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月白の魔法使いを黎明で殺す  作者: 二羽鳥ごまの
第4章 砂に埋めてきたのに
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第27話 砂礫の記憶

 砂の海から、カルブが見ている。

 ゆったりと満足げに、歌うように囁く。

「来てくれてありがとう、シルリネア。兄様を呼んでくれて、すごく嬉しい」

 砂嵐に紛れて、シルリネアに魔法をかけた。

 通常であれば、気付かれたかもしれない。しかし砂漠という特殊な環境と、砂嵐という特殊な状況を重ね合わせれば……。


「さあ兄様、昔話の時間だよ」

 男児の姿に変じる。

 月白色の髪、褪紅色の瞳。痩せ細った体、首には真紅に染まった布製の首飾り。

 傷が全身に浮かび上がり、肌をくまなく覆い隠していく。

 ボロボロの布を体に巻き付けてから、カルブは風に紛れて姿を消した。


 ******


「あれは何?」

 メイランの視線の先にあるものを指して、シルリネアが尋ねる。

「ルハサーン寺院」

 メイランは呆然としたまま、ぽつりと答えた。

 明らかに様子がおかしい。

 さっきまで、あんなに楽しそうだったのに。

 よく見知った場所みたいに、砂漠を歩いていたのに。

 心ここに在らずとは、このことだ。

 シルリネアの心が異常を訴える。


 メイランが、緩慢に首を振った。そうすれば、何かが振り払えると思っているかのように。

「ごめん、シルリネア」

 唐突な謝罪に、シルリネアは戸惑った。一体どうしたというのだろう。

 メイランの状態を確認するため、できる限り平静に、できるだけ優しく、シルリネアは問いかける。

「どうしたの?」

「俺、あそこはダメなんだ。行けない……」

 あそことは、ルハサーン寺院のことだろうか。熱に浮かされたような、ぼんやりした声。

 シルリネアは慎重にメイランの手を取り、自分の手で包み込んだ。少しでも温もりが伝わればいいと思って。

「大丈夫よメイラン、行かなくていい」

 ゆっくりと声をかけつつ手首に触れ、脈をとった——少し早い。

 顔色は真っ青だった。頬にそっと手を滑らせる——熱はない。

 熱病ではなさそうだ。怪我もないように思える。


 ふとシルリネアは、メイランと出会った日のことを思い出した。

 怪我をしたメイランを癒した、その時に「視た」あの光景——。

 傷だらけの男の子。

 もしかして、ここでの出来事だったのだろうか。

 であれば、この豹変ぶりも理解できるような気がした。あんな目にあった場所に、行きたいはずがない。


「行かなくて……いい?」

 メイランが独り言のように呟いた。シルリネアがそっと答える。

「そうよ」

「本当に?」

「ええ、本当に」

 メイランの様子は、あまりにも痛ましかった。

 だからシルリネアは万感を込めて——メイランを抱きしめた。

「もう寝ましょう、メイラン。だって夜だもの、疲れたでしょう?」

 シルリネアはメイランを抱きしめながらゆっくり座らせ、横になるよう促す。彼は大人しく従った。

 自分の外套を外して、メイランにかけてやった。少し寒いが、凍えるほどでもない。

 外套越しにメイランの肩を優しくさすりながら、シルリネアは歌を歌った。

 故郷の子守唄を。


 幸せな子 眠りなさい

 心配しないで あなたには

 楽しいことだけ 訪れる

 おもちゃも お菓子も

 好きなだけ あなたの手の中


 同じ歌を何周か歌っているうちに、メイランは眠っていた。

 子供のように丸くなって眠るメイランに、もう一度外套をかけなおす。

「たまには守ってあげなきゃね」

 シルリネアはそう呟いて、彼の髪をそっとなでた。


 ******


 メイランが目を覚ましたのは、夜明け直前だった。

 ぼんやりする。石標を見たあたりからの記憶が曖昧だ。

 そのわりに、妙に心が軽かった。

 体を起こすと、小さめの外套が肩から滑り落ちた。シルリネアの外套だ。

「あれ……?」

 どうしてこんなことになっているのか、よくわからない。

 周囲を見回す。

「シルリネア?」

 黄金色の髪が見えない。薄荷色の瞳も。途端に不安になり、立ち上がった。

 軽かったはずの心が、一気に重くなる。

「シルリネア」

 少し語気を強めて、もう一度呼ぶ。

 返事がない。

「シルリネア!」

 叫んだ。声が虚しく砂に吸い込まれていく。

 どうなっている。メイランは混乱の淵に落ち込みそうになる自分を、必死で叱咤した。

 落ち着け、焦るな、冷静になれ。

 感情に任せて走り出さないよう、砂の上に座った。

 ふと、左手に違和感を持った。手首に何かが絡みついている。

 見た瞬間、凄まじい悪寒に襲われた。息ができないほどの衝撃が、全身を駆け巡る。

 真冬の水に突っ込まれた方が、まだマシだ。


 それは、シルリネアに贈ったリボンだった。


「おはよう、兄様」

 楽しげな子供の声に、メイランは顔を上げた。

「お前……!」

 月白色の髪の、ボロボロの男の子がいた。その哀れな姿とは裏腹に、満面の笑みを浮かべている。

 全身傷だらけの姿に、メイランは覚えがあった。この子の傷が手のひらや足の裏、髪の下にまで及んでいることを、知っている。

「どういうつもりだ」

 怒りを抑えて、メイランが言った。お前にその姿を取る権利なんてあるのか。俺の大切な存在によく似た、その姿を。

「兄様と、昔話がしたくて」

 無邪気に小首を傾げる様子が、いっそ凶々(まがまが)しい。哀れな姿のはずなのに、同情の気持ちが一切わいてこない。

 メイランを兄と呼ぶのは青嵐(せいらん)の弟妹と——実の弟。

 落ち着け。メイランは必死で自分に言い聞かせる。焦っても、怒っても、事態は改善しない。

「シルリネアが無事に帰ってきたら、考えてやる……ザフィル」

 それは腹の底から絞るような、唸りに近い声だった。

 ザフィルと呼んだのは、ただの当て推量だ。外れているだろうと思う。それでも目の前の存在が、ザフィルに近い何かだという確信はあった。

 メイランの内心を無視して、目の前の男の子が微笑む。

「ボクはカルブ。ザフィルはボクの主様の名前。ああでも、兄様にはボクの姿の方が、馴染み深いのかな」

 カルブがニコニコと笑う。記憶の中に住む弟とよく似た、傷だらけの姿で。

「ザフィルじゃねぇなら、おめぇとする昔話なんてねぇよ」

 メイランが吐き捨てるように言うと、カルブは笑った。

「そんなこと言わないで兄様。ボクね、昔は主様の一部だったんだから。主様の魔力の欠片から生まれたんだ。だから、主様の一部だった頃の、主様の記憶は持ってる……だいたい12、3歳ぐらいまでかな。主様が自分の年齢を知らないから、ボクの推測だけど」

 メイランは愕然とした。何を言えばいいのか、まるでわからない。

 カルブはニコリと微笑んだ。


「だから、ね、昔話しようよ、兄様——」


 ******


 シルリネアは、暗くて狭い場所にいた。

 光が差さないので、ここがどこなのかよくわからない。

 ひんやりした石壁が手に触れる。肌寒さを感じて、小さくぶるりと震えた。

 石壁を伝っていくと、錆びついた鉄扉のような感触にあたった。探っていくと、取っ手らしきものが手に触れた。押し引きしてみたが、まったく動かない。

 錆びて開かないのか、施錠されているのか、別の理由があるのか、わからない。

 力いっぱい取っ手を揺さぶっても、びくともしなかった。

 やむなく扉を一旦無視して、石壁をさらに辿っていくと、どうやら元の場所に戻ったようだ。目印にと思って置いておいたブーツが、足先にあたる。

 天井に手は届かない。足元はざらざらに乾き、踏み固められた剥き出しの土。

 石壁に囲まれた小さな部屋。鉄扉がついている。明かりはなく、天井は低くない。

 そこまでわかったので、一旦考えることにした。


「メイランなら、こういう時にどうするんだろう……」

 声に出して呟いてみる。

「とりあえず寝るのかな」

 クスリと笑いが込み上げてきた。やれることがないと、彼はすぐに眠ってしまう。

 反面、やることがあると判断すると、倒れるまで動くのが欠点だと思う。

「両極端すぎない?」

 笑うと、少し心が軽くなる。メイランがよく笑うのは、これが理由かもしれないと、ふと思った。

「メイランは大丈夫かな……」

 彼と引き離される直前のことを、思い描いた。


 ******


 抜けるように透明な、砂漠の夜空。

 シルリネアが眠るメイランを見守っていたら、突然あの子犬がきた。

「ねぇシルリネア、ちょっとだけ、彼と話をさせて」

 あいつは、いきなりそんなことを言った。

 あの子犬の姿を見ると、反射的に怒りがこみあげてくる。でも今は、メイランの眠りを妨げたくない。

 叫びたくなる気持ちを必死に抑えて声を出すと、低い声が喉から漏れた。

「私がここを離れるなんて、本気で思ってるの?」

 メイランの手にそっと触れた。そうすると、彼の力を貸してもらえるような気がした。

「やっぱりだめ?」

「当たり前でしょ」

「そっかぁ……」

 子犬の姿が、ゆらりと震えた。

「じゃあちょっとだけ、あっちいってて。大丈夫、すぐに迎えがくるよ」

 シルリネアの視界が歪んだ。直感で、この場から切り離されると思った。


 もしかしたらこの力が、私を故郷からヴァルグリムに運んだのかもしれない。


 そんな考えが、シルリネアの頭をよぎる。だが、深く考える余裕はなかった。

 メイランと離れたくない。咄嗟に頭のリボンをほどいて、彼の手首に絡めた。ここに自分は確かにいたのだと、不本意に離れたのだと、彼に伝えたかった。


 そうしてシルリネアは、砂漠の外に放り出された。

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