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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第7章 幸せを形にすると
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第54話 優しい刃

 日没前、ふたりと別れてシルリネアは帰路についた。家々には、ポツポツと明かりが灯され始めている。

 不思議な気分だった。仮とはいえ、帰る家がある。宿ではない、地に足の付いた家。

 失ったものが戻ってきたような錯覚さえ覚える。もうずっと、取り戻すことなどないと思っていたのに……。

 感傷的になってしまうのは、青嵐(せいらん)の皆が優しいからだ。まるで旧知の仲のように、それこそ家族のように、扱ってくれるから。


 いけない。

 シルリネアは首を大きく横に振った。

 目的を見失ってはいけない。

 ザフィルを殺す。

 それからでないと、何も始まらない。

 帰ったら水浴びでもしよう。できればお湯がいい。

 長旅の汚れを落とせば体がスッキリして、心も定まるはずだ。


 シルリネアの「家」には、明かりが灯っていた。

 まるで帰りを待ち侘びるかのように、軒下に提灯が下げられている。

 たったそれだけなのに、シルリネアはまた泣きそうになった。

 涙が遠ざかるまで時間を置き、慎重に家に入ると、メイランは既に戻ってきていた。

「お帰り、楽しかった?」

 メイランの笑顔につられて、シルリネアも微笑んだ。

「ありがとう、楽しかった。髪紐買って、お茶してきた」

 大丈夫、普通に振る舞えているはずだ。メイランの表情を、不自然にならない程度に窺う。

「そりゃあいい。向こうの部屋にお湯作ってあるから」

 メイランは笑顔で、土間になっている続き部屋を示す。見れば、昨日はなかった衝立が置かれており、入浴の姿を隠せるようになっていた。

 確かに体を綺麗にしたいと思っていた。お湯がいいとも考えた。しかしまさか、帰宅直後に叶えられるなんて。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 押し付けがましさの一切ない笑顔だった。ファランの言葉を思い出す。

 ——まるで、ご主人様を迎える犬みたい

 メイランが犬で私が主人だとして、私は、この素晴らしい忠犬の主たる資格はあるのだろうか。

 自信がない。彼の横に堂々と立つには、どうすればいいのだろう。


 簡易浴室になった土間には、お湯がたっぷり入った大甕と湯桶があった。

 湯を汲むために湯桶を持つと、コロリと湯桶の中の何かが転がった。

 何だろう。薄暗い中を手探りすると——石鹸だ。

「メイランこれ、石鹸……!」

 驚いて声を出すと、衝立の先でメイランが笑う。

「リュミエールからこのかた、ずっと買い直せなかったからさ。安洛通運で、稽古賃がわりに少しもらってきた。好きなだけ使って」

 青嵐(せいらん)の人たちもメイランも、何でこんなに優しいんだろう。

 嗚咽が出そうになるのを誤魔化すために、シルリネアは全身を石鹸の泡だらけにする。湯を汲み、派手な水音を立てて、何度も何度も洗い流した。


 ******


 シルリネアは、ぼんやりした顔で浴室から戻ってきた。

 体を洗うと、いつも気持ちよさそうな顔で戻ってくるのに……。

 メイランの心に不安がよぎる。

「どうした?」

 湯加減が悪かったのだろうか。そうであってほしい。そうであれば、謝るだけで解決する。

 だが違う。その程度の問題であれば、彼女は直接文句を言ってくれる。怒ったり笑ったり、表情豊かに抗議してくれる。

 だから違う。


 シルリネアに近寄り、恐る恐る表情を確認した。

 目が赤くなっている。石鹸が目に入った……のではない。

 きっと泣いていた。

 それを誤魔化すために、自分で石鹸液を目にかけたのかもしれない。やりかねないなと思いつつ、そっと声をかける。

「目が赤い。月嵐(ユエラン)のとこ行く?」

 診察の名目で、悩みを聞いてもらえばいい。月嵐なら、上手に聞いてくれるだろう。

 だがシルリネアは、首を横に振った。

「ごめん、メイラン、ごめん……」

 声がうわずっている。今にも泣きそうだ。

「なに難しいこと考えてんの。言ってみ」

 メイランは苦笑しながら、シルリネアを抱き寄せた。シルリネアは大人しく収まり、両腕でメイランの背中をぎゅっと掴む。

 いつもと同じ反応が返ってきて、メイランはホッとした。どうやら嫌われているのではなさそうだ。

「私、メイランに嫉妬してる……」

 ぽつりと転がり落ちたシルリネアの言葉は、メイランの想像の外にあるものだった。

「えっと……ごめん、どういう意味?」

 困惑しながら尋ねると、シルリネアの腕に力がこもった。

「メイランが、こんなに、素敵な人たちに、囲まれて、愛されてて、それで、私……」

 ああそういうことか。

 シルリネアの失ったものが、ここにあったから——。

「……気付かなかった。ごめん」

 一方的な気持ちを押し付けていた。

 青嵐の連中と付き合えれば、シルリネアの「未来」に、道をひとつ用意してやれると思っていた。

 だが違った。

 少なくとも、彼女の帰る場所はここではなかった。

 シルリネアは首を横に振る。

「違う。メイラン、は、悪くない……。私が、勝手に……」

 嗚咽が混じりはじめた。メイランは、抱き寄せた腕を少し緩める。彼女が自由に動けるように。

「でもさ、シルリネアも悪くないだろ。愚痴でも八つ当たりでも、何でも聞くから」

 だから泣かないでほしい……違う。笑顔を見せてほしい。

「な、いつでもいいから聞かせてくれよ。シルリネアの故郷のこと。親兄弟がいなくても、大切な人たちがいたんだろ?」

 泣きじゃくりながら、シルリネアは何度も頷いた。


 メイランは、ひとつ大きなため息をつく。

 ザフィルが、シルリネアをこうしてしまった。

 彼女だけではない。もっと多くの人たちも、きっと。

 やはり、許されるべきではない。たとえどんな事情があったとしても。

 俺も、許すべきじゃない——。


 ******


 泣くだけ泣いて落ち着いてきたシルリネアを、メイランは椅子に座らせた。

 泣き疲れたのか、シルリネアはうわの空だ。その様子が可愛らしいと思ってしまう。我ながらどうかしていると思いながら、メイランはしゃがみこんだ。

「腹減ったろ、何か持ってくるから待ってな」

 シルリネアと視線を合わせ、笑う。

 立ち上がりざま、シルリネアの頬に自分の頬をこすりつけた。昨日、彼女のやってくれた仕草を真似て。

 シルリネアは驚きで目を見開き——花がほころぶように笑った。

「ありがとう、メイラン」

 彼女の笑顔があまりにも美しかったので、メイランは思わず、シルリネアの頬に口づけをした。

「あ」

 やらかしたかもしれない。シルリネアは、ハリドが姪に向けた大量の接吻を、居心地悪そうに見ていたのに。彼女の故郷には接吻の文化がないのかもしれないと、気をつけねばならないと、思っていたのに……。

 そっとシルリネアの様子を窺うと——顔をリンゴよりも真っ赤に紅潮させていた。

 意図は伝わっていそうだ。ただし、だいぶ大げさに。

 ……まぁいいか。

 大げさに捉えられても、たいした問題ではない。メイランはそう判断し、せっかくなのでもう一度頬に口づけをしてから、夕飯を探しに外へ出た。


 共同の炊事場で首尾よく残り物を見つけ、帰り道でメイランは考える。

 黒嵐(ヘイラン)紅嵐(ホンラン)の協力のおかげで、魔法が無効になる効果範囲は、ほぼ掴んだ。

 手足の届く範囲。武器を持っていると、それも効果範囲になる。

 武器まで効果範囲に含まれるのは、おそらくメイラン自身の認識によるものだ。メイランは武器を、自分の手足の延長だと思っている。その感覚が、効果範囲にも影響を及ぼすのではないだろうか。

 効果範囲の中に収まってさえいれば、他者を魔法の影響から守れることもわかった。つまりザフィルと対峙する時、シルリネアを魔法から守ることができる。

 これは大きい。


 ただし、抜け穴も見つかった。

「結構でかい穴だし、きっとすぐバレるよなぁ」

 メイランが独りごちる。判明した瞬間から、嬉々として攻め立ててきた黒嵐を思い出し、苦笑した。

「黒嵐に負けることはねぇけど」

 ザフィルならどうだろうか。都市を、国を、一瞬で滅ぼす魔法使いだ。

 抜け穴を塞ぐには、物理的な防御以外にない。だが物量で押されたら、押し負ける。

 金属鎧が有効だろうが、重い鎧をメイランは好まない。堅牢さの代償に体の自由が奪われるのは、酷く不快だった。できる限り身軽でいたいから、岩嵐(ガンラン)には革鎧を依頼している。


 メイランは、魔法で起こされた風などに飛ばされたものを、無効化することができなかった。

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