第28話 瞑想室の昔話
「ルハサーン……」
ザフィルが呟く。
遠い記憶のさらに先、靄よりも曖昧なところを抜けると、急に現れる。
不快な場所だ。カルブの動く気配が、より不快さを増幅させる。
ザフィルの眉が、わずかに寄った。
寺院の廃墟に魔力を感じる。自分の——カルブの魔力だ。
「瞑想室」
あまりにも底意地の悪い名前がつけられた、小さな地下室。
シルリネアがいるのは、そこだった。
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「ねぇ兄様、お願いがあるんだ。シルリネアのいる場所を教えるから、ボクの話を聞いてくれない? 主様のことだよ」
カルブがメイランに話しかける。カルブの声には、歌うような独特の節回しがついている。メイランにとって、それが余計に不気味だった。
「……話せ」
怒りと不快感をなんとか飲み下し、メイランは短く告げる。
カルブがぱっと笑顔になった。その幼い笑顔がメイランを刺激し、苛立たせる。
「ありがとう兄様。やっぱり主様と似てるね、その顔なんて、本当に似ているよ」
「いいから話せ」
負の感情ばかり煮詰めて、それをできるだけ抑えているような状態を、弟とよく似ていると評されるのは、メイランにとって極めて不快だった。
ずっと弟は、そんな気持ちで生きてきたのだろうか。そう考えるだけでも、心が痛い。
「あのね兄様、主様を殺してくれないかな」
にこやかな顔のまま、カルブは言った。メイランは、一瞬何を言われたのかわからなかった。思考が遅れる。
「……どういうことだ」
「そのままの意味だよ。主様を殺してほしいんだ、兄様の手で」
笑顔でする話ではない。それなのに、カルブはニコニコと微笑んでいる。悪意など一切なさそうな顔で。
「お前はザフィルの味方じゃねぇのか。何で『主様』の死を望む、どうして自分でやらねぇんだ」
意味がわからない。カルブには、ザフィルが死んだ先に、何か目標でもあるのだろうか。
カルブは動じることなく、ずっと同じ笑顔のまま、メイランに答えた。
「主様がね、死にたいんだって。だから兄様の手で、殺してほしくて。兄様じゃないと、主様は殺せないと思うんだ。ボクもきっと殺せない」
異質すぎる。メイランは、カルブのことをそう評価した。
こいつはきっと、感情を持っていない。ただ上っ面を撫でて真似しているだけだ。そんな感触がある。
「主様はね、自分で自分を殺せないんだ。魔力が強すぎて、体が勝手に防御障壁を張ってしまうから。ボクはそれを破れない。主様も、自分の防御障壁を消す方法を考えてるみたいだけど、まだかなり時間がかかりそうなんだよ。でも、兄様は違うでしょ。だって『魔法が効かない』んだから。主様の防御障壁も、きっと効かないよ」
カルブが笑う。子供のような無邪気さで、親とも言えそうなザフィルの死を望んで笑う。
メイランには、訳がわからなかった。
「ね、どうかな。シルリネアも喜ぶだろうし、主様も喜ぶ。悪い話じゃないでしょう?」
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シルリネアは、暗闇の中で横になり、歌を口ずさんでいた。
目を閉じても開いても暗闇しかない。おかしくなりそうだったので、歌を歌うことにした。
今まで旅をしてきた中で聞きかじった歌の断片を繋げ、曖昧なところは適当に自作して連ねていく。
そのせいで、辻褄の合わない歌ができてしまった。冒険譚がいきなり宮廷恋愛歌になったと思えば、脈絡なく童歌が挟まって舟唄になり、突如町娘が恋をするような歌だ。我ながらあまりにもくだらなくて、シルリネアは笑った。
メイランに聞かせたら、彼も笑ってくれるだろうか。笑ってくれる気がした。苦笑かもしれないが、それでも笑顔にはなってくれるだろう。
次にシルリネアは、メイランにも歌った子守唄を歌うことにした。
自分に向けて。眠れるなら、それに越したことはない。
その後は、故郷の歌をいくつか歌おうと思った。あの森と湖、村とそこに住んでいた人々が懐かしい。
幸せな思い出に身を委ねて歌っていると、ギシギシと軋むような音が聞こえてきた。
最初は幻聴かと思った。しかしどうやら、実際の音のようだ。シルリネアは慌てて起き上がり、扉のある方向に歩いた。軋む音を出しそうなものは、ここには扉しかない。
扉に触れると、あのびくとも動かなかった鉄扉が揺れていた。誰かが外から揺らしているのだろうか。そう思った瞬間。
扉が静かに開いた。
光が漏れてきた。シルリネアには明るく感じたが、実際には薄暗い光が入ってきただけだ。
慎重に外に出て、左右を伺う。誰もいない。
「……メイラン?」
声をかけても、返事がない。
外は通路になっていた。ここは地下だろうか。通路の先で、上から陽光のような光が差し込んできているのが見えた。
シルリネアは、光の差す方向に歩を進める。
ここがどこなのか、わかることを信じて。
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「ふっざけンな!」
メイランは座った姿勢から一動作でしゃがみ、カルブに向けて跳んだ。跳びざまに剣を抜き、鋭く横薙ぎに払った。
カルブは笑顔のまま、後ろに避ける。避ける際に置かれた数枚の防御障壁は、メイランに触れる直前で消滅した。
「ほらね、兄様には効かない。主様の防御障壁と同じものを出したんだよ!」
カルブが甲高く笑った。メイランはカルブの言葉を無視して、開いた間合いを詰めにかかる。カルブはゆらゆら逃げながら、次々に防御障壁を作っていく。しかしメイランにとって、防御障壁は何の意味も持たなかった。
足を使っていない。カルブの動きを見て、メイランは理解した。
歩いているように見えるが、見せかけだ。こいつは地面を蹴って移動していない。
浮いている、または地面を使えない。カルブに関する情報を、頭と体に教えこんだ。
やはり体を動かしている方がいい。その方が冷静になれる。頭が気持ちいいぐらい冴えている。
一手ずつ、カルブを追い詰めていく感覚がある。一見すると、ゆらゆら揺れて不規則な動きに見えるが、よく見れば単純だった。先を読める。こいつは接近戦に慣れていない。
捉えた。そう思った瞬間、カルブの姿が陽炎のように消えた。
「あぶないなぁ。兄様にぶつかったらボク、消滅しちゃうよ」
楽しそうな声だけが聞こえる。メイランは舌打ちをした。
「ザフィルをどうするか考える前に、お前を殺してやるっつってんだよ」
「うーん、もうちょっと待ってて。もう少しで、消滅してもいいと思えそうだから」
カルブは、メイランの届かない空中に姿を表した。こいつは少なくとも浮いている。メイランはカルブについての認識を、そう改めた。
「じゃあボク、そろそろ行くね。兄様とあまり昔話できなかったけど……でもシルリネアはあそこだから……」
カルブの指が示す先には、ルハサーン寺院があった。
「あそこの瞑想室。彼女はそこに送ったんだ。迎えに行くついでに、思い出を楽しんで」
笑顔のまま、カルブの姿が薄れていく。
「ああでも、主様がさっき気付いたみたいだったから……気を付けてね。アハハ、アハハハハハ……」
カルブの姿と笑い声が、尾を引いて消えた。
メイランは剣を収め、ルハサーン寺院を睨みつける。
瞑想室。その単語を聞くだけで、足が震えそうだ。
行きたくない。今だってそう思う。考えるだけで吐き気がするし、脂汗がにじむ。
今この瞬間、シルリネアがひょっこりと顔を出してくれたら。自分の怯えた顔を笑い飛ばしてくれたら。どれだけ救われるだろうと妄想してしまう。
しかし、そんなことが起き得ないことも知っている。
左手首に巻かれたリボンを、右手でさする。買った時よりもだいぶ使い込まれ、ほつれて毛羽立っていた。
これを彼女に返さないと、次に贈るものの約束さえできないじゃないか。




