囁く。メイランもつられて苦笑した。
「洗う。そしたらまたしてよ」
「いくらでも」
メイランは嬉しくなって、シルリネアを抱え上げた。
シルリネアも幸せそうに、メイランに抱きついた。




