第57話 理解する
シルリネアは紅嵐を連れて、安洛通運の商談用個室に入った。
心を落ち着かせる効果のある薬草を組み合わせてお茶を作り、紅嵐に渡す。
「ゆっくり飲んで。あなたの心の助けになるから」
紅嵐は一口飲んで、ほっとため息をつく。
「おいしい……」
「でしょ。気に入ったなら、もっと作る?」
シルリネアはゆったり微笑んだ。急かさず、落ち着ける雰囲気を心がける。
「あのさ、湖姐、聞いてくれる?」
「もちろん」
シルリネアの快諾に、紅嵐は安堵の表情を浮かべた。
「私、黒嵐があんなにガタガタに崩れるの初めて見て、びっくりしたんだ」
「そう、驚いたのね」
シルリネアは肯定も否定もしない。ただ受け入れる。紅嵐が頷いた。
「うん。ほんと、わけわかんなくて……何だったんだろう、あいつ。どうして黒嵐を、あんなに酷くするんだろう……」
「あいつって? リュミエールまで送って行った誰かのこと?」
紅嵐は、シルリネアの問いかけに首を横に振った。
「ううん。よくわかんないんだ。急に出てきて、そいつの力にあてられて黒嵐が倒れて、リュミエールに転移させられて……」
いきなり、紅嵐の話にまとまりがなくなったように思えた。誰かに黒嵐が倒されて、リュミエールに……? 繋がりがわからず、問いかけるように紅嵐の顔を見た。
困惑するシルリネアを置いて、紅嵐の話は続く。
「あいつ……影兄が言うには、梅兄に似てるらしいけど……私は違うと思う。梅兄はあんなに不気味じゃないし、髪の色だって……」
ザフィルだ。
ゾクリと鳥肌が立った。あいつが動いている。
ザフィルがここを——青嵐を「まだ」滅ぼさないと言った夜を、思い出す。
ザフィルの「まだ」が終わったのだろうか。だめだ、ここを破壊させるわけにはいかない。
「湖姐?」
紅嵐の声で、思考の海から引きずり出された。
「あ、ごめんなさい。私もびっくりしちゃって。メイランに似てるなんて言うから」
表面を取り繕い、シルリネアは苦笑した。同時に気を引き締める。今は紅嵐の話を聞く時だ。自分の考えに浸るのは後でいい。
「だよね。あんな奴が梅兄に似てるだなんて、湖姐にも失礼だよ」
少し元気を取り戻しただろうか。紅嵐の声に勢いが出てきた。シルリネアは嬉しくなって微笑み、紅嵐の言葉に耳を傾けた。
それにしても、メイランとザフィルはそんなに似ているのだろうか。シルリネアにその印象はない。だから、今のところは紅嵐の意見に大賛成だが、影嵐の見解も聞いてみたいと思った。
******
黒嵐を寝かしつけた後、影嵐はメイランを連れて、安洛通運の敷地の隅にある小屋に入った。元は物置だったが、今は影嵐の私室になっている。
「ここに住んでんの?」
部屋の中をキョロキョロと興味深そうに見回しつつ、メイランが尋ねた。
「だいたいな」
メイランが微笑む。影嵐はいつも不機嫌そうだ。
「へぇ。いいね、影兄らしくて」
武具がところ狭しと置かれていて、足の踏み場さえ圧迫していた。片付けが下手というより、純粋に物が多すぎる。
武具の研究に余念がない影嵐らしい。メイランはこの兄の、隙なく完璧に組み上げられた武闘体系が、昔から好きだった。何度も真似をしたが、影嵐の領域に届くことはなかったことを思い出す。
影嵐は、懐かしそうに微笑むメイランが無性に腹立たしかったので、手近な椅子を投げつけた。メイランが椅子を受け止めたのを見てから別の椅子を引っ張り出し、自身も座る。
「で、お前の実弟とかいうクソガキについて、聞こうじゃねぇか」
足を組んで座る癖が昔のままだ。メイランは笑いを飲み下してから、話しはじめた。
「親父にはだいたい話したんだけど……名前はザフィル。意味がわからないぐらい大規模の魔法を使う。西北にあるアステリアっていう魔法王国、知ってる?」
「何年か前に、一瞬で滅びたとかいうやつか」
「そう。それをやったのがザフィル。単独でやったってさ」
影嵐の眉がひそめられる。
「は?」
意味がわからないと言いたげな影嵐の様子に、メイランは苦笑した。聞き間違いだと思うのも、無理はない。
「そのままの意味。大勢の人を、一瞬で塵にするらしい。魔法王国の生き残りがそう言ってたし、村を滅ぼされたシルリネアも、同じことを言ってた。あと、ミルザードを水で破壊したのもザフィル。ミルザードの話、知ってるだろ?」
影嵐は、にわかに信じられなかった。普段なら、与太話として聞き流すような内容だ。
しかしメイランは真剣そのものだし、そうでなくともこの弟は、こういう嘘をつく手合いではない。荒唐無稽とさえ思える話を一旦飲み込み、頭の中で情報を整理する。
「そのシルリネアっていうのが、さっきお前の横にいた女か。で、お前はその女のために、実弟を手にかけるのか?」
大雑把に見当をつけた話が的中したらしく、メイランの顔がわずかに歪む。それでも、まっすぐに影嵐を見返した。
「違う。シルリネアはそんなに弱くない。彼女は彼女の意志で、ザフィルに仇討ちを誓っている。俺の存在は関係ない。俺も……俺の判断で、あいつを殺すと、決めた……」
まっすぐ正面を向いていたメイランの目が、徐々に下向いていく。影嵐は嘆息した。
「そのわりに、つらそうじゃねぇか」
「つらいよ。ずっと探してた弟なんだ、これでも……」
知っている。
弟を探したいから青嵐を抜けさせてくれと言った7年前を、知っている。
黒嵐を見て、弟が増えたと喜んだ9年前を、知っている。
照嵐の中に、誰かの面影を見ようとしていた12年前を、知っている。
誰かを探し求めてうなされていた16年前を、知っている。
それでも。
「てめぇの気持ちなんて、知ったことか」
影嵐はメイランを突き放した。慰めたところで、事態が好転する訳ではない。
「そりゃそうだ」
メイランが苦笑した。この距離の取り方が、いかにも影嵐らしく思える。
「それより、黒と紅が俺とお前の手合わせを見たいんだと」
影嵐の言葉に、メイランは片眉を跳ね上げた。
「へぇ……やるの?」
「黒の体調が戻ったらな——逃げるなよ」
「それはこっちのセリフ」
影嵐とメイランは、好戦的な笑みを向けあった。
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数日前、ヴェンツェルは天嶺皇朝から来たという者たちに会った。
彼らはシルリネアから手紙を預かってきたと言い、実際に手紙を手渡された。
文面は確かに、シルリネアのものと認められた。戻ってこられなかったことを詫び、現状を伝える内容だ。
大神殿に異端の偽聖女と言われ、追われたこと。
追っ手に追いつかれたが、メイランが撃退したこと。
追っ手を捕虜として大神殿に送り返す際に、手紙を託したこと。
捕虜の様子から、自分が光の神の神殿に受け入れられないのは理解したこと。
ザフィル打倒のためにヴェンツェルとリュミエール王国が繋がるのは、力強いと感じたこと。
今は安洛城に身を寄せていること。
それらが簡潔に書かれていた。宮廷的な修辞のない、素朴な文面がかえって新鮮に感じた。
ヴェンツェルは、シルリネアの手紙を持ってきた者たちに、返信を託した。
ザフィルの魔法を封じられる可能性のある魔導書を発見したと書き、シルリネアが異端や偽聖女ではないことは、こちらからも伝えておくと添えた。
手紙を託した後、ヴェンツェルは大司祭に面会を申請した。
神託の話をはじめとして、大神殿には疑念を抱く点が多々ある。
少しずつ探るより、直接会って確かめた方が早いはずだ。
その結果次第では、この光の神の勢力ではなく、シルリネアたちと行動を共にした方が良いのかもしれない。
それを見極めるためにも、大神殿の中枢部とも、積極的に接触すべきだろう。
どこから着手しようか。ヴェンツェルは手元にある宴の招待状の中から、めぼしいものを吟味しはじめた。




