第31話 進展
明け方近く、シルリネアとメイランは小さな村に辿り着いた。
小さな泉のほとりに位置し、家々が肩を寄せ合うように形成されている。
ひとつだけある大きめの建物は、隊商の簡易宿だとメイランは説明した。
「寝る場所借りられないか聞いてみるから、休んでな」
そう言って、メイランは隊商宿の扉を叩く。シルリネアは言われた通りその場に座りこみ、残り少ない水を飲んだ。
ルハサーン寺院のことを、ここで聞けるだろうか。
上衣のポケットに入れたままになっていた小さな木像を、シルリネアは指先でさする。
急ぐことではないし、彼が話したくないなら、それでもいい。
ただ、もう少し彼に配慮できることがないのか、知りたかった。
程なくメイランが戻って来た。
「泊まらせてくれるってさ、行こうぜ」
彼の笑顔に引っ張られるように、シルリネアも立ち上がった。
「あと、しばらくの間は偽名にしよう。俺がマリク、お前はサラな。どっちもこの地域によくいる名前。俺らは同郷人で、俺はお前の帰郷を手伝ってる。サラは内気で口数が少ないってことで」
突然のことに、シルリネアは困惑した。確かに追われている可能性を考えると、名前や関係性は隠したほうが安全だ。宿など、人の集まるところではなおさらだろう。慌ててメイランの話を整理する。
「ち、ちょっと待って……! ええっと、私はサラで、メ……あなた、がマリク。同郷で、故郷に帰る途中で、私はあまり口をきかない……でいい? これ、他人がいるところだけでいいのよね?」
「完璧」
メイランは親指を立てて笑った。
宿の中は涼しかった。
中庭があり、その四方を囲むように各種の施設が並んでいる。井戸も中庭だ。
隊商宿というだけあって、商人たちが取引に使いそうな場所がいくつも設置されている。それらの施設が1階に並び、宿泊場所は2階だった。
シルリネアはスカーフを目深にかぶり、口元を軽く覆うことにした。こうすることで、いわゆる「慎み深い女性」として、人目を引かない格好になるのだと言う。
特にシルリネアの場合は、どうしても薄荷色の瞳が目立ってしまう。より慎重になったほうが良さそうだ。伏目がちにして歩くことにした。
メイランは荷物を部屋の床に乱雑に落とすと、すぐに部屋を出ていこうとする。
「水を持ってくる。疲れてるなら、残りの水を飲み干してから寝ちまってもいいから」
「待って、手伝う」
シルリネアが立ち上がる。メイランは押し留めようと手が動きかけ……途中でやめた。
「じゃあ一緒に行くか」
笑顔を作り、シルリネアを誘った。
彼女を守りすぎようとするのは、良くない癖だ。メイランは自分を戒める。
シルリネアは、メイランの誘いに微笑んで頷いた。
喉の渇きを存分に癒し、水浴びをして体の汚れを落とした頃に、泊まっている隊商たちが動きはじめたようだ。
メイランは彼らと話をつけに行き、手早くシルリネアの替えの服を手に入れ戻ってきた。
その後、シルリネアは追加で、針と糸、櫛、小さいナイフと護身用の短剣を手に入れてもらった。
「ありがとう……えっと……マリク」
偽名に慣れず、なんだか口の収まりが悪い。
「どういたしまして」
メイランが微笑む。彼の笑顔は自然で、まったく気負いを感じさせない。だが、サラという人物の口数が少ないということは、マリクに多くの負担がかかるのではないだろうか。シルリネアは、それが心苦しくて悔しかった。
できれば彼の役に立ちたい。そうでなくとも彼の負担にはなりたくない。
******
睡眠をとって気持ちよく目覚めたら、もう夕刻だった。
朝方にいた隊商たちはもうおらず、別の隊商が近付いてきていた。部屋の窓から身を乗り出せば、その様子がよく見える。
二人は隊商と入れ違いに出発するつもりで、準備をしていた。荷物をまとめ、水と食糧を補充して、部屋を出ようとしたその時。
隊商のいるあたりで、悲鳴があがった。メイランが素早く窓に寄り、音のする方を見る。シルリネアも、遅れて窓から身を乗り出した。
どうやら、巨大な蛇のようなものが砂の中から現れ、隊商を襲っているようだ。蛇の顔の大きさだけで、人間の腰の高さほどもある。これだけ巨大な蛇の全長がどれぐらいあるのか、シルリネアには想像さえつかなかった。
「砂伏蛇かよ、めんどくせぇな!」
メイランは悪態をつきながら、出発の準備を中断した。剣だけを持つ。
「やばそうだから加勢してくる。砂地には近寄るなよ、あいつは砂に潜って獲物に近付いてくる」
説明するや否や、メイランは窓から身を踊らせた。
砂伏蛇はその名の通り、砂中に潜って狩りをする蛇だ。
振動で獲物を探知し、振動源の端を狙って襲いかかる習性がある。
メイランは走りながら状況を確認した。案の定、隊列の端が混乱している。蛇の姿は見えない。おそらく獲物を捕食して、砂中に一度戻ったのだろう。しかし。
「油断するな! まだ来る!」
隊商に向けて、メイランは叫んだ。あれだけ巨大な蛇が、人間の一人二人を喰らって満足するはずがない。もう数人は喰いたいに決まっている。
「全員固まって砂地から離れろ、奴は大きい群れより小さい群れを襲う。あんたが先導してくれ」
メイランは隊商の護衛らしき人員の中から中心と思える人物を選び、隊商宿を指し示した。あそこなら、地面が石で舗装されている。下から襲われることはない。
「腕に自信のある数名だけ残れ、砂伏蛇を迎え打つ! ここで仕留めねぇとずっと追跡され続けるぞ!」
そう言いつつ、メイランは砂地に残った。これで砂伏蛇は、群れから離れた弱い個体である自分を狙う。ここに数名が合流しても、群れから離れた個体であることに変化はないはずだ。むしろ砂伏蛇は、都合よく数名を一気に喰えると喜ぶかもしれない。
隊商からひとり、戻ってきた。見るからに屈強な、壮年の戦士だ。戦斧を構え、メイランの横に立つ。
「お前さん、随分詳しいじゃねぇか」
戦士がメイランに話しかける。迫力のある低く枯れた声は、彼の人生そのもののようだ。
「出身がこの辺なもので。小さいやつを遊び相手にしてたよ。今日の奴も知り合いかも」
メイランは冗談めかし、肩をすくめた。
本当は飢えをしのぐために捕まえていたのだが、人が喰われていそうな状況では、さすがに言えない。
戦士は肩を揺らし、笑った。
「さあ来るぞ」
足が小さな振動を捉えていた。足元の砂が盛り上がりはじめたので、メイランはその場から数歩下がる。
その直後に、砂伏蛇が姿を現した。メイランの足を狙っている。
「性格悪ぃな!」
せっかくなら派手に頭から喰おうとすればいいのに。メイランは内心でそう毒付いた。その方が、急所を狙いやすい。
足元から掬い上げるように、砂伏蛇は襲いかかってくる。大きく開けられた口の中には、ところどころに衣服の切れ端が張り付いていた。
やはり先程の襲撃で、誰かが喰われている。怒りではなく冷静な分析として、メイランは現状を理解した。
寸前まで引きつけ、素早く避ける。
避けるついでに、蛇の口の端を剣で切り裂いた。できればこのまま斬り下ろしたかったが勢いが足りず、肉の弾力に阻まれた。やむなく剣を引く。
壮年の戦士も斧を力任せに振り下ろしたが、硬い鱗に弾かれて、たいした傷にはならなかったようだ。
「砂に潜らせるな、蛇を怒らせろ!」
メイランが戦士に向けて叫んだ。砂中に逃がしてしまうと厄介だ、ここで仕留めたい。
そのためには、砂伏蛇を怒らせ続け、逃げるという選択肢を奪う必要があった。
そして、怒る体力があるうちに、始末しないといけない。
******
襲われた隊商は無事砂地から抜け出し、地面が石で舗装された場所まで辿り着いた。
シルリネアは2階から様子を見ていたが、隊商の到達に合わせて階下に駆け降りる。治癒の必要な人はいないように思えたが、間近に見て確かめたい。
混乱する隊商の隙間をかき分けながら、耳を澄ませる。苦痛を訴える声はないか、誰かの怪我を伝える声はないか。
どうやら大丈夫そうだと判断するまでに、隊商の間を2回すり抜けた。
隊商の中に、神の力による治癒魔法を使える人がおり、既に癒しの魔法を使っていたようだ。リュミエールからの追手かと一瞬身構えたが、違いそうだ。服装も、胸に下げている聖印も違う。服装はともかく、聖印を偽ることはないだろう。
ひとまずこの場は問題ないと判断したシルリネアは、深呼吸をして自分を落ち着かせてから、メイランの様子を見た。
巨大な蛇が、メイランを襲っている。これと戦って倒すなんて到底無理なように思えるが、彼は余裕を残して動いていた。改めて、メイランの強さを思い知る。
彼と、もう一人の戦士が大蛇に傷をつけた。蛇の血がパッと飛び散り、隊商の面々が歓声をあげる。
「砂に潜らせるな、蛇を怒らせろ!」
メイランの声が聞こえてくる。それに呼応して、護衛の中にいた魔法使いの女性が、魔力の矢を数本飛ばした。大蛇が傷ついたようには見えなかったが、嫌がらせとしては機能していそうだ。意識がそれたところに、メイランたちが傷を増やしていく。
弓矢を持っている者たちも、次々に矢を射かけはじめた。大蛇の体にいくつも突き立ったが、動きを止めるには至らない。
魔法使いは魔力の矢を再び放った後、別の魔法を唱えた。次の瞬間、戦斧を持った戦士の動きが目に見えて良くなった。身体能力強化の魔法だろう。さらに魔法の詠唱を続けるが——。
「あ、あれ?」
魔法使いが困惑の声を上げる。シルリネアにはピンときた。メイランにも魔法を使おうとして、効かなかったのだろう。
「彼には魔法が効きにくい、使わないで」
シルリネアは魔法使いに声をかけ、周囲を見回した。何か、メイランたちの役に立てそうなもの……。
あった。
隊商の荷物から取り出したのは、短槍だった。鋭くて、重量のバランスもいい。いかにも良く刺さりそうだ。投槍器もあった。これがあれば威力が増す。都合がいい。
「借ります」
シルリネアは短く断りをいれてから、投槍器に短槍をつがえ、大きく振りかぶった。この距離なら届く。
狙うなら目がいい。しかし、大蛇の目は小さくて狙いにくい。頭部全体を大きく狙うことにした。
狙いをつけ、思い切り投げる。
鋭い軌跡を描いて飛んだ短槍が、大蛇に突き立った。鼻のあたりだ。大蛇が大きくのけぞり、身をくねらせる。
メイランはその隙を逃さず、喉元に剣を突き立てた。柔らかい喉の肉を刺し貫き、剣をひねりながら切り裂く。喉から血が大量に流れ出て、メイランも返り血を浴びた。
大蛇が断末魔の苦悶にのたうち回る。砂が巻き上げられ、周辺が砂煙で覆われた。
戦斧の戦士とメイランは、大蛇に跳ね飛ばされないよう距離をとって様子を見守り……。やがて大蛇は、動かなくなった。
「やるなぁ」
メイランは突き立った短槍を見た後にシルリネアを見て、大きく手を振った。
終わったことを告げる合図として。




