第51話 いつ
いつから体が魔法を受け付けなくなったのか。
元々。
その表現が、メイランにとっては適切だった。
自覚したのは、13歳か14歳か。そろそろいいだろうと言われ、魔物退治に同行した。
初陣だった。
とある村を魔物が脅かしており、それを退治する仕事を青嵐が引き受けた時のこと。
巨大な蜘蛛のような姿をした魔物だった。獲物を魔法の糸で絡め取り、喰らう。メイランは魔物の吐き出す糸を避けきれなかったのに、絡め取られることはなかった。
体に届く前に、糸が消えたからだ。
メイランは驚いたが、都合が良いとしか考えなかった。そのまま蜘蛛に肉迫し、脚と顎を避けて腹を貫いた——その後すぐに跳ね飛ばされたが。
それが最初だった。
その後、数々の経験を経て、どうやら自分は魔法が効かないようだと結論付け、青嵐の仲間たちもそう認めた。
以来、シルリネアと出会うまで、魔法が彼に影響を及ぼすことはなかった。
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シルリネアは、昔から癒しの魔法を使うことができた。
リュミエールでは、元々使えたと言った。
嘘だ。
シルリネアは、自分がこの魔法を使えるようになったきっかけを、よく覚えている。
今は言えないけれど、いつの日か、メイランにはそのことを伝えたいと思う。
怒られたり嫌われたりすることはないと信じているが……どうだろうか。
困らせるかもしれない。それだけであってほしい。心からそう願う。
それでもいつか、機を見て話したい。
少なくとも、ザフィルが生きているうちは無理だろう。
そのためにも、ザフィルは殺さなければならなかった。
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ザフィルは、人里を可能な限り避けている。
同じ場所に留まると魔素が歪んで魔物を引きつけるので、定住もしない。
魔物は、人を襲う。
人を襲うことはどうでもいいが、人間の悲鳴は甚だ不快だし、我が物顔で暴れる魔物も鬱陶しい。
だからザフィルは多くの場合、人のいない場所を彷徨っている。
魔素を歪ませるようになったのは、いつ頃からだったろう。
少なくとも、あの師を殺した後だ。あそこにいた頃は、そんなことはなかった。
魔法王国を滅ぼした頃には、歪むようになり始めていた。
だから魔法王国を出ようとしたのに。
あの愚物どもは、軟禁しようとさえした。
民衆は何を勘違いしたのか、利得を求めはじめた。国のために、自分のために、お前の力を使えと口々に言い立てる。
魔素の歪みに気付けないくせに、魔法王国を自称する王家と宮廷。
ザフィルの力を自分の力だと勘違いした民衆。
どちらも等しく愚昧で、ゆえに等しく滅ぼした。
魔素の違和感に気付いたのは、ヴェンツェルだけだったと思う。
だからヴェンツェルは生かした。
彼だけが、他と異なっていた。
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ヴェンツェルは沈黙の書を精読している。
理路整然とした本だ。
破綻なく、ひとつの術理を解説している。
魔法使いの魔力を封じる方法を。
その方法は、莫大な魔力を必要としていた。
とても独力で捻出できる魔力量ではない。
だがこの本には、不足する魔力を補う方法まで提案されている。
世界中のあらゆるものに遍在する魔素を抽出し、魔力とかけあわせて使う方法だ。
魔素は扱いが非常に難しく、魔力のように精密な操作もできない。
それでも夢を諦めきれない世界中の魔法使いが、魔素の「飼い慣らし方」に苦心しているのが現状だ。
それなのにこの本には、「飼い慣らし方」の完璧な回答に近そうなものが、書かれていた。
書かれている魔法理論が、現実の数歩先を行っている。古語で書かれているのに、まるで未来からやってきた本のようだ。
この方法さえ会得できれば。
独力でザフィルの魔力を封じることさえ、可能かもしれなかった。
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ザフィルと邂逅した翌朝、メイランがシルリネアを連れて行ったのは、工房だった。
「岩叔ー、おはよー」
メイランは開け放たれた扉の内側をひょいと覗き込み、声をかけた。
「おう、梅嵐か。早いな。まあ入れ」
そこにいたのは、やや小柄で筋肉質の男性だった。黄嵐と同年代に見える。
招かれたメイランは遠慮なく工房に入り、シルリネアもそれに続いた。
工房の中は整然としていた。あるべきものがあるべき場所に揃っている——そんな安心感がある。
「シルリネア、この人が岩嵐。親父の義兄弟で、工房の主。岩叔、彼女がシルリネア。一緒に旅してる」
メイランは岩嵐とシルリネアの間に立ち、互いを紹介した。シルリネアはぺこりと頭を下げ、岩嵐も目礼で返す。
「でさ、岩叔。俺と彼女の武器防具を頼みたいんだけど」
「ああ、黄嵐兄貴から聞いている。どういうのがいいんだ」
「俺は剣と革鎧。弓もあるといいけど、これは絶対じゃないかな。シルリネアには小さめの剣と弓、短剣、あと動きやすい鎧か何か。俺が前衛で、彼女は後衛」
スラスラ話すメイランを、岩嵐はじろりと睨みつけた。だがその表情は怒りというよりも、愛すべき子を叱りつけるかのようだ。
「お前が前衛なのは当たり前だ。それにしても、ずいぶん多いな。彼女の武器とお前の弓は、ここから好きなものを持っていくといい。残りは作るとして……1か月ぐらいか」
「それでいいよ」
メイランは言い置いてから、工房内に置かれている武器を物色しはじめる。シルリネアもそれに付いて行こうとしたら、岩嵐に止められた。
「お前さんは採寸。良い鎧を作るには、寸法が大切だ。こっちに来なさい」
岩嵐は工房の隅を衝立と布で区切り、シルリネアを入れた。
「本当は女性に採寸された方がいいだろうが、うちは女手がなくてな。勘弁してくれ」
言いながら岩嵐は採寸紐を取り出し、シルリネアの体の各部を測りはじめた。
「シルリネアー、変なことされたら躊躇なく殴っていいからなー」
メイランが衝立の向こうから声をかけてくるので、シルリネアはクスリと笑ってしまった。
岩嵐の採寸は、非常に手際が良かった。恥ずかしさを覚える暇さえない。シルリネアも故郷で服を仕立てる時に採寸することはあったが、ここまで上手くできるとは思えなかった。
「……すごくお上手ですね」
純粋な敬意でシルリネアが言うと、岩嵐は少し恥ずかしそうに笑った。
「そんなことを言われたのは、初めてかもしれんな。慣れていると言うのは楽だが……ありがとう」
「岩叔、彼女最高だろ?」
武器を漁る手を止めず、メイランは声だけを投げてきた。岩嵐は肩を揺らし、腹から笑う。
「お前にもったいないのは間違いないな」
「だよなぁ」
メイランの笑い声が聞こえてくるので、シルリネアもそっと微笑んだ。昨晩の出来事を考えると、想像以上に彼は立ち直っているように思えた。
採寸を終えて岩嵐の工房を出る時、シルリネアの手には小剣と短剣、短弓が握られていた。
メイランの手にも弓があり、矢を多めに入手していた。
「これで武器防具はだいたい揃ったとして、次は…………あ」
前方から、誰かが歩いてくる。メイランが大きく手を振った。
「誰?」
シルリネアの問いかけに、メイランが笑う。
「雪月花のお姉様がた」
昨日、外出していると黄嵐が言っていた人たちだ。シルリネアは華嵐とは面識があったが、他のふたりは初対面だ。少し緊張していることを自覚する。
きっとメイランが、彼女たちを「美人で怖い」などと言ったからだ。緊張の理由をメイランに押し付けながら、シルリネアは彼女たちを迎えるための心づもりをした。




