第3話 困り事と厄介事は掟に従え
目の前に苦痛があった。
その既視感に、メイランは顔をしかめる。
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メイランは、シルリネアを連れてヴァルグリムの港に来ていた。
ヴァルグリムの港は、そもそもあまり治安が良くない。
そんなところに、素朴な村娘丸出しのシルリネアを連れて行く。躊躇がなかったとは言えない。
だが、彼女がどうやって北大陸からやってきたのか。その手がかりになりそうな場所は、港しか思いつかない。
治安の悪さは気がかりだが、日中であれば大丈夫だろう。自分が横にいれば、厄介事に巻き込まれる可能性は、さらに減るはずだ。
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……と、思ってたんだけどなぁ。
メイランは目の前の光景に、苦々しい気持ちでいる。
荷役たちが、船荷の積み下ろしの仕事をしている。
そこまでは、いい。
問題は荷役にごく幼い少年が混ざっていて、しかも、痩せこけて怪我をしているということだ。
子供が大人に混ざって仕事をするのは、よく見る光景だ。だがあの少年は、明らかに酷使されすぎていた。目の力が失われている。
あれは良くない。
「ねえメイラン、あれ……」
シルリネアも気付いた。形のいい眉をひそめ、薄荷色の瞳の奥には義憤が揺らいでいる。
「わかってる」
助けてやりたい気持ちはある。酷使される子供を見るのは大嫌いだ。虫酸が走る。
だが、荷役たちの監督者らしい男がいた。中年で背が高く、筋肉質。棍棒を手に威嚇しながら彼らの間を練り歩いている。
あの棍棒の男を片付けるのは、簡単だ。だが問題はその後。あの少年をどうするのか、そして、どう立ち回るのか。
特に今は、シルリネアがいる。彼女を巻き込みたくない。
だからメイランはシルリネアの手首を軽く掴み、首を横に振った。
その時だった。
荷役の少年がつまずき、転倒した。運んでいた荷物が飛び散る。よりによって陶器だ。砕けた破片が散乱した。少年は転んだまま、青ざめる。
「このガキ!」
監督の男が、足早に少年に向かってくる。棍棒を振りかざしながら。
「す、すみません!」
必死の声が少年から発せられた。だが監督の男は、冷酷に棍棒をふりかぶる。少年の口から、か細い悲鳴が聞こえた。
ヤバい。そう思った瞬間、横から黄金色の風が走った。シルリネアだ。メイランの手をほどき、髪を乱し、少年のもとに走る。
半呼吸の後、メイランも後を追った。無謀だ。彼女ではどうにもできない。舌打ちをしたい気分に駆られたが——なぜか、口は笑みの形を取っていた。次いで心が軽くなる。
彼女の行動が、必死さが、とても好ましく映った。
無謀だが、勇敢だ。それも並外れて。
シルリネアは、少年と監督の男の間に立ちふさがった。身体を大きく広げ、少年をかばう。
「どけ!」
監督の男が、棍棒を振りかざして怒鳴る。腹の底からの威嚇だ。喧嘩慣れした者であっても、怯むぐらいの迫力がある。
「だめ!」
だがシルリネアは、臆せず叫んだ。半歩さえ引かない。
痛快だった。快哉をあげたくなる。男が怒りに任せて棍棒を振りかぶる。
さあ、俺の仕事はここからだ。
メイランは愉快な気分のまま、今まさに棍棒を振り下ろそうとしている男とシルリネアの間に、割って入った。
鈍い音と衝撃が、メイランの左肩に走った。
「いってぇ……!」
棍棒を肩で受けたせいで、左肩がしびれる。だが、骨が折れるまではいっていないだろう。
視界の片隅で、シルリネアと少年の無事を確認した。このふたりが棍棒を受けることにならなくて、本当に良かった。
メイランは男の棍棒を右手でいとも簡単にひったくり、海に向けて放り投げた。
「その坊主連れて、来た道を戻れ。できるな?」
シルリネアに声だけを投げた。目の端で、シルリネアが頷く。
「よし、行け」
メイランの声と共に、シルリネアが少年を引っ張って走りだした。
「待ちやがれ!」
男が叫び、後を追おうとしたが、メイランが邪魔をする。
「その前に俺と遊んでよ」
軽薄さを意識した声をかけると、男はカッとなって殴りかかってきた。メイランは拳を避け、突き出された腕を掴んで後ろに投げ飛ばした。体格差をものともしない。
男は頭を打ち、気を失った。
「さて」
メイランが周囲を見回す。
この男の仲間たちは、この騒動を見ているだろう。加勢しに来るに違いない。
現に、船上から様子を見ていた数名が、怒りの形相と共にこっちに向かってくる様子が見えた。
シルリネアたちを追われないためにも、メイランは派手な喧嘩にするつもりだった。ここで全員足止めする。ついでに片付ける。
問題ない。
喧嘩は得意だ。
メイランは加勢者を煽るため、気を失っている男の胸部に足をかけた。
なるべく体重をかけないよう、注意を払いつつ。
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「青嵐の掟その1。困っている人を見捨てるな、ってな」
殺気をみなぎらせて寄ってくる男どもを見ながら、メイランは楽しそうに呟いた。
あの少年は困っていた。シルリネアも困っていた。だから助ける。
かつては自分も救われた。
足元の男をつま先で軽く小突いてから、向かってくる連中を出迎える。
体格の良い、いかにも用心棒といった男が、殴りかかってきた。
大振りの拳を避けて懐に入り込んだ。顎を下から掌打し、脳を揺らしてやった。そいつは膝から崩れ落ち、倒れた。
次の男も殴ってきたので、そいつは足をひっかけて転ばせてやった。
転んだ男は不幸にも、顔面から地面に突っ込んでしまった。ご愁傷さま、とたいして心のこもっていない言葉を呟く。
あっという間に屈強な男たちを片付けたメイランを見て、後続は明らかに勢いが鈍っていた。
「まだやんの?」
冷静に、笑顔で尋ねる。その方が相手が恐ろしく感じることを、彼は知っている。
思った通り、連中は完全に動きを止めた。悔しいが勝てない、歯が立たない。表情がそう語っている。
しばし睨み合った後、相手方の最後尾あたりから、魔法の詠唱らしき声が聞こえてきた。
よく見れば、ローブを身にまといフードを目深にかぶった、いかにもな魔法使いが、用心棒たちを盾にしつつ立っている。
魔法だ。
メイランは魔法が使えない。素養も一切ない。
詠唱の言葉は、意味のない音の羅列にしか聞こえない。
魔法使いは魔力を矢の形にして、何本も何本も射ってきた。
ああ手練だな、とメイランは思った。魔法の矢を複数本射ってくる魔法使いは優秀だと、過去に教わったことがある。
狙いを外した矢が、地面に突き刺さる。港の石畳があちこちで弾け飛び、石礫になって飛散した。
当然メイランにも、矢が複数飛んでくる。すべて当たるだろう。
——でも、関係ねぇんだよなぁ。
メイランは避けない。当たった、蜂の巣だ。誰もがそう思った。
しかし。
「なんで効かないんだ……!?」
驚愕に満ちた声が、魔法使いから発せられた。メイランに当たる直前、魔力の矢は消滅していた。
「体質だから?」
メイランがニッコリと笑う。
何本ぶつけても同じだった。魔法使いは焦る。魔力の矢による攻撃を諦め、火球を作り出してぶつけた。それでもメイランには届かない。火球は彼の体に当たることなく、空中で分解されてしまう。
直接的な攻撃だけでなく、睡眠や幻惑の魔法も使ってみた。しかしメイランにはまったく効かない。彼の体に届く前に、魔法が霧散してしまう。
まるで魔法がメイランを嫌い、避けているかのようだ。
「ひっ……!」
魔法使いが悲鳴をあげた。目に見えて混乱している。それこそ、混乱の魔法を使われたかのようだ。
「満足した?」
メイランは、魔法使いに向けて笑いかける。
連中は、完全に闘争意欲を失っていた。
メイランは肩をすくめる。
「じゃあ、そういうことで」
堂々と、背を向けて立ち去った。背後から襲撃されても、対応できる自信がある。
とはいえ数日は、奇襲に注意した方がいいだろうか。面倒だが、仕方がない。
きっとシルリネアは、宿に戻っただろう。彼女は、あの少年を守ってくれるに違いない。
宿の店主も、短い間なら匿ってくれるだろう。
宿を引き払って、あの子の逃げ場を作ってやって……なんとかなりそうだ。シルリネアの問題以外は。
ああ、肩が痛ぇなぁ。
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「おかえりなさい」
宿の1階にある食堂で、シルリネアは待っていた。メイランを見てすぐ、彼のところに駆け寄る。
「あの坊主は?」
「店主さん……? の計らいで、お風呂で汚れを落としてる」
カウンターの奥で、店主が親指を立てている。メイランも同じ動作を返した。
「あなたの怪我は? 大丈夫?」
シルリネアが心配そうにメイランを見た。
「あー……肩だけ、大丈夫」
本当はだいぶ痛い。
「見せて」
「いや大丈夫だって」
「いいから」
シルリネアが執拗に食い下がるので、やむなく肩を見せた。予想通り、青黒く腫れている。
「酷い……」
「そうでもねぇよ」
シルリネアが沈んだ様子だったので、メイランはあえて平静を装った。今は痛くても、いずれ治る。それでいい。
「よくあることだ、心配してくれてありがとうな」
シルリネアはぎゅっと唇を噛み締めていたが、おもむろに顔をあげた。
「癒させて」
決意をこめた顔で、メイランの腕にそっと触れる。
「え、何、魔法使えんの?」
メイランが驚いて尋ねると、シルリネアは小さく、だが力強く頷いた。
「いや俺、魔法は……」
断ろうとした瞬間、シルリネアの魔法が発動した。淡い黄金の光が、シルリネアの体からメイランの体に移動する。
光は一瞬戸惑うように震えたが、メイランの体内に力強く入っていった。優しい温かさがメイランを包み——肩の打撲傷がすうっと消えていく。
「え、どうやって…………え?」
メイランは困惑を隠せなかった。
治った肩とシルリネアを、交互に見比べてみる。
何から尋ねればいいのか、さっぱりわからなかった。




