第4話 10割の反動
シルリネアは、両腕に強い鈍痛を感じていた。
おかしい。こんなに痛みを感じるなんて。
しかし考える間もなく、メイランの記憶が流れ込んできた。
棍棒を受ける瞬間、監督の男の顔が変化した。
まったくの別人だ。悪意と嘲笑に満ちた、酷く醜い表情をしている。
メイランは、この人物から棍棒を振るわれたことがあるのだろうか。または、それに近い暴力を……?
次に見えたのは、シルリネアの顔だった。肩越しに、さっと目の端で捉えている。
シルリネアの顔も変化した。痩せこけて怯えた、10歳にも満たないような男の子だ。
ボロ布を身にまとい、露出している肌は傷だらけ。あまりにも痛ましい。
シルリネアの背後にいる少年の顔も、変化した。さらに幼い、同じように哀れに痩せた、傷だらけの男の子へと——。
ぶつりと記憶の奔流が途絶えた。
メイランの記憶を「視た」のは、まばたき数回分程度の時間だろう。
それなのに、ここまで強烈なものは初めてだ。
村では、怪我を負った瞬間を追体験するだけだったのに……。
記憶だけじゃない。痛みの強さも今までとは比較にならない。
かわいいトンミが転んだ瞬間、ヘイノが鹿の角に突かれた瞬間。シルリネアは、そういったものを何度も「視て」きた。
傷を負った瞬間を「視る」と、その痛みの欠片が伝わってくる。そこまでは、いつものことだ。
しかし今回は、あまりにも痛烈すぎる。
痛みの欠片どころではない。きっと「すべて」だ。
シルリネアは、荒い息をついていた。汗が止まらない。
「メイラン、あなた、魔法が……」
やや青ざめた表情で、呼吸を整えながら、途切れ途切れにシルリネアが問いかける。
メイランは、戸惑い気味に頷いた。
「俺、魔法、効かねぇんだよ。それなのに、なんで……」
「そう、なの……!」
合点がいった。
どうしてこんなに、痛みを感じるのか。
どうしてあんなに、魔法が入りにくかったのか。
普段はするりと入り込む癒しの力を、今回は強く押し込む必要があった。
メイランは、魔法を受け入れない体質なんだ。
体質を無視して強引に癒しの魔法を伝えたから、あれだけの痛みが返ってきた。
ごく稀に、そんな体質の者がいるという話は、故郷の薬草師、バーバ・ロゥから聞いていた。しかし、ここで出会うなんて。
呼吸を整えてから、シルリネアは改めてメイランに向き直る。
「私の癒しは、ほとんどのものを完全に治せるの。傷以外を癒すこともできる。でも、反動があって……」
シルリネアが袖をまくりあげると、そこには先程メイランが負っていたものよりも、やや軽い打撲傷があった。だがメイランと異なり、両腕が傷ついている。
この打撲傷ふたつを足し合わせれば、メイランが負っていた傷と同程度になるかもしれない。
******
メイランは自分の記憶を探った。宿を出る前まで、シルリネアにこんな傷はなかったはずだ。
港に向かう道中、シルリネアの様子は慎重に見てきた。あんなに自然に動いていたのに、腕に傷を負っていたとは思えない。
では、いつできた傷なのか。
今しかあり得ない。
シルリネアが困ったように笑う。
「普段、ここまで反動がくることはなくて……。たとえば、転んで膝をすりむいた子を癒したら、指先に小さなかすり傷ができるぐらい。だから今回も、ちょっと痣ができるくらいだと思ってたんだけど……」
自己犠牲を伴う治癒魔法なんて、聞いたことがない。メイランはぞっとした。
「癒してくれたことには感謝する。でももう、使わないでいい……!」
危険だ。直感的にメイランはそう思った。膝の傷を癒して、指先にかすり傷ができる程度ならいい。だが、どうやら自分に対しては、そんな生易しい反動にはならないらしい。
もしも、もし仮に、自分の傷に対して、シルリネアが己の体力を超えて癒してしまった場合は……?
背筋に恐怖が走った。身震いする。
シルリネアは微笑んだ。柔らかい笑顔だが、瞳には強い意志が宿っている。
「ありがとう。でも、必要だと思ったら使うわ」
「だめだ……いや、他の奴らならいい。でも、俺には使わないでくれ、頼むから……!」
メイランは、自分自身の特異な体質のことをよく知っている。
魔法が届かない。どんな魔法であっても、例外なく。少なくとも今まではそうだった。
それなのに、シルリネアは癒しの魔法を届けた。それがどれだけ高度なことなのか、あるいはどれだけ大変なことなのか。
メイランは魔法のことなどさっぱりわからない。しかし、想像することはできる。
——きっと、負担が大きすぎる。
死という単語が脳裏をかすめ、慌てて振り払った。
生き別れも死に別れも、金輪際ごめんだ。しかも、自分が原因になる可能性が高いだなんて。
あまりにも不快すぎて、吐き気さえ感じる。
「気をつけるから、大丈夫」
シルリネアは頑固にも、まだ使うと主張している。
どうすればいい。どうすれば、彼女に癒しの魔法を諦めさせられるだろう。
メイランが考えこんでいる間に、シルリネアは再び微笑んだ。
「気遣ってくれるのは本当に嬉しい、ありがとう。でも私は、目の前に助けられる人がいるのを、見逃すなんてできない。手が届くなら、なおさらのこと」
超然と微笑むシルリネアに焦りさえ覚えて、メイランは声を絞り出した。
「そういう問題じゃねぇだろ……!」
どうしてそう、死にたがるようなことをするのだろう。
もっと安全な方法はいくらでもあるし、今回だって、魔法を使うほど重症でも、緊急事態でもなかったはずだ。
シルリネアの罪悪感? 自分が庇ったから?
ではどうすれば良かったのだろう。あれ以外の方法なんて、なかったじゃないか。
「ねえメイラン」
シルリネアが戸惑いながら、メイランに声をかけた。
この人は、どうしてこんなに悩んでいるんだろう。彼女の顔には、そう書かれている。
シルリネアの表情を見て、メイランは少し落ち着きを取り戻した。彼女を困らせたり、悩ませたりする気はなかった。感情を押し付けすぎていたことに気付く。
「……ごめん。なに?」
シルリネアの表情が緩んだ。安堵の表情を浮かべて、彼女は言葉を続ける。
「あの子をどうすればいいか、考えたいんだけど。それとね、もうひとつ」
「うん」
メイランが応じると、シルリネアは神妙な顔つきで彼をしっかりと見た。
「あなたに話しておかないといけないことが、あって……」




