第56話 思惑はどこに
「湖姐って西の偉い人の知り合いなんだねぇ」
紅嵐が、シルリネアから託された手紙を大切にしまう。
「てことは、梅兄も知り合いってことだろ」
「やっぱあの人たち、すごいねぇ」
黒嵐と紅嵐が感心しあう。
ふたりは馬に乗り、捕虜3人を連れてリュミエールに向かっている。
捕虜たちは拘束していないが、馬車に乗せて見張っている。御者役への強い信頼感が、ふたりの軽口を助長させる。
「ね、影兄」
「……会ってないんだから知るはずねぇだろ」
紅嵐に同意を求められた御者——影嵐は仏頂面で応じた。
細身の体に、一切の無駄を排したしなやかな筋肉がついている。黒髪に暗灰色の衣服が、影の名にふさわしい。その中にあって、碧眼だけが奇妙な明るさを添えていた。
「会えばよかったのに」
黒嵐の言葉に、影嵐はますますむっつりと黙り込む。
影嵐はメイランが苦手だった。嫌いではないが、全体的にソリが合わない。メイランもそれを知っているので、必要がなければ寄ってこない。
それなのに、このお子様どもときたら。
「俺、影兄と梅兄の手合わせ見たかったなぁ」
などと脳天気に言う。
「私も私も。帰ったらやってよ。ね、影兄?」
「あいつが、そんなに長いこといるはずねぇだろ」
「えぇー……」
紅嵐の不満そうな声を無視して、影嵐は馬車の壁を叩いた。
「聞こえてんぞ、下手クソ」
さっきから中で金属音がしていた。武器を取り出そうとする音だ。
馬車には、彼らの持ち物もすべて積んでいる。リュミエールでまとめて返してやろうとしているのに、無駄な労力をかけさせないでほしい。
「逃げたら手足を折る。司祭様だか助祭様だかは、舌を切る。逃げた人数関係なく全員にやる。いいな」
そう告げて、やっと馬車の中から聞こえていた金属音がやんだ。
「こわぁ」
紅嵐が肩をすくめ、黒嵐は動じずに頷いた。
「効果的だよ。大人しくしてくれた方がいい」
紅嵐は小さく嘆息してから、声を張る。
「ねえお客人、この人は怒らせない方がいいよ。お客人たちを捕まえた人と合わせて、ウチの二枚看板なんだから」
「双璧って言えよ」
黒嵐がすかさず訂正させようとする。
「いいじゃん、どっちでも」
「看板じゃカッコ悪い」
いつもの口論をはじめた紅嵐と黒嵐に、影嵐はクツクツと低く笑いをこぼす。組んだ足に片肘をついて顎を乗せ、馬車を見やった。
「そういうこった。あいつに捕まるなら、俺にも捕まる。……逃げるなんて考えるなよ」
最後はあえて、威圧的に言った。
******
青嶺関を順調に通過した。
影嵐の脅しが効いたのか、捕虜たちが妙な動きをすることはなかった。
「ここからがなぁ……」
黒嵐がうんざりした表情で嘆息した。
荒野と砂漠の連続が、どれだけ急いでも1か月は続く。
何やら気持ち悪くなってきた黒嵐は、水を飲もうと腰に下げた瓢箪に手を伸ばし……そのまま落馬した。
「え……」
何が起きた。全員、理解が追いつかない。
「黒嵐!?」
紅嵐の声が妙に遠くから聞こえた。黒嵐はグラグラとおぼつかない足で、どうにか立ち上がる。
「気を、つけ……! なんだ、これ……!」
黒嵐が警告を絞り出す。術を使えるからこそ感じる圧倒的な力が、黒嵐を苛む。立っているだけで精一杯だ。
影嵐が腰の武器を掴む。
その刹那。
空間が裂け、ザフィルが現れた。
影嵐は即座に武器を振るった。腰に巻いていた九節鞭を一挙動で解き放つと同時に、御者台を蹴って跳ぶ。横薙ぎに払い、空いている手で小刀を投げた。
いつも通りすべて命中する。はずなのに。
九節鞭も小刀も、空中で弾かれた。
どういうことだ。影嵐は九節鞭の軌道を変えた。だが、ふたたび弾かれる。目に見えない壁に阻まれている。
ザフィルは虚ろな顔を影嵐たちに向けた。ぞわりと悪寒が走る。
「……送ってあげるよ、リュミエールまで……」
ザフィルがそう言った瞬間に、空間が歪んだ。二日酔いと船酔いをかけ合わせたような酷い不快感を覚えた直後——周囲の風景が変わった。
影嵐たちは、人々の喧騒に包まれていた。
「……どういうことだ」
訳がわからない。1か月以上旅をして、やっとたどり着けるはずだったリュミエール王国の大神殿が、目の前にある。
いきなり現れたあの不気味な少年が、転移の魔法で運んだとしか思えない。しかし、なぜ彼がそうしたのか、説明できる者は誰もいない。
ザフィルの姿は、もうどこにもなかった。
******
「……忘れ物?」
安洛通運の出入り口で、メイランが首を傾げた。横にいるシルリネアも、不思議そうに見ている。
リュミエールの捕虜たちに紅嵐と黒嵐、さらに保険で影嵐までつけて、ここから見送って半月ほど。
3か月ぐらい帰ってこないはずの3人が、目の前にいた。
紅嵐は呆然とし、黒嵐は顔色が悪く、影嵐は苦虫を噛み潰したような表情でメイランを睨んでいる。
「梅弟、ツラ貸せ、黒、付き合え」
「なんだよ影兄……悪ぃシルリネア、ちょっと待ってて」
有無を言わせず引っ張られていくメイランを、シルリネアは見送るしかなかった。
残された紅嵐の様子もおかしい。いつもの快活な彼女とはかけ離れているのが心配だ。シルリネアは紅嵐に近寄り、声をかける。
「どうしたの、体の調子が悪い?」
「あ、湖姐……いや、大丈夫。絶好調。でもちょっと、驚くことばっかりあってさ……」
慌てて笑顔を貼り付ける紅嵐を見て、不安がよぎった。紅嵐は無理をしている。心が傷を負っている。
安洛通運には商談用の個室がある。そこならじっくり話を聞けるだろうか。心の傷を癒すには、話してもらうことが一番いいはずだ。
「個室借りてくる。だから、ゆっくり旅の話を聞かせて」
不安が声に出そうになるのをおさえて、シルリネアは空いている個室を探しに行った。
******
中庭の隅、人目に立たない物陰に、影嵐はメイランと黒嵐を引っ張り込む。
「どうしたんだよ影兄」
話の流れがさっぱり掴めない。メイランが困惑して声をかけると、影嵐はやっと止まった。黒嵐は、その場でへたりこんでしまった。
影嵐が振り返り、メイランを睨みつける。
碧眼が鋭く輝いた。
「吐け。お前のツラによく似た魔法使いの、亡霊みてぇなナリのクソガキ様は、どこのどいつだ」
メイランの表情が強張った。やはりこいつは、あの魔法使いを知っている。影嵐は確信した。
「……実の弟で、シルリネアの仇……」
悲痛な声だった。影嵐は息を呑む。
「お前がウチを抜けたきっかけの奴か……」
「そう。あいつ、影兄のところに来たのか……無事でよかった」
辛そうな顔のまま、メイランは微笑む。影嵐は、この弟の、こういうところが好きになれない。自分の感情よりも相手を優先する、この態度が。
吐き捨てるように、影嵐は言葉を続ける。
「青嶺関から大神殿までの転移と、青嶺関行き転移符のお土産をいただいたぜ。俺と紅はまだいい、黒がこのザマだ。あいつの力にあてられた」
「ごめん、不甲斐なくて……」
黒嵐が小さな声で謝罪した。体が少し震えている。
「あいつ、意味わからねぇ力持ってるもんな。気にすんな、よく戻ってきた」
メイランは黒嵐の肩を叩いて労う。黒嵐は符術の優秀な使い手だ。それだけに、ザフィルの魔力を過敏に感じ取ってしまったのかもしれない。
とすると、ザフィルと対峙してなお殺意を向けることのできるシルリネアは、魔法の使い手として突出していることになりそうだ。ヴェンツェルも同様だが、彼には元宮廷魔術師という肩書があるので、シルリネア程の驚きはない。
改めて、メイランは影嵐に状況を確認した。
「つまりあいつ……ザフィルが、青嶺関で影兄たちを大神殿まで転移魔法で移動させて、帰り用に、青嶺関まで転移できる魔法の使える符を黒嵐に渡したってこと?」
影嵐が頷く。
「ああ。転移符はいつの間にか持たされてたみてぇだがな。よくわからねぇ符が入ってて、解析したら青嶺関行きの符だったんだろ?」
「……そう。無制限に、何人でも送れる符だった……あんなの、どうやって作ったのか、さっぱりわからない……」
黒嵐は途切れ途切れに答える。それを見た影嵐が舌打ちした。黒嵐をこんな状態にしてしまった、ザフィルとかいう奴に対する憤りとして。
「てめぇの実弟、何考えてやがる」
「わかんねぇよ。こっちが聞きたい」
メイランが嘆息した。
「とりあえず、黒嵐は休んだ方がいい。仮眠室行こう。ザフィルについては、その後で話すよ」
メイランは黒嵐を背負い、歩きはじめた。軽い調子で黒嵐に語りかける。
「だっこの方がいい?」
「……これがいい……」
黒嵐の呟きに、メイランが笑った。
影嵐の目には、強張り震えていた黒嵐の体の力が、少し抜けたように見えた。メイランは、こういう気配りが昔から上手い。
メイランの後ろを歩きながら、影嵐はザフィルのことを考えていた。
あいつは、メイランの実の弟だと言う。顔立ちが似ているので、おそらく正しい。だが、ここまで性質の異なる兄弟というのは、奇妙に思える。
魔法の一切効かない兄と、魔法の塊のような弟。
何かの意志のようなものを、感じざるを得なかった。




