第37話 わからない
※本話には水害・災害被害の描写が含まれます。つらいと感じる方は本話を飛ばしてください。
※活動報告に本話の要約版を掲載しました。水害・災害被害の詳細に触れずに概要を掴めます。
水浸しになった砂漠の都市で、ザフィルは生命の痕跡を——魔族を探す。
残ったものは、ほぼ魔族のはずだ。探査した結果を、事前に記憶した魔力と照合しても矛盾はない。
ザフィルはそれらを、ひとつひとつ丁寧に「処理」していった。
魔族と判断できそうなところに直接赴き、虚無の力で消し去っていく。一片の塵さえ残さずに。
最後の魔族を片付けた後、ザフィルは小さく呟いた。
「効かなかった」
口角が、ごくわずかに上がっている。
どこまで効かないのだろう。あの水竜が一切効かなかったのだから、本当にすべての魔法を無効化するかもしれない。
しかも、無効化する原理がわからない。魔法的なものであれば、確実に見破れる。よって、あれは魔法ではない。
わからない、つまり、破れない。
最高じゃないか。
「メイラン……」
彼なら僕を、殺してくれる。
彼に足りないものは、シルリネアが補ってくれるだろう。
******
ミルザードは無惨な姿に変貌していた。
砂漠の華とも謳われた美しくて大きな街だったのに、今では見る影もない。
建物のほとんどは破壊され、流された。人も家畜も同じように流されてしまい、ミルザードの街中に残された遺体は驚くほど少ない。
ジャバリ家の邸宅では、救助作業と瓦礫の撤去作業が並行して進められていた。
主であるハリドが不在の今、家を守るのは妻であるライラの仕事だ。
幸いなことにライラは、わずかなかすり傷だけで済んでいた。しかし、多くの使用人たちは瓦礫に埋まり、あるいは流されている。
どうやら屋内にいた者が、生存者の大半を占めているようだ。外にいて生き延びた者は、ごくわずか。瓦礫の隙間で生き延びた強運の男性を引っ張り出し、シルリネアに預けながらメイランは考える。
おそらく多くの者は、水に流された。あるいは瓦礫に埋まった。瓦礫の隙間で運よく圧死を免れた者も、動けないまま溺れる。
最悪すぎるほど、よくできている。
メイランは歯噛みした。ジャバリ家が周囲に比べて無傷に近いのは、半分はザフィルの選択で、もう半分は建物そのものが頑丈だったからだろう。
ほんのわずかに、自分がザフィルの操る水を遠ざけたから、という要素も絡むかもしれない。
「何考えてんだあのバカは!」
瓦礫を押しのけ、生存者を探しながら、メイランは苛立ちを吐き出した。
ザフィルのあの目は良くない。死にたがりの目だ。生命に価値を置いていない。
ああいう目の奴は、すぐに死ぬ。
お前はこうやって世界中を敵に回し、大勢を巻き込んで死んでいくのか。
怒りが、焦りが、悲しみが、メイランの体を駆け巡っていた。
シルリネアはメイランから負傷者の男性を預かり、その様子を確認する。
意識がある。それだけで、シルリネアの方が救われた気分だ。
「もう大丈夫、あと少しだけ頑張って」
傷を縛ってから背負い、ライラのいる場所、邸内で崩れずに残った大部屋に運ぶ。あそこが一番安全だ。
癒しの魔法は使えない。これだけ多くの負傷者を癒したら、自分自身が倒れてしまう。
魔法を使わない代わりに、自分より上背も体重もある男性を背負い、歩く。
思った以上に大変だ。でも、そんなことを言っていられる状況でもない。
何とか力を振り絞り、ただ愚直に足を進めた。この一歩が、背中の人の生命を救うと信じて。
ライラのもとには、ジャバリ家で生き残った人々が集まってきていた。
おそらく、生き残った人々も集まってくるだろう。何といっても、まともに残った建物がここしかないのだから。
「すみません、お客様にこのようなことを……」
シルリネアが男性を背負っているのを見たライラが、慌てて駆け寄ってきた。
「気にしないでください。今は、もっと大切なことがありますから」
今連れてきた男性の状態を、手当を引き受けている人たちに伝えてから、シルリネアはライラに優しく笑う。
「本当に、すみません」
ライラの善良さに、シルリネアの胸が痛む。ザフィルを誘引してしまった。
シルリネアとメイランがここに来なければ、ザフィルも来なかったはずだ。だから、自分たちのせいだと言えないこともない。
それでも、悪いのはザフィルだ。間違えてはいけない。あいつには、奪った命の償いをさせる。
シルリネアは固く誓い直し、ライラには微笑みかけた。
「この家を、この街を元に戻したら、お礼をしてください。それで十分です」
「わかりました。必ず」
ライラが小さく頷くのを見て、シルリネアも頷き返した。
「私はもう一回りしてきます。まだ助けられる人が、いるかもしれませんから」
もうじき完全に太陽が没してしまう。そうなったら、朝まで救助できないだろう。
それまでに、どれだけ助けられるだろうか。
******
日が暮れた。
シルリネアはその後、3人の怪我人を屋敷に運んだ。
メイランは4人の生き残りを瓦礫から引きずり出したが、その数倍の遺体を確認した。
遺体は庭の一角を区切って安置しており、明日の朝には埋葬するという。
日が暮れた後、ジャバリ家の邸宅には予想通り、生き残った人々が集まってきていた。
「嫌な感じだ」
メイランがシルリネアにだけ聞こえる声で、そっと告げた。
「どういうこと?」
眉をひそめ、シルリネアが尋ねる。
「数日後には混乱が起きそうだ。その時は、ライラさんが狙われるかも」
「そんなこと……」
「起きるんだよ。この手の最悪な流れ、俺は詳しいんだ」
半分ほど冗談で包み込みながら、メイランは苦笑した。
「まぁ見てな、とは言えねぇよな。ちょっと話をしてくる。一緒に行こう」
「……うん」
珍しい、とシルリネアは思った。こういう場合、メイランはさっさと話をつけに行ってしまうのに。だが悪い気はしないし、断る理由はさらにない。だからシルリネアは、メイランについて行った。
一方のメイランは、別のことを考えていた。数日後に狙われるのは、きっとライラだけではない。下手をすると、シルリネアも狙われる。
ジャバリ家の客人だから、当面は大丈夫だろう。しかし不安や不満が積み重なった時、異分子は標的にされやすい。
シルリネアは、見た目からして異分子だ。この地域に、黄金色の髪と薄荷色の瞳を持つ者は、ほとんどいない。
か弱く見えるなら、なおのこと目をつけられる。
とはいえ、シルリネアは見た目ほどか弱くない。
メイランは彼女の実力を思い起こす。
シルリネアは、体捌きの基礎がしっかりしている。安定した基礎の上に乗った剣術は、素人を卒業して久しい。最近は槍の投擲に才能の片鱗を見せていた。それもあって、メイランは彼女に投射武器をいくつか仕込もうと思っていたところだ。
これだけ頼もしい女性がか弱いだなんて、とんだ笑い草だし、失礼にも程がある。
だが世の中の悪意を持つ輩のほとんどは、彼女の強さを知らない。自分が横にいるだけで厄介事を防げるなら、それに越したことはない。
メイランはそう結論づけて、できるだけシルリネアの横にいることにした。
下心や邪念はない、と、思いたい。自信はないが。
ふたりはライラのもとを訪れた。メイランはライラ本人ではなく、ジャバリ家の家宰に懸念を説明した。
「では明日の朝、ここに集まっている人たちを確認して、部族や氏族に分けて過ごしてもらうようにします。食料に関しても、見える状態にすれば、不満も多少和らぐでしょう」
家宰は事情をすぐに理解して、そう言った。
「頼みます。本当は俺も協力したいんですけど、多分あまり長居はできないので……」
だから自分をあまり勘定に入れないでほしい。そう言外に伝えている。
メイランなら、自警団などを取りまとることもできるだろう。各部族や氏族とも、うまくやれるに違いない。だがそうしてしまうと、彼がいなくなった時に問題が起きる。
だからメイランは、自分の存在を前提にした統制をしてほしくないと言っている。シルリネアはそう理解した。
協力しないという協力。そんな方法があるということに、シルリネアは新鮮な感動を覚えた。
家宰のもとを辞した後。
「あのね、メイラン」
シルリネアが少し声をひそめて、メイランに話しかけた。
「なに?」
「こんなに酷い状態でしょ、色々なものが潰されたりなくなったり……それなのに、私たちの荷物、きれいに丸ごと残ってる」
「は?」
理解が及ばず、メイランは思わず聞き返してしまった。シルリネアは控えめに目配せをしてから、歩きはじめる。
「私たちの部屋だったところに隠しておいたんだけど。来て」
あの蹂躙の後、メイランはすぐ救助に行ってしまった。だからシルリネアは、まず部屋の状況を確認しようとして……見つけてしまった。
あれだけの水が流されたのに、まったく濡れていない自分たちの荷物を。
そうなった理由は、ひとつしか思い浮かばない——ザフィルが意識的に荷物を避けた。
なぜなのか、どうしてなのか、まったくわからない。だが、事実だった。
崩れた壁を抜け、部屋のあった場所に行く。
あの時壊れてしまった、ベッドの残骸が横たわっている。シルリネアがどけていくと、確かに無傷の荷物が残っていた。
メイランは呆然とする。ザフィルの、弟の、意図が、意味がわからない。
いや、もしかしたら。
今回は自分たちを殺さないという、意思表示なのかもしれない。




