第55話 少しずつ進む
「……ってことがあってさ」
翌日、安洛通運の中庭。
荷捌きの邪魔にならない位置で、メイランは黒嵐と紅嵐に昨晩のことを語っていた。
話を聞いた二人は、困惑して押し黙っている。
「じゃあ、今後はあまり湖姐に話しかけない方がいい?」
黒嵐の寂しそうな声に、メイランは優しく笑う。
「いや、今まで通りでいい。お前らが悪ぃんじゃねえし、シルリネアもわかってるから。彼女もお前らのことが気に入ってるから、余計そうなるんだろ」
彼女の愛する故郷と重なってしまったからこそ、つらかったのだと思う。それだけ青嵐に、故郷と近しい愛しさを感じたということだ。
「そっかぁ。湖姐、大変だったんだね」
紅嵐がため息をついた。メイランが苦笑する。
「お前らも大変だったし、俺も大変だったんだよ。ただ俺らは『大変』の先で、悪くないものを手に入れられた。シルリネアは今が『大変』の真っ最中だから、そこがちょっと違うよな」
黄嵐に拾われた養子たちは、全員訳ありだ。皆、それぞれの辛さを抱えていて、だからこそ結束が固いという面がある。
「とにかくさ、気にしねぇで話してやってくれよ。話したくない気分なら、シルリネアも出てこねぇだろうし。シルリネアは感情が顔に出るから、わかりやすくて助かるんだよな」
「そこが好きなんでしょ。認めたほうがいいよ」
「のろけはそこまで。湖姐はまだいいけど、梅兄はだめ」
紅嵐はニヤニヤ笑い、黒嵐がうんざりした様子で言った。
「お前ら好き放題言うじゃねぇか」
メイランは中庭を見渡しながら言った。荷捌きが終わりつつある。
つまり。
「稽古再開するぞ。次の荷が来るまで休憩させねぇからな」
「えぇー……」
紅嵐が訓練用の槍を手に取り、立ち上がる。
「早く積荷来い」
黒嵐も仕方なく準備をはじめ、メイランは笑う。
「明日は捕虜のお届けに行くんだろ。お前ら二人とも、足腰立たなくしてやるから覚悟しな」
「爽やかに言われると余計怖いんだけど」
刃引きした剣を構えて、黒嵐がぼやいた。
******
シルリネアはメイランを見送り、家をざっと掃除してから外出した。
メイランからは寝てていいと言われたが、体は健康そのものなのに、動かないというのも変な気がする。だから、月嵐のもとに行くことにした。
診療所の手伝いをしながら、この地域の薬草について聞こうと思っている。
歩きながら、メイランの財布を手の内で弄ぶ。昨日メイランが、華嵐に投げてよこしたものだ。
財布は昨日よりも重い。
昨日の支払いは間違いなくこの財布から出したが、その後、華嵐と月嵐が中身を継ぎ足した。
「シルリネアに贈り物をするのがあいつだけじゃあ、不公平だからね」
華嵐がそう言って笑った。
「梅兄はこれを受け取らないでしょうから、シルリネアさんに差し上げます」
微笑みながら、月嵐は財布をかわいらしい巾着袋に入れてシルリネアの首にさげ、胸元に落としてくれた。
その財布が、シルリネアの手元にあった。
本当は返したいのだが、返したいと思う相手は全員、受け取らないことが目に見えている。だから仕方なく、シルリネアは財布を首にさげ直した。
とりあえず預かっておこう。そしてメイランみたいに、半分ぐらい隠しておこう。いざという時のために。
どこにどうやって隠そうか。考えているうちに楽しくなり、シルリネアはいつの間にか笑顔になっていた。
「おはようございます」
診療所の扉を叩くと、月嵐が出迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい。ようこそ」
招き入れられた診療所は、必要なものが機能的に収められていた。掃除が行き届き、清潔で居心地がいい。
「薬草の棚がここ。効能別に置いてあるのよ。よく処方する薬は、ある程度まとめて作ってあって、それを置いているのがこっち」
月嵐の説明を聞いていると、外からひょこっと栗色の髪が覗いた。
「あ、湖姐」
照嵐だ。
「どうしたの?」
月嵐の問いかけに、照嵐は灰色の瞳を輝かせて答える。
「最新の伝書鳩通信。魔法王国のヴェンツェルって人が、リュミエールに来たみたいで。大神殿に呼ばれたとか。何か伝言とかあれば、今日中なら黒嵐と紅嵐が預かれますよ。どうせ大神殿とは、捕虜引き渡しの交渉しますし」
「ヴェンツェルさんが……!」
シルリネアが息を呑み、それを見た照嵐は笑顔を見せた。
「あ、やっぱり知り合いでした? 梅哥が昨日安洛通運で、それっぽいこと言ってたから」
「メイランが?」
「伝書鳩で大陸の都市を繋いでるんスよ。で、情報を安洛通運に集めてます。梅哥が安洛通運に来て稽古つけてるの、あれ新鮮な情報目当てですね」
「そうなんだ……」
やっぱりメイランはすごい。ひとつの動きで、複数の物事をまとめて片付けるだなんて。
驚くシルリネアを見て、照嵐は胸を張った。
「すごいでしょ、うちの梅哥」
「なにその言い方」
月嵐が笑い、照嵐はニコニコと笑顔を浮かべる。
「ああでも、今は湖姐のモンですね。できれば返品しないでくださいね」
「返品って」
シルリネアは苦笑してしまった。ゆっくりと首を横に振り、悪戯っぽい微笑みを作る。
「返してあげない」
照嵐と月嵐は目を見開いて顔を見合わせ、大きく笑った。
「そりゃあいいや、じゃあ、梅哥をよろしく頼みます。青嵐の中でも、だいぶ出来がいいスよあの人」
「梅兄、きっと喜ぶわ」
シルリネアは、大きく出過ぎただろうかと、内心気が気でない。だがこれぐらい言えないと、メイランの横に立てないと思った。
形から入ろう。
中身は後から作ろう。
そうやって、少しずつメイランに追いついていくしかない。
それが、昨晩泣くだけ泣いて、どうにか手に入れた結論だった。
******
ザルミールの屋敷の書庫が荒されていた。
子供が散らかしたような荒され方だ。こんなことをする者なんて、いただろうか。
シドゥは考える。
微かにザフィルという名前が脳裏をよぎったが、すぐに除外した。
知識を与えられ、思考能力を奪われた少年が、こんなに無駄なことをするはずがない。
知識の塊。
魔法の天才。
虚無の化身。
それがザフィルのはずだ。そう作られた。アザルファ様に。
それでもなぜか、書庫にはザフィルによく似た魔力の痕跡が漂っている。
「こんにちは」
突然背後から、男児の声が聞こえた。
シドゥが驚いて振り返ると、そこには——幼いザフィルの姿をした何者かがいた。
「誰だ、お前は」
誰何すると、男児がうっすらと微笑む。
「ボクはカルブ。主様の魔力の一部」
主様とはザフィルのことだろうか。カルブの外見からは、そうとしか思えない。
「ではカルブ、何の用だ」
「動かれると迷惑だから、大人しくしてほしくて」
カルブがゆらりと首を傾げると、血線のような色をした、布製の首飾りが見えた。
「心配しなくても、主様はもうすぐ死ねるから……だから邪魔しないで」
不気味な奴だ。シドゥは生唾を飲む。
「わかった。退散するとしよう。どれぐらい待てばいい」
「長くても3か月、かな」
「ではそうしよう」
3か月。それぐらいなら、何もせずに待ってやってもいい。
踵を返しかけ、ふと思い出して問いかける。
「ルハサーンに行くのは、許されるのか?」
カルブは考えるそぶりを見せ。
「いいよ」
と答えた。
「感謝する」
シドゥは今度こそ踵を返し、立ち去った。
カルブと——ザフィルと争う意味はない。
警告してくれるなら、それに従えば良い。
間もなく終わり、始まるのだから。




