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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第7章 幸せを形にすると
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第58話 恐怖の先にある希望

 紅嵐(ホンラン)の話で、シルリネアは彼女たちに起きたことをだいたい理解した。

 つまり、ザフィルが場をかき乱したのだ。何を意図したものなのか、まったく見当がつかない。

 さらにあいつは、黒嵐(ヘイラン)の魔力の流れさえ乱していった。おそらく黒嵐は、ザフィルの巨大な魔力に触れて自身の魔力が乱れ、体調に影響を及ぼしたのだろう。

 あまり顔色の優れない紅嵐も、もしかしたら黒嵐と同様なのかもしれないと、ふと思い至った。黒嵐ほど強く反応しなかっただけで。

「……ねえ紅嵐、怪我してる?」

「怪我? 擦り傷ぐらいなら、あちこちあるけど……」

 それぐらいが助かる。シルリネアは決意して口を開いた。

「あのね、紅嵐は魔力が乱れてるかもしれなくて、それを癒すために魔法を使いたいんだけど……いい?」

 紅嵐が驚いて目を丸くする。

「え、湖姐、魔法使えるの?」

「少しだけ」

「すご。でも私、魔法使えないよ? 魔力の乱れなんて……」

「魔法が使えなくても、魔力を持ってる人はいるの。紅嵐もそういう人かもしれないし、合う魔法と出会えば、使えるようになるかも」

 シルリネアが微笑んで答えると、紅嵐の瞳が輝いた。

「使えたら嬉しいなぁ。そうしたら、もっと役に立てるし」

「……それでね、私の魔法を使えば、紅嵐の体調の悪さは消えると思う。でもその時に、紅嵐の心に触れる必要があって。体調の悪さの原因に関係する記憶を、私が『視て』しまうの。それでもいい?」

「え、やば。そんな魔法あるんだね……いいよ、湖姐なら。どうせたいした記憶もないし」

 言葉と裏腹に、紅嵐の表情は陰りを帯びる。秘めた感情と過去を暴かれることを好む人など、いない。それでも紅嵐は、シルリネアを信頼してくれている。その信頼に応えたいと、シルリネアは強く思った。

「ありがとう。……始めるわね」

 シルリネアは紅嵐に手を触れ、癒しの魔法を解放した。

 黄金色の光が、そっと紅嵐の中に入り込む。


 ******


 まず感じたのは、紅嵐が自覚していた複数の擦り傷だ。訓練の様子と怪我をした瞬間が、シルリネアに流れてくる。紅嵐は負傷した瞬間に小さな痛みを感じているが、さほど気に留めていないようだ。流れ行く小さな傷の記憶を、シルリネアは優しく触れて浄化した。

 外側の傷を癒して次の層に入ると、魔力の流れを感じた。やはり紅嵐は、魔力を持っている。それが不安定に歪んでいる。

 歪みの中心を探っていくと、紅嵐の記憶が流れこんできた。


 リュミエールに向かう途中の様子が見えた。捕虜を護送している馬車を挟み、紅嵐は黒嵐と共に馬で移動している。普段通り、何も変わらない。周囲の警戒をしつつ、ふたりは会話を楽しんでいる。

 黒嵐がうんざりした顔で、腰の瓢箪を取ろうとして……急に落馬した。

「黒嵐!?」

 紅嵐が思わず叫んだ。そのまま駆け寄ろうとして……止める。今は仕事中だ、持ち場を離れてはいけない。そう自分に言い聞かせている。視界の隅で、御者をしている影嵐(エイラン)が、腰に手をやるのを見た。紅嵐自身も、槍を握りしめる。

 黒嵐の苦しげな警告が聞こえた直後、紅嵐も強烈な重圧を感じ取った。ザフィルの魔力だ。シルリネアは即座に理解した。紅嵐の脈が乱れ、呼吸が荒くなる。頭痛と耳鳴りも感じた。それでも紅嵐は、気丈に耐えている。

 彼女が正面を見据えた瞬間、ザフィルが現れた。空間の裂け目から滲み出してくるような、異様な姿で。

 ガタンと大きく馬車が揺れた。影嵐が馬車を蹴って跳び、ザフィルに攻撃を仕掛けている。凄まじい反応速度だった。影嵐の急襲の判断速度と鋭さは、メイランに勝るとも劣らない——いや、よく似ていると、シルリネアは思った。

 紅嵐も体の不調に耐えつつ、驚愕と敬意で見つめている。

 だが、影嵐の攻撃はザフィルに届かなかった。空中で弾かれる。

 これがザフィルの防御結界。シルリネアは息を呑んだ。常軌を逸した強度だ。影嵐の鋭い攻撃をもってしても、まったく破れない。

 メイランならきっと、これを無効化できるのだろう。魔法を一切受け付けない、その体で。カルブの期待した通りに。

 ザフィルの口が動いたと思ったら、空間が歪んだ。耳鳴りと頭痛が酷くなる。どうにか耐え抜き、痛みが引いて目を開けると、目の前に光の神の大神殿が見えた。


 映像が切り替わる。


 おそらくリュミエールの宿の一室だ。目の前には、床に膝をついて激しく嘔吐している黒嵐がいる。紅嵐が不安そうに介抱していた。影嵐の姿は見えない。捕虜の見張りか、あるいは大神殿との交渉に行ったのかもしれない。

「くそっ、なんだ、これ……!」

 黒嵐は悪態をつきながら、横にある机に手を伸ばし、這い上がる。

「やめなよ、もう……」

 紅嵐が不安で潰されそうになりながら、黒嵐に訴えた。彼女の頭痛と耳鳴りは消えていない。だが、それ以上に黒嵐が心配だった。

 机の上には、符が一枚置かれていた。一面にびっしりと図形が描かれており、重厚かつ莫大な魔力も感じる。ザフィルの書いた符だと、すぐにわかった。

 黒嵐が、震える指で符の図形を辿る。符の性質と魔力を解析しているようだ。ザフィルの魔力に魅入られている。

 紅嵐の不安が膨れ上がり、恐怖に育っていくのを感じた。黒嵐は嘔吐を繰り返し、青ざめているにも関わらず、ザフィルの符に食い下がっている。紅嵐は、怯えながらそれを見ている。


 これだ。

 シルリネアは直感した。

 この怯えと恐怖が、歪みの中心だ。

 黒嵐が見せるザフィルの符への異様な執着が、紅嵐の歪みを作っている。

 日常の崩壊。紅嵐はそう感じている。

 ——大丈夫。

 シルリネアは歪んで怯え、震える紅嵐に手を伸ばした。

 ——あなたと黒嵐は、私が守る。だからもう心配しないで。

 伝えながら、そっと抱きしめる。

 歪みの形を丁寧に整え、自ら元の姿に戻るための手助けをした。


 やがて、歪みは自然に戻っていった。


 ******


「どう?」

 シルリネアは、穏やかに声をかけた。

 紅嵐は呆然としているが、顔色がいい。

「……スッキリした……」

 驚きでうわずった声だ。暗く沈んだ声ではないし、無理に作られた明るい声でもない。

 どうやら癒せたようだ。シルリネアは微笑む。

「よかった。今日はゆっくりして、動くなら明日からにしてね」

「うん……え、なにこれ、どうなって……やば……」

 今まで紅嵐を包んでいた辛さが、綺麗さっぱり消えていた。

「魔力に歪みがあったから、整えたの。それだけ」

「それだけって……湖姐、すごすぎない……?」

 シルリネアは紅嵐に直接答えず、もう一度微笑んだ。

「紅嵐の魔力、結構ある方だと思う。相性のいい魔法を探してみたら?」

 紅嵐の瞳が嬉しそうに輝いた。

「え、ほんと? 符術はぜんぜんわからなかったから、別のもの探さなきゃ」

「それがいいと思う。多分、防御系が向いてる」

「湖姐そこまでわかるの? ほんとすごい……!」

 紅嵐の敬意を柔らかく受け止めながら、シルリネアは自身の魔力の滞りを感じていた。

 癒しの反動だ。きっと今日中には治るだろう。深呼吸をして体調を整えつつ、シルリネアは紅嵐の話に付き合った。


 明日あたり、黒嵐も癒せるといいけれど——。

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