第48話 親子兄弟姉妹
安洛城に入り、大通りを歩く。安洛通運に着く直前、唐突に照嵐が口を開いた。
「そういえばシルリネア姐さんの名前って、どういう意味があるの?」
「森と湖の古い言葉の組み合わせ、かな」
「綺麗な名前だなぁ。姐さんにぴったりだ」
照嵐がしみじみと言った。
「じゃあさ、湖姐って呼んでもいい?」
「あ、いいねそれ。湖の名前、まだいなかったよね」
「いないと思う」
照嵐、紅嵐、黒嵐がそう言って笑いあい、メイランは苦笑した。
「シルリネア、まともに相手しないでいいから。こいつら、悪ふざけ始めると止まらねぇし」
シルリネアはクスクスと笑う。彼らの温かさが心地よかった。
「嬉しい」
「あーあ、知らねぇぞ」
メイランは呆れ顔で、シルリネアを中心にはしゃぐ照嵐たちを眺めた後、捕虜たちを見た。
「こいつら見てると気が抜けるかもしれねぇけど、付き合ってやってくれよ。あんたらが逃げない限り、楽しくやれるよ」
リュミエールの「客人」3人は、何も言えなかった。想像していた捕虜の立場と異なりすぎていて、理解が追いつかない。
安洛通運に着くと、メイランは捕虜の扱いを紅嵐と黒嵐に任せた。捕虜たちがどこかに連れて行かれるのを見送ってから、彼は荷車の端に座り、シルリネアにも座るよう勧めてから照嵐に問いかける。
「でさ、親父と岩叔はどこにいんの? 挨拶したいんだけど」
「安洛城の家にいるよ。俺さ、バフリヤであいつらが梅哥たちを探してるの見て、慌てて戻ってきたんだよ。途中で親父にも鳩飛ばしてさ。そしたら親父、梅哥に会いたくてこっちまで来ちまってさあ」
「あいつら、バフリヤにいたのか……へぇ……」
メイランが嬉しそうに笑った。ライラがそう仕向けてくれたのだろう。
「ライラさんにお礼しないとね」
シルリネアも微笑む。状況を掴みきれていない照嵐に、メイランが笑いかけた。
「夜にでも話すよ。それより、親父と岩叔がこっち来てんなら、今から行かねぇとな。シルリネア、もう少し歩ける?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ行くかぁ」
シルリネアを先導するように、メイランが立ち上がった。シルリネアも続いて腰を上げる。
照嵐はニヤニヤが止まらない。あの梅哥が、こんなに甲斐甲斐しくなるなんて。梅哥のあんなことやこんなことを、シルリネアに話したくて仕方がなかった。
だが彼はそんなことをおくびにも出さず、ニコニコと二人を見送った。
「いってらっしゃい。また後でね、湖姐、梅哥」
今晩は帰還の宴が開かれるだろう。あの親父が、梅哥を見逃すはずがない。
******
ザフィルの目の前には、美しく弧を描く短刀が2振りある。
そのうちの1振りを、彼は懐に収めた。
「沈黙の書はヴェンツェルに、これはシルリネアに」
それだけを告げて、ザフィルは空間に溶け込み、姿を消した。
短刀だけが残された空間に、ふわりとカルブが現れる。
慎重に短刀の周囲を嗅ぎ回り、しばらく考えた末、短刀の傍らで身を伏せた。
「すごく強い力……主様、ずっとこれを作ってたんだね……」
カルブは穏やかに瞳を閉じ、歌うように囁く。
「ボク、消えちゃうかなぁ……でも、もういいのかも……」
誰に届けるでもない声が、子守唄のような旋律で、どこへともなく流れていく。
「だって、主様、そろそろ死ねそうだし……ね」
******
メイランに案内されて辿り着いたのは、街外れの集合住宅だった。
壁で囲われた中に、複数の住宅が建てられている。まるで小さな要塞だと、シルリネアは思った。
「ここが安洛城の拠点」
メイランは軽い足取りで中に入り、迷うことなく一軒の家の扉を叩いた。
「梅郎です。親父、開けてよ」
少し甘えるような、嬉しそうな声で、メイランが訪問を告げる。
程なくして、扉が勢いよく開かれた。姿を現したのは、老境に差し掛かった男性だ。背が高く、恰幅もいい。
「梅嵐久しぶりだなぁ! 全然連絡もよこさず、薄情な息子だなお前は!」
ビリビリと腹の奥から響く大声で、男性はメイランを抱きすくめた。
「華姐と照弟には連絡してただろ! 苦しい苦しい、死ぬ死ぬ死ぬ!」
「数年に一度を連絡とは言わんだろうが!」
メイランが半ば本気で苦しがっているのを見て、シルリネアは呆然としてしまった。これが青嵐の長、メイランの「親父」……。
「……おや、こちらのお嬢さんは?」
シルリネアの存在にやっと気付いたらしい。「親父」の目が彼女を捉えた。メイランを抱きしめる力がゆるみ、彼はやっと解放される。
「……死ぬかと思った……。親父、彼女はシルリネア。一緒に旅してんだ。シルリネア、これが俺らの親父、黄嵐」
「あの、はじめまして、シルリネアです」
シルリネアが一礼すると、黄嵐は満面の笑顔を見せた。
「おお、はじめまして。華嵐から話は聞いてるよ。ようこそ安洛城へ。せっかくだし、中に入りなさい」
室内は温かく、生活感が強く滲んでいた。煤けた土間に続く居間があまりにも庶民的すぎて、「長」という肩書が似合わない。
「妻と月嵐と華嵐は、ちょっと出かけててね。明日か明後日には戻ると思うんだが」
シルリネアに椅子を勧めながら、黄嵐が言う。
「へぇ、雪月花が揃ってどちらへ?」
メイランは適当に椅子を見繕い、シルリネアの横に座った。
「雪月花?」
シルリネアが首を傾げる。詩的で美しい響きだ。メイランが笑って肩をすくめ、説明する。
「ああ、母御が雪嵐、母御と親父の実の娘が月嵐で、長女的な立ち位置の華姐と合わせて、雪月花。こわーくて美人の三人組」
黄嵐も肩を揺らして笑った。
「青嵐を支えてくれる大切な三人だぞ、あまり悪く言うんじゃない」
「はいはい。岩叔は? 工房?」
「岩嵐は工房だと思うが……お前、また壊したのか? せっかく岩嵐が作ってくれたものを」
呆れ声の黄嵐に、メイランは苦笑した。
「違う違う。没収されたの。リュミエールでヘマした時に、あそこの大神殿で。でさ、ついでだしシルリネアのも作って貰えねぇかな、なんて」
「ああ、照嵐が言っていたやつか。お前がリュミエールから追われてるとか何とか」
「そう、それ」
「あ、あの」
口を挟む隙さえない会話の中、シルリネアがどうにか声を出した。
「それ、私のせいなんです。メイランは止めてくれてたのに。だから……」
メイランと黄嵐は顔を見合わせ、二人で笑った。
「そんなこと気にしてたのかよ。シルリネアは間違ったことしてねぇんだから、堂々としてな」
メイランの言葉に、黄嵐も首肯した。
「己の良心に恥じることがないなら、気にしないでいなさい。さて梅嵐、今晩はお前の帰郷祝いをするからな。逃げるなよ」
「わかってるよ。どうせ照嵐が触れ回ってるさ。親父、空き家借りるからな。荷解きしてぇし、朝っぱらからそのリュミエールの連中とやりあったんだ、少しぐらい休ませてよ」
シルリネアは微笑んだ。彼らの自然なやり取りが、とても幸せそうに見えたから。
話し足りなさそうな黄嵐のもとを何とか辞し、メイランは空き家を探す。幸か不幸か、すぐに見つかった。
「ここにしよう。少し埃っぽいけど、何とかなるな。野宿よりはいいだろ」
机と椅子に積もった埃をはたき落とし、メイランが苦笑した。
「うるさい親父で悪かった。とりあえずゆっくりしよう。メシは中庭だろうから、騒がしくなってきたら出ればいい」
「いい親父さんじゃない、優しくて。ああいう人のもとにいるから、青嵐の人たちは明るくてのびのびしてるんでしょ」
シルリネアは笑う。お世辞ではなく、本心だった。メイランも楽しそうに笑う。
「縦も横も懐もでかいんだよ、あの人はさ。すぐ捨て子とか拾ってきて養子にしちまうから、兄弟姉妹が増える増える。今いるのは10人ぐらいかな。しかも実子と養子をロクに区別しねぇんだから、困ったもんだよ。もう少し区別してくれた方が、俺は楽なんだけど」
メイランの最後の言葉に、シルリネアの心はチクリと傷んだ。癒しきれない心の傷が、そこにあるように思えた。
「そういえば、シルリネアの親って、どういう人だったんだ?」
ふと思いついて、メイランは尋ねた。彼女の村の話や師匠の話は聞いたが、親兄弟については聞いたことがない。
「私の?」
「そう」
シルリネアが悪戯っぽく笑った。
「私の親はね……知らない。村の人たち全員に、育ててもらったの」
「え?」
メイランは二の句が継げない。まさか彼女が、こんなに幸せに、普通に育っていそうなシルリネアが、親を知らないだなんて。思ってもみなかった。
「兄弟姉妹もいない。私ね、結構知らないことだらけなの」
ごく自然に、シルリネアは微笑む。何の気負いも、気後れもなく。
「でも、そんなこと関係ない。私は私だし、メイランはメイラン。それで十分」
中庭が、少し騒がしくなってきた。




