第29話 会いたい
シルリネアが見た光は、思った通り陽光だった。崩れた階段があったので、慎重に上る。
急に足元が崩れ、あわてて上の階段に取りすがった。その瞬間、ズキリと手のひらが傷んだ。尖った石で切れてしまったようだ。布を巻いて止血して、先に進む。
階段をのぼると、そこは地上階のようだった。だが、瓦礫に阻まれて出口がない。仕方ないので、屋外に出られそうな場所がないか、探すことにした。
石壁と瓦礫の隙間から差し込んでくる日差しが強い。砂漠の日中を彷彿とさせる。空気は乾燥していて、日陰が涼しい。砂漠の気候に近いと思えた。もしかしたら、あまり遠くには飛ばされなかったのかもしれない。
それはシルリネアにとって、望外の光明だった。メイランとはもう会えないかもしれないと、半ば覚悟していたから。
どうもこの場所は、完全な廃墟のようだった。建物は瓦礫と入り混じり、人の気配もまったくない。
よくよく見れば瓦礫に混じって、立派な石像らしきものの欠片や、綺麗な彩色の施された陶片などがあった。シルリネアは、程よい大きさの陶片をひとつ拝借する。武器というには心許ないが、ナイフ代わりにはなりそうだ。
瓦礫に埋もれかけた通路を苦心して進んでいると、足元にコツンと軽い感触があった。
それを拾って陽光にかざしてみると、小さな木像のようだった。人の形を模して彫られている様子だが、非常に稚拙だ。子供が作ったのだろうか。シルリネアは、そのたどたどしさを無性に可愛らしく感じてしまい、木像を長衣のポケットに入れた。
メイランに見せたい。見せて笑いあいたい。
そのためにも、何としてもここを抜け出すんだ。
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足を進めるたびに、ルハサーン寺院が近付いてくる。
メイランは、自分の足がすくむのを自覚した。しかし、逃げるわけにはいかない。
寺院の瞑想室。静謐な名前とは裏腹に、そこはただただ恐怖の象徴だった。
メイランは今でも、瞑想という単語を折檻や虐待の意味と取り違えることがある。それぐらい、恐ろしかった。
何かあると、すぐ瞑想室に放り込まれ、閉じ込められた。悪いことをしなくても、ただ誰かの機嫌が悪いというだけで。ただそこにいたというだけで。
光が差し込まない小さな地下室は、あまりにも恐ろしかった。時折どこからともなく、鼠やムカデなどの『お客さん』がやってくる。見えないのに、音だけが妙に響く。そして『お客さん』は、決まって幼いメイランをかじっていった。
分厚い鉄の扉は、泣いても叫んでも、拳が血だらけになるまで叩いても、こちらの意思で開かれることはなかった。放り込んだ誰かの気が済むか、あるいは思い出すまで。もしくは——次の犠牲者が来るまで。いつまででも閉じ込められた。
瞑想室の犠牲者は、メイランだけではなかった。他にもいた子供たちや、弟さえ逃れることはできなかった。皆、瞑想室と聞くと震え上がった。
そこにシルリネアが入れられたという。聞くだけでゾッとする。
せめて彼女には「お客さん」が来なければいい。メイランはそれだけを願った。
カルブは、瞑想室という名前を知っていた。
それがルハサーン寺院と結びつくと、どんな意味になるのかも知っていた。
ということは、やはりザフィルは……弟なのだ。
ザフィルはどうやって生きてきたのだろう。どうして魔法王国を滅ぼしたり、シルリネアの故郷を滅ぼしたりしたのだろう。
わからないことだらけだ。
やはり、弟と話がしてみたかった。
しかしまだ、シルリネアにどう話せばいいのかわからない。
彼女の仇が自分の弟だったなんて、どうやって伝えればいいのだろう。
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ザフィルはメイランの戸惑いを、カルブの記憶から理解した。
「忘れていれば良かったのに」
兄が自分を覚えていた。それはきっと、兄にとってつらいことなのだろう。
だから忘れてくれた方が、良かったのに。
兄の執着を、断ち切る。
そうすれば、彼も少しは楽になれるだろう。
「次は、あなたの前でやることにするよ……」
圧倒的な破壊を見せる。完膚なき破壊を。
だからどうか、諦めてほしい。
あなたの知っている弟は、もういない。
歪んで壊れた存在など、気にかけないでほしい。
あなたは正しくて、まっすぐな人だから。
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シルリネアは、やっと外に出られそうな瓦礫の隙間を見つけた。
彼女の腰ぐらいの高さにある、奇跡的なバランスで支えられた穴だった。
下手に触れると、崩れてきて押し潰されるかもしれない。シルリネアは慎重に触れ、穴の強度を確かめた。多少強く叩いても崩れそうにないことを確認してから、思い切って穴に潜りこむ。
腹ばいになって進むと、衣服のあちこちが引っかかり、切れる感触が伝わってきた。幸いなことに、動けなくなるほど引っかかることはなかったので、仕方のないことと割り切って進んでいく。
穴の出口が近付くにつれ、気温が上がっていく。シルリネアのまわりを囲む瓦礫も温められているのか、巨大なオーブンで焼かれている気分になってくる。焼き殺されるのは嫌だったので、できるだけ急ぐことにした。
程なく、穴の出口に手がかかった。彼女の動かなくなっていた左腕は、いつの間にかほとんど元通りになっている。色々なことが起きすぎたせいで、今まで気付かなかった。
自由な両手に力をこめて、穴から自分を引っ張り出した。
穴から転がり落ちるように抜け出したシルリネアは、どうにか立ち上がって周辺を見回した。
一面が瓦礫の山だ。人の住んでいそうな様子もない。やはり完全な廃墟なのだろう。
「疲れたぁ……」
そんな言葉が、思わずシルリネアの口をついて出た。
空を見上げれば、太陽が高い位置にあった。一番暑い時間帯だ。
手持ちの水は、あまり残っていない。
ひとまず日陰に避難しよう。ついでに休もう。そう思い、シルリネアは休めそうな場所を探した。見渡す限り瓦礫だらけなので、すぐに良さそうな場所を見つけられた。
上衣を脱ぎ、居場所にした瓦礫の山の日向側に吊るした。こうすれば、誰かが見つけてくれるかもしれない。
上半身が下着だけになってしまったが、それも仕方のないことと諦める。羞恥心よりも、生きることが最優先だ。
そこまで準備を整えてから、シルリネアは崩れ落ちるように眠った。
もう、何も考えたくなかった。
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ルハサーンは見る影もなくなっていた。
ほとんど面影がない。瓦礫以外、何もない。
ここまで酷かったのかとメイランは驚きつつ、過去の自分の記憶を必死に引っ張り出した。
確かオアシスの街だったはずだ。寺院を中心に栄える信仰の街だった記憶がある。
だが今は、水の気配がまったくない。緑地がないし、木も生えていない。水脈が変わってしまったのだろうか。
記憶の中で、オアシスのあったはずの場所に行ってみた。何もない。ただの砂地が広がっている。
まずい。現実的な危機が、メイランの背中を冷たく撫でていった。
水の補給ができないところに、長居することはできない。シルリネアの持っていた水は、どれぐらい残っていただろう。多くて二日、切り詰めて最大で三日。現実的には二日保つかどうかだろう。そろそろ危険域だ。
急げ。メイランの心が彼を急き立てる。
寺院を探す。あそこは広かった。広い敷地跡を見つければ、そこが寺院だ。瞑想室は寺院の地下にある。とにかく探すしかない。
瓦礫を避けながら歩いていると、当時の街の区画割りをおぼろげに思い出してきた。体が道を覚えている。そう理解して感覚に身を委ねて歩くと、程なく崩れ落ちた門が見えてきた。門柱が大きい。かつては相当な規模だったことだろう。
見つけた。
寺院の正門だ。メイランは迷うことなく門の先に足を進めた。
門の中も、無惨に崩れ落ちていた。かつては壮麗さを誇っていたのに。
だがメイランにとって、寺院の壮麗さや豪華絢爛な様子など、どうでもよかった。今はシルリネアを見つけることしか考えていないし、かつてであっても、寺院の美しさに救われたことなどなかった。
裏手に回ろうと早足で歩いていると、視界にヒラヒラと動くものが引っかかる。
思わずその方向に目をやると、そこには青灰色の、女性用の上衣が瓦礫に引っかかって揺れていた。
「シルリネア!」
思わず叫んだ。
走って上衣に取り付き、布地の様子を見る。上衣はあちこちが裂けている。しかし、血はついていない。
血の痕がないことに安堵する。改めて周囲を探すと……すぐに見つかった。
シルリネアは、瓦礫の影で眠っていた。
胸が上下している。生きている。砂埃で汚れているが、怪我もほとんどなさそうだ。
メイランは慎重に膝を地面について、そっとシルリネアの様子を観察し。
自分の腕の中に、掻き抱いた。




