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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第4章 砂に埋めてきたのに
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第30話 恐怖をほどく

 ルイスは、偽聖女(シルリネア)追討の任務に就く騎士を選任した。

 真面目で優秀な若者を選んだ。きっと役目を果たしてくれるだろう。

 司祭や異端審問官と共に編成されるので、良い経験にもなるはずだ。この機会があれば、教義の解釈も深まるだろう。司祭にも、宗教的な指導を頼んでおかねば。


 ルイスは、不意に漏れたあくびを噛み殺した。

 ザフィルの現れたあの日以来、あまり眠れない日々を過ごしている。

 多忙でもあったし、夢見が悪いというのもあった。

 夢には頻繁にザフィルが出てきて、あの日の悪夢を再現する。悪夢を見ると全身汗まみれで、まったく疲労が抜けないまま起きる羽目になった。


 次はいよいよ、魔法王国の遺臣への使節団の編成だ。

 ザフィル討伐の返答を届け、かの遺臣たちをリュミエールに招待するのが、使節団の役割だった。

 互いの意見を密にするため、近くにいた方が都合が良いという面もあるし、国を失った人々を保護するという人道的な意味もある。

 この使節団には、魔法王国への敬意を表するためにも、重鎮が参加する。騎士団長であるルイスも、無論参加を要請されていた。

 そのため副団長を任命して、大神殿守護を任せないといけない。

 王の騎士団と連携する必要もあるだろう。


 まだしばらくの間は、寝不足の日々が続きそうだった。


 ******


「シルリネア」

 自分を呼ぶ声を、シルリネアは聞いた。

 薄目を開けると満天の星空を背景に、心配そうな男性の顔が飛び込んできた。

「……メイラン……」

 会いたかった人が、そこにいた。メイランはひそめられていた眉を緩め、顔をほころばせる。

「良かったぁ……起きそうだったから起こしちまったけど、体調は? 痛いところは?」

「……大丈夫、ありがとう」

 体を起こそうとすると、自分の上衣が体にかけられていることに気付いた。そういえば、目印にと思って脱いでいた。つまり……。

「……ちょっと、そっち向いてくれない? 服を着たいから」

 脱いだ時は気にしなかったことが、急に恥ずかしくなってきた。シルリネアの言葉に、メイランも我に返ったようだ。

「あ、悪ぃ!」

 慌てて後ろを向いた。

 その反応が何だか嬉しくて、懐かしかった。シルリネアが笑う。

「何だよ」

「何でもない。メイランがいるなぁって思って」

「……俺も……」

 シルリネアがまた笑う。

「じゃあ、お互い様だね」

 彼女は微笑みながら服を着て、自分の様子を確かめた。服はあちこち裂けているが、まだどうにか使えそうだ。針と糸があれば十分繕える範囲だが、あいにく今は持っていない。


「お待たせ」

 シルリネアの声と共に、メイランが振り向いた。シルリネアが立って、動いている。それだけのことが、無性に嬉しかった。

 それに何だかむず痒いし、少し気恥ずかしい。自分の感情の意味がよくわからないまま、メイランは水袋をシルリネアに渡した。

「それ、少しずつ飲んで。本当はもっと休ませてやりたいんだけど、ここ、水がなくてさ。夜明けまでに水場まで移動するけど、いける?」

「多分……道わかるの?」

 シルリネアは一旦座り、水を一口飲んだ。喉の乾きが取れてスッキリする。

 もう少し飲みたいが、今は我慢した。砂漠に入る前にメイランが、水は少量を小刻みに飲んだ方がいいと言っていたのを思い出す。

「もちろん。ここからなら余裕」

 メイランの笑顔が、シルリネアには少し無理をしているように見えた。

 ふと思い至り、尋ねてみる。

「……ねえ、ここはどこなの?」

 その言葉で、メイランの笑顔にヒビが入った。困り果てて何度も言い淀んだ末に、ようやく答えが返ってくる。

「……ルハサーン寺院」

「やっぱり」

 シルリネアは勢いよく立ち上がり、メイランの腕を掴んで大股で歩き始めた。

 メイランはシルリネアの唐突な行動に戸惑う。

「え、ちょっと、何……」

「ここは嫌なんでしょ、どっち行けばいいの?」

「どうしてそれを…………じゃなくて…………案内する」

 メイランは気を取り直して、シルリネアの前に立った。

 どうも、頭の上がらない女性が増えた気がしてならない。

 だがメイランは、案外それが気に入っていた。

 青嵐(せいらん)の母御と、ファラン姐。そして——。


 ******


 ふたりの立ち去ったルハサーン寺院近くにあった、泉の跡地。

 この泉は、もう15年以上前に干上がってしまい、それ以来水が湧くことはなかった。

 しかし今、打ち捨てられた砂底が、うっすらと湿りはじめている。


 そのことを知る者は、まだ誰もいない。


 ******


 ルハサーン寺院から離れて、メイランはやっと呼吸ができるようになった気がした。

 落ち着いたことで、左手首に巻いたままだったリボンのことを思い出す。

「これ、返すよ」

 リボンを手首から外して、シルリネアの手に戻した。

「ありがとう。……よかった、返ってきて」

 シルリネアが穏やかに、しかし嬉しそうに微笑む。

「俺も返せてよかった。そのリボン、だいぶくたびれちまったな。今度また、いいやつを探しに行こう」

 メイランの言葉に、シルリネアは苦笑した。彼はすぐに、何かを贈りたがる。

 髪を手櫛でひとつにまとめ、返ってきたばかりのリボンで結んだ。

「私、このリボン気に入ってるから。当分これがいいんだけど」

「……そう?」

「そう。とてもいい色だから」

「……そっか」

 気に入ってくれていて安心したような、新しいものを贈れなくて残念なような。メイランは曖昧に笑った。


 歩きながら、シルリネアはあの時に起きたことを語る。

「メイランが寝てた時に、あの犬が来たの。それで、メイランと話したいからいなくなれって言われて」

 それで瞑想室送りか。ふざけやがって。メイランは、思いつく限りの罵倒語を頭の中で並べ立て、やや穏当な形に直して口にした。

「やっぱ殺しておけば良かった」

 次は様子見などせず、一息にやろうと心に誓う。カルブが異質であるという思いも、より強くなった。

 ザフィルの、弟の記憶を持っていても、それを「ザフィルと同じように」使っていない気がする。

 少なくとも弟は、あの瞑想室に誰かを送り込むなんて、考えもしないに決まっている。

 それともこの気持ちは、そうあってほしいというただの期待だろうか。

 メイランには、よくわからなかった。


 シルリネアはメイランの怒り方を見て、今は彼の感情に触れないことにした。相当根深い問題だと思える。もっと時間を取って、安全な場所でゆっくり聞きたい。

 だから、自分の話を続けた。

「……それで、真っ暗な部屋に閉じ込められて。扉は重くて開けられなかったんだけど、しばらくしたら勝手に開いて……あれ、なんだったんだろう」

 ザフィルだ。メイランはそう思った。根拠はない。カルブがそんなことを言っていた気もしたが、あいつの話は考えるに値しない。

 あの暗闇の恐怖を舐め尽くした者が、同じ場所に誰かを置き去りにするなんて、到底思えない。それだけに過ぎない。

 だが、この話をするのは難しい。

「さぁ……わかんねぇけど、俺じゃないってことだけは言えるぜ。きっとシルリネアは運がいいんだな」

 メイランは、冗談めかして言うに留めた。嘘ではないと、自分に言い聞かせつつ。

 その言い方に、シルリネアは思わず笑ってしまった。

「……でね、閉じ込められてた時は、何もやれることがなかったから、歌を作ったの。つまらなすぎて傑作だから、聞いてくれる?」

「……え?」

 歌? メイランには意味がわからなかった。あの恐怖の中で、歌を歌えるのか?

 メイランの困惑をよそに、シルリネアは歌いはじめた。高く澄んだ声が夜の砂漠を渡り、空に消えていく。

 メイランは、綺麗な歌声だと思った。だが声に聞き惚れかけた途端に、歌詞が訳のわからない方向に転がりだした。話に脈絡がない。

 竜と対峙した英雄が、なぜか宮廷で貴婦人に求愛している。竜はどうしたんだと面食らうメイランを置き去りに、村の子供が兎の穴を探しはじめた。穴の中には船乗りたちがいて荒々しい歌を歌い、突如酒場の娘が恋をした。恋の相手が紹介されないまま、歌は続いていく。

 意味がわからない。混乱する。しかしふと、今までシルリネアと歩いてきた地域の歌の、寄せ集めだということに気付いた。

「……くっだらねぇ」

 笑った。あまりにもくだらない。それでいて愛おしく、同時に彼女の強さが眩しかった。

「でしょ」

「こりゃ酷ぇよ、なんて歌作ってんだ」

 メイランは笑いすぎて、涙が出てきた。自慢げなシルリネアの態度も、面白いし可愛らしい。

 そうか、そういう方法があったんだ。昔の自分に教えてやりたかった。歌を作ればいいんだと。


 ルハサーン寺院への恐怖は消えない。それでも、恐怖の中の小さな部分が、溶けて消えた気がした。

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