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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第6章 生命と決断
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第50話 お前を殺す

 宴がはけて、シルリネアとメイランは借りている空き家に戻る。

 楽しい時間を過ごし、あとは寝るだけと思って家の扉を開けると――。


「いい夜だね」


 男児の……カルブの声。

 扉から差し込む月明かりに照らされ、机の上に座る子犬が見えた。子犬の横には、短刀が置かれている。優美な曲線が特徴的だ。

 メイランは腰の剣を確認して、シルリネアよりも一歩前に出る。

「何の用だ」

 カルブは薄く笑った。

「兄様たちが楽しそうで良かった。今日はね、お使いだよ」

 首を曲げて、短刀を示す。カルブの首に食い込んだ真紅の首輪が、血のようにどろりと輝いた。

「主様からシルリネアに。この短刀なら、主様を殺せるよ」

「どういうこと」

 シルリネアは、警戒心もあらわに問いかけた。おかしい。どうしてこいつは、こんなに静かなんだろう。今まではもっと、はしゃぐような声を出していたのに。

「言葉のままだよ。主様の作った、主様を殺すための短刀を、シルリネアにあげる。嬉しいでしょう?」

 穏やかに揺蕩うような声が、あまりにも不気味だ。

 カルブは小首を傾げ、メイランを見た。

「兄様は絶対に触らないでね。主様のかけた魔法が、消えちゃうから」


 ******


 ヴェンツェルは船上にいた。

 光の神の神殿の招聘を受け、ゲルハルトと共にかの国へ向かっている。

 聖堂騎士団のルイス団長との対話を終え、部屋に戻ると。

 机の上に、一冊の本が乗っていた。

 見覚えのない装丁だ。少なくともヴェンツェルのものではない。

 何の気なしに、本を手に取る。

「沈黙の書?」

 古語で書かれた魔導書だ。魔法で明かりを灯し、本を開く。

 上質な紙に書かれた内容に目を通していくと。

「何だこの本は……!」

 思わず声が漏れた。本を持つ手が震え、暑くないのに汗が額に滲む。

 恐怖と興奮で、ページを繰る手が止まらない。


 とんでもない魔導書だ。

 この本ならば、この内容ならば、もしかしたら――。


 ザフィルを殺せるかもしれない。


 ******


 カルブがゆったりと机に伏せる。

 空間が大きく歪んだ。空気の手触りが異様だ。

 この世のものではないような重圧と圧迫を、シルリネアは感じた。

 息が詰まる。

 魔力を知覚できないメイランにさえ、異常な空気が伝わってくる。

「こんばんは」

 唐突に、男性の声がした。月白色の痩せた少年が、机の横に佇んでいる。

「ザフィル!」

 シルリネアが叫んだ。ありったけの憎悪を込めて。呪い殺さんばかりの声で。

「ザフィル、お前……」

 メイランの声はかすれていた。シルリネアを背に庇う。

 ザフィルは焦点を結ばない虚ろな目を、それでもメイランに向ける。

「話が、あるんでしょ。聞きに来たよ……メイラン」


 ******


 シルリネアの目の前には、短刀がある。

 あれで、ザフィルを殺せるという。

 ほんの数歩だけ歩き、手を伸ばせば届く。

 シルリネアにとって、それはあまりにも甘美な果実だった。

 今すぐ手に取り、鞘を払い、斬りつけたい。できれば首か心臓に。そうでなくとも、こいつに傷を負わせたい。

 ――だめだ、今じゃない。

 シルリネアは懸命に自制した。今はメイランが、ザフィルを見極める時だ。

 自分の心は決まっている。あとは彼の心が決まれば、何の迷いもなく進めるようになるはずだ……良くも悪くも。

 できれば良い方になってほしい。祈るような気持ちで、シルリネアはメイランの背に手を触れた。

 ******


 背中に押し当てられたシルリネアの手が熱い。その熱さを、生命を、メイランは強く意識した。

 対して目の前にいるザフィル……弟は、あまりにも生命力が希薄だ。生きる意思を感じない。

 褪紅色の瞳が、死のみを宿している。

「お前はなんで、死にたいんだ」

 暗澹たる気持ちでメイランが問うと、ザフィルはゆらりと首を傾げた。

「さあ。わからない。どんな理由が、いいと思う……?」

 生きる理由がないのだろうか。そんな考えが、ふとメイランの頭をよぎる。

「じゃあ、どうして殺す?」

「大抵は、うるさいから、かな」

 混乱する。虚ろに響くザフィルの返答は、常軌を逸していた。

 急かすように打ち付ける鼓動を感じながら、メイランはもっとも知りたかったことを口にする。

「お前は、俺の弟、なのか……?」

 ザフィルは微かに思案するそぶりを見せてから、うっすらと口を開いた。

「僕はルハサーンを知っている。飢えと暴力、ゴミ捨て場、瞑想室、扉さえない寝床。冷たい石壁に兄が書いた血文字……どう思う?」

 メイランの体が、ビクリと震えた。震えた理由はメイラン自身にもわからない。だが――。

 あまりにも……あまりにも記憶が重なってしまうことを、否定できなかった。


 飢えと暴力は日常だった。

 ゴミ捨て場で何かに吹き飛ばされ、弟と生き別れた。

 瞑想室は恐怖の象徴で、扉のない物置の隅が寝床だった。

 寝床の石壁に、盗み見た文字を書いて遊んだ。血がインクの代わりだった。


 これらをすべて知っているのは――弟しかいない。

 弟と生き別れて17年になる。ずっと会いたかった相手が、目の前にいる。

 それなのに。

 いや、だからこそ。

「お前は……俺の弟だ……ザフィル……」

 メイランが、悲痛な声を絞り出した。


 弟は、死にたがっている。

 弟は、愛しい人の故郷を、幸せを壊した。


 その事実があまりにも苦しくて、俯いた。


 ******


 シルリネアは、今すぐにでもザフィルを殺したかった。

 自身の復讐のためでもあるし、優しくて愛しい人(メイラン)をここまで追い詰めるのも、許しがたい。

 殺す相手がいて、殺すための道具もある。好機だ。

 しかしそれでも、シルリネアは動かなかった。

 メイランには、彼自身の意志で決めてもらわないといけない。

 そうしないと、後悔してしまうから。


「……どうすれば、いいんだろうね……」

 ザフィルが心の断片を呟く。

「この街を、壊せばいい?」

「よせ!」

「だめ!」

 メイランとシルリネアが叫んだ。対するザフィルは、ひどく落ち着いている。

「やらないよ。まだ、ね……」

 まだ。その言葉がメイランを戦慄させた。青嵐(せいらん)を壊される訳にはいかない。

 やはり、どうしても……やるしかないのか……本当に……? 他に道が…………。

 この期に及んで、逃げ道を探そうとしている。メイランは自分の浅ましさに気付き、己を罵り、蔑んだ。

 最愛の人(シルリネア)はとっくに決めている。自分も決めなければならない。そうしないと、未来に進めない。

 唇を噛み切らんばかりに食いしばり、震える手で拳を握る。

「……わかった」

 メイランがザフィルを見据えた。

「お前を殺す。俺が、この手で」


 シルリネアが、歓喜に震えた。

 ザフィルが、口の端をうっすらと吊り上げた。


「そう……」

 ザフィルが言う。

「じゃあ石哭谷(せきこくこく)あたりはどう。ここでやると、あなたの大切なものを壊してしまうでしょう」

 石哭谷。人里離れた風鳴りの谷だ。確かにあそこなら、ザフィルが大規模な破壊の魔法を使ったとしても、誰かを巻き込むおそれはない。

「わかった」

 メイランの返事に、ザフィルは口角だけで微笑んだ。

「じゃあ待ってる……好きなだけ準備して」

 そう言って、ザフィルは消えた。カルブもいなくなり、短刀のみが机上に残された。


「メイラン……!」

 シルリネアが、メイランを背中から抱きしめる。彼のつらい決断を労う気持ちが半分。もう半分は、同じ道を進める喜びだった。

「待たせてごめん」

 シルリネアの震える手をさすりながら、メイランが微笑んだ。

「あいつの言う通り、きっちり準備してから行こう――絶対に、殺せるように」

 背中越しに、シルリネアが何度も頷く感触が伝わってくる。

「いい武器とか揃えて、できたらヴェンツェルにも会いてぇよな。あと、親父たちにも事情話して……」

 メイランはシルリネアの腕をそっとほどき、彼女を見つめた。シルリネアも、強い意志を宿す瞳で見つめ返す。

 万感を込めて、メイランは大きく嘆息した。

「やっぱ綺麗だなぁ……」

 腕に力をこめ、メイランはシルリネアを抱きしめる。

 シルリネアの腕がゆっくりと動き、優しく包み込むようにメイランの背に回された。


 生命の温もりが、泣きたくなるぐらい心地よかった。

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