第60話 双璧
昼前。
安洛通運の内側は、何となく浮ついた雰囲気に支配されていた。
誰もが控えめに、それでいて熱っぽく話題にする。
「影嵐さんが梅嵐さんと手合わせするんだって」
「梅嵐って誰?」
「だいぶ前に抜けた人だってさ。今戻ってきてて、ほら、最近よく来る胡桃色の髪の……」
「ああ、あの人か!」
「なんでも抜ける前は、影嵐さんとあわせて双璧って呼ばれてたとか」
「へぇ、じゃあ相当強いんだな」
「いつやるんだろう、見たいなぁ」
安洛通運の中庭に面した宿舎棟の一室。
使われていない小部屋を、メイランは休憩用に借りていた。
「俺、この辺にいるから。終わったら来て」
朝、メイランはそう言ってシルリネアと別れた。彼女の魔法は黒嵐を癒す。そこに疑いはない。ただその後、彼女にどれぐらいの「反動」があるのかわからない。
静かな場所でシルリネアが休みたい時に、ここはうってつけだ。仮眠室や雇人の控室では人目に立ちすぎ、紅嵐あたりが騒ぎそうだ。騒ぎになるのを、シルリネアは望まないだろう。
紅嵐のやつ、すっかりベタ惚れしてたからなぁ。
昨日の紅嵐を思い出し、メイランは苦笑した。はしゃぎたくなる気持ちはわかるが、やりすぎだ……と思う。他人の事を言える立場かどうかは、怪しいが。
だからメイランは、宿舎棟の前で体をほぐしながら、大人しくシルリネアを待っている。
影嵐には、もう伝えてある。シルリネアの治癒魔法の強さと、今朝黒嵐を癒しに行ったことを。昼過ぎには、黒嵐が元気な姿を見せるだろうということも。
だからあの兄は、今頃粛々と準備をしているだろう。
ふと、曲がり角に人影が見えた。輪郭だけでわかる。シルリネアだ。
「シルリネア」
嬉しくなって駆け寄る。数歩地面を蹴り、気付いた。顔色が良くない。
やっぱり。走りながら、人の気配と視線を探った。誰も見ていない。
シルリネアはメイランに気付くと、疲労をにじませつつも笑顔になり、そのままへたりこんでしまった。
メイランはシルリネアの横でしゃがみこみ、彼女の顔を見る。やはり辛そうだ。その様子に、胸がズキリと痛む。
こうならないよう、守ってやりたかったという気持ちがないとは言えない。だが、彼女の決定を妨げないと決めた。だから、「癒しの後」を守る。
「お疲れ」
視線を合わせ、頬をこすり合わせる。シルリネアは疲労の色の濃い顔で、それでも嬉しそうに微笑んだ。
シルリネアの笑顔に満足したメイランは、彼女を軽々と横抱きにして立ち上がる。
「ちょっと……!」
シルリネアが抗議の声を上げた。声とは裏腹に、彼女はメイランにぎゅっと抱きついている。それが嬉しくて、メイランは笑う。
「誰も見てないから、大丈夫」
そう言ってメイランは、走れば10歩もない距離を、思い切り勢いをつけて戻った。
小部屋でシルリネアを休ませ、水を渡す。
「ありがとう」
顔色は優れないが、彼女は笑顔を見せてくれた。静かで落ち着くのか、体から適度に力が抜けている。
「他に何かいる?」
水を飲みながら、シルリネアは小さく首を横に振った。
「ここで休んでる?」
「……できればメイランの手合わせ、見たいんだけど……」
「だよなぁ」
昨日あれだけ興味津々だったのだから、当然だ。ではどうしよう。
「椅子出して、座ってれば平気そう?」
「多分……」
「わかった、じゃあそうしよう。姐が来てたから、頼んでくる。休んでて」
メイランはそう言い置いて、部屋から飛び出した。
******
昼過ぎ。
手合わせの時間が漏れ伝わり、余暇を作った人々が集まり始める。
メイランはシルリネアのために椅子を出し、彼女を座らせた。横には付き添いを頼んだ華嵐がいる。
影嵐は既に準備を終え、中庭の中心付近に立っていた。紅嵐と黒嵐の元気そうな姿を確認して、かすかに微笑む。
「紅、黒!」
声を張って呼ぶと、紅嵐と黒嵐が寄ってきた。体の動きも問題なさそうだ。
「お前らの頼みでやってやるんだ、遠くで見てたら承知しねぇからな」
「ありがとう、影兄」
「最前列で見る」
紅嵐と黒嵐が答える。影嵐は頷き、視線でシルリネアを示した。彼女は華嵐と楽しそうに話しており、メイランはそれを見守っている。
「疲れてるらしい。今回は無制限の3本勝負だ——守ってやれ」
配慮はするつもりだが、メイラン相手に余裕が持てるとは思えない。場合によっては、観客の輪の中になだれ込んでしまう可能性さえある。それでも、紅嵐と黒嵐をつけておけば、どうにかなるだろう。
ふたりがシルリネアのもとに走っていくのを確認してから、影嵐はメイランを見た。
「そろそろやるか」
「わかった」
メイランは笑い、刃引きした剣を抜いた。
影嵐は、九節鞭を手の内に握り込む。
足元は石畳。お互いの間合いと、足場を確認した。
******
メイランは剣を構えず、無造作に歩を進めた。
途端に九節鞭が飛んでくる。靴をわずかにかすめ、石畳の一部が砕けて飛び散った。牽制だ。速い。
「どうなってんの、それ」
メイランが興奮気味に言う。鞭を繰り出す速度より、戻す速度の方が速い。どうやっているのか、未だにわからない。すごい。楽しい。
九節鞭の間合いは、剣の間合いの倍はある。メイランは近寄らないと何もできない。だから、地面を蹴って走る。直線で、鋭く。
九節鞭が低く浅い弧を描いて迫る。足を取られる。鞭の先端に、錘が付いているのが見えた。いつもは刃が付いているのに。
メイランが唐突に足を止めた。観衆のざわめきが聞こえる。メイランの接近速度を織り込んでいた鞭は、空を切った。
鞭の引きに合わせ、メイランが再び直線で踏み込む。その瞬間。
影嵐が空を切り裂いて飛び込んできた。剣を立てて迎え撃つ。影嵐の空いている手が、腰に挟んだ短剣を引き抜く。
今度は短剣を持つ影嵐より、剣を持つメイランの間合いが広い。メイランは短剣を弾こうと狙いをつけ——足を横から叩かれた。
影嵐の鞭が、メイランの足を軽く擦っていた。痛くはない。だが、機を崩すには十分。わずかに遅れた剣の軌道を、影嵐は易々とかいくぐった。
首筋に短剣がピタリと当てられる。
大きな歓声が上がった。
「一本」
影嵐が告げ、武器を引いた。
「……なるほど、いいね」
メイランは好戦的に笑う。
「次は負けない」
******
メイランが距離を取った。
観衆がざわつく。
わざわざ九節鞭が有利な距離まで下がる。その意味がわからない。
影嵐は考える。公平性……否。そんな殊勝な奴じゃない。勝つための意図がある。
メイランは、鞭が辛うじて届かない距離まで下がった。次の瞬間、鞭の間合いに勢いよく踏み込んでいく。
影嵐は、容赦なく九節鞭を振るった。鎖音と共に、メイランの足を狙う。メイランは半歩の見切りで、鞭の軌道から逃れた。
まだ影嵐の距離だ。一歩踏み込んでもう一撃。これも半歩の差で避けられた。鞭を一旦大きく引き、勢いをつけてから連撃を開始した。
「蓮花だ!」
誰かが興奮気味に叫んだ。
影嵐の連撃は、いつの頃からか蓮花と呼ばれていた。軌道が蓮の花弁に似ているらしい。言われればそうかもしれないが、影嵐には、どうでもいいことだった。
メイランは、九節鞭の猛攻をすべて紙一重でいなしていく。
「すっげぇ」
楽しそうにメイランが笑った。千変万化にうねる鞭を、自由自在に避け続ける。その軽妙さが、影嵐の気に触る。
影嵐は大きく踏み込み、九節鞭の速度を上げようとして……気付いた。いつの間にか、中庭の隅にある樹木の近くに誘い込まれていた。鞭が樹木に当たることを意識してしまい、攻撃の手がわずかに緩む。
メイランは隙を見逃さなかった。一息に剣の間合いまで詰める。影嵐も応戦するために九節鞭を引き戻したが、間に合わない。
今度はメイランの連続攻撃が始まった。
観衆がどよめく。速度、正確さ、鋭さ、すべて達人の領域だ。年齢にそぐわない熟練の域に達している。
天賦の才と場数。両方が揃わないと、こうはならないはずだ。影嵐は小さく舌打ちした。こいつは旅に出た後、相当な経験と修練を積んでいる。
不快感に包まれながらも、影嵐の冷静な部分がメイランの動きを分析する。手首の返しが特に速い。さらに、振った剣を止める力が強い。これらが攻撃の連続性を高めている。
少しでも気を抜けばやられる。刃引きされた剣でなお、これだけの重圧。
影嵐は避けながら、九節鞭を2節のみ残して握り込む。この長さなら、近距離でも対応できる。剣を弾き飛ばせる……はずだった。
鞭を構えた刹那、メイランは片手を伸ばして影嵐の腕を握り——体重をかけ、関節と反対方向にひねりあげた。抜けようとしても、びくともしない。完全に固められ、肩の外れる寸前で止められている。
「俺の一本……で、いい?」
メイランが嬉しそうに聞いてきたので、影嵐は渋々頷いた。
「よし」
影嵐の腕が解放された。わきあがる歓声と共に、興奮した声があちこちから聞こえてくる。
「さあて、最後の一本だ」
歓声を我が物のように背負い、メイランがニッと笑う。
影嵐は九節鞭を持ち直し、後退して距離を取った。




