第26話 塵埃
シルリネアとメイランは、必要最小限の荷物を整えた後、早々にタズレクを出発した。
タズレクはリュミエールの王都に近すぎる。
とにかく砂漠に入り、次の大都市であるミルザードに行くというのが、メイランの計画だった。
「ミルザードなら光の神の勢力がだいぶ落ちるし、砂漠は馬の機動力も使いにくいから、多分途中で諦めてくれるんじゃねぇかなぁ」
日中の休憩時間。大岩の影で涼みながら、メイランが新しく買った剣の具合を確かめつつそう言った。
できるだけ早く諦めてほしいという希望が混ざっているのは、否定できない。
シルリネアはメイランのそんな様子を見ながら、疑問を口にする。
「ねえ、砂漠ってどうやって道を決めてるの? 砂だらけで、道なんて見えないんだけど」
「太陽や月、星の位置と、足跡かな。あとは石標があったり、井戸があったり」
メイランが剣で示した地面には、確かに大勢の足跡が残っていた。轍の跡や動物の蹄の跡もあるので、かなり大規模な隊商が通った跡だろうと言う。
「本当は、隊商と一緒の方が安全なんだけど。リュミエールの連中が追ってきそうだし、しばらくの間はふたり旅だなぁ」
岩陰で涼しいとはいえ、よく剣を振り回しながら喋れるものだと、シルリネアは変なところで感心してしまう。
砂漠はシルリネアにとって、今までまったく経験したことのない暑さだった。この気温の中でさらに歩くのかと思うと、気が遠くなる。
シルリネアの気持ちを察したのだろうか。メイランが笑いかけてきた。
「日没あたりまで休憩するか。暑くて眠りにくいだろうけど、寝た方がいい。夜の寒い間に移動しよう」
その言葉に、シルリネアが苦笑した。
「メイランは寝ないの?」
「俺は平気」
メイランが笑い、シルリネアは嘆息した。彼の自己犠牲は、時に度を越している。
「メイランが先に寝て。後で起こすから」
「……え? どうして?」
メイランが目を丸くしてシルリネアを見ている。この展開を、まったく予想していなかったらしい。
「そうしないと、メイランが寝てくれないから。私は、メイランが寝てくれたら寝ることにする」
「……マジで?」
「マジで」
シルリネアは、メイランの口癖を真似して言い返した。
しばらくの沈黙。
ふたりは目を合わせたまま、微動だにしない。
シルリネアはまっすぐにメイランを見つめ、メイランは困惑と気まずさを混ぜた表情でシルリネアを見ている。
沈黙を破ったのは、メイランだった。
「……わかった。ごめん、次からは相談する」
メイランが両手を上げて、降参の仕草を取った。それを見て、シルリネアが微笑む。
「そうしてくれると嬉しいかな。私ばかり守られてるんじゃ、不公平でしょ」
満足そうなシルリネアを見て、メイランが苦笑する。
彼女はもう、世間知らずの村娘ではないのだと、自分に言い聞かせた。
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ザフィルは新しい目になった司祭を使って、リュミエールの動向を見ていた。
意識を潰してしまったので、新しい意識を与えた。この司祭の脳から得た情報を使って複製したので、そこまでかけ離れたものにはなっていないはずだ。
驚くべきことに、これは高司祭だった。高司祭としての序列は高くないが、れっきとした中枢部の一員だ。
こんな奴でも高司祭を名乗れるとは、光の神もたかが知れている。こんな愚物が、異端審議会に参加できるなんて。
きっとこの審議会で、シルリネアの異端が認定されるのだろう。
彼女は正式に、リュミエールの敵となる。
彼女と行動を共にするメイランも、おそらく協力者とされ、敵になる。
「……まあいい」
リュミエールは放っておこう。
どうせ大したことはできない。
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ルイスは異端審議会の結果を聞いた。
あの娘は、異端認定された。偽聖女として。
つまりあの男も、協力者として排斥の対象になる。
哀れなことだと思う。せめて、抵抗せずに捕まってくれればいいのだが。
そうすれば、苦しまずに殺してやれるのに。
罪人に施せる数少ない慈悲のひとつが、苦しませず一思いに殺すことだと、ルイスは信じている。
聖堂騎士団から異端討伐隊に出す人員にも、そのことをしっかり言い含めないといけない。
光の神の道から外れてしまったのは、哀れなことなのだと。
哀れな者には、慈悲をかけなければいけないと。
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夕刻の砂漠に、大規模な砂嵐が巻き起こっていた。
「ねえ、これ! 迷って、ない!?」
暴風の音に負けじと、シルリネアが叫ぶ。
「ご明答!」
メイランも大声で答えた。口に砂が入らないよう布で口元を覆っているため、余計に聞き取りにくい。
シルリネアが砂嵐にめげず動くものだから、ふたりは完全に現在地を見失っていた。
なおも動こうとするシルリネアを見て、メイランはやむなく彼女の肩を掴み、強引に立ち止まらせた。
「無闇に歩くな! 嵐が過ぎるまで待て!」
メイランはシルリネアの耳元で叫んだ。その途端、シルリネアはびくりと小さく震えて立ち止まる。
「動くな、座れ」
メイランの声に従って、シルリネアは糸の切れた操り人形のようにすとんと座った。今まで動き回ろうとしていたのが、嘘のようだ。
初めての砂嵐に、気が動転してるのだろうか。何やら様子のおかしいシルリネアを慎重に観察しながら、メイランは嵐が過ぎ去るのを待った。
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砂嵐が去った後は、地形がすっかり変わってしまっていた。
「なにこれ……」
あまりの変わりように、シルリネアは呆然としている。
嵐の前は砂丘がひとつ見えたはずなのに、今はみっつもある。目印にしていた隊商の足跡は、跡形もなく消えていた。
「砂だからなぁ。風が吹けば、そりゃあ形も変わるだろ」
「だからって、変わりすぎじゃない?」
「砂だからなぁ」
メイランは落ち着いている。現在地は不明だが方角は見失っていないので、何とかなるという確信がある。
シルリネアも、いつも通りに戻ったようだ。砂嵐の時のような、おかしな様子は消えている。
「とりあえず、石標でも探すか」
全身にまとわりついている砂を落としつつ、メイランは砂丘を滑るように下った。
「ち、ちょっと、どこ探せばいいの?」
シルリネアが慌てて後を追いながら尋ねると、メイランが振り向いて笑う。
「てきとー! 見つけたら声出して教えて」
「適当って……!」
困惑顔のシルリネアを見て、メイランはもう一度笑った。
シルリネアと手分けをして、砂漠の目印を探す。
メイランが足で砂地を探っていると、石のような感触を感じた。
「お、見つけたかな」
小さく呟きながら、足元の感触を頼りに掘り進める。
思った通り、そこには石標があった。これがあれば、現在地がわかる。石標の砂を払い、月明かりと指の感触で読み取ろうとすると。
ぞわり。
メイランの全身に悪寒が走った。
立ちすくむ。
なんでこんなところに。
いや、どうしてここに来てしまったんだろう。
あの場所は、こんなに西側だっただろうか。
混乱する。
偶然にしてはできすぎだ。
ルハサーン寺院が、こんな場所にあるなんて。
一番最初の記憶。飢えと暴力に塗り潰された日々の舞台。
弟という名の、かすかな光明にすがって生きていた時代の、残骸。
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何もない。
シルリネアは辟易としていた。
ずっと砂しかない。石ころの感触さえない。単調すぎて疲れてしまう。
メイランはどうやって、この砂漠で位置を掴んでいるのだろう。シルリネアは不思議で仕方がなかった。
太陽や月、星を見る、足跡を見る、石標などを探す。理屈はわかる。でもその方法を、この砂の世界で身体化するまで身につけるには、かなりの時間が必要だろう。
彼は、このあたりに長くいた時期があるのだろうか。
シルリネアが自分の髪に手櫛を通してみると、砂が際限なく落ちてきた。
砂嵐のせいだ。げんなりしながらリボンを外して髪をほどき、まとめ直した。
そう、砂嵐。あの時、シルリネアには妙な感覚があった。
さっきの砂嵐で、シルリネアはメイランに強引に押さえられた。あれがなければ、まだ歩いていた気がする。
なぜ、あんなに歩こうとしたのだろう。どこに向かおうとしていたのだろう。
シルリネアは考える。
今考えれば、何かがおかしい。あんな嵐の中で歩こうとする方が、どうかしている。
魔法の干渉があったのかもしれない。
メイランには魔法が効かなくて、私だけかかった?
あり得る。
しかし、なぜそんな魔法が使われたのか、それともあらかじめ仕掛けられていたのか、まったくわからない。
シルリネアは考えながら歩く。時折足元の砂を足で掘り返していると、メイランの姿が見えた。
彼の前には、石標らしきものがある。
「メイラン」
声をかけ、走り寄る。
「見つけたなら教えてくれて、も……」
シルリネアは、彼の様子がおかしいことに気付いた。
呆然としている。石標から目を離せない様子だ。
「……どうしたの」
メイランにそっと声をかけた。
彼はゆっくりと振り返る。下手な人形芝居のようなぎこちなさで。
「あ、シルリネア……」
メイランから、いつもの快活な様子が消えていた。胸騒ぎがする。
「変なところに来ちまったなと、思って……」
そう言ったきり、彼の視線はシルリネアから外された。
メイランの視線を追って目を凝らせば、月夜に大きな影が見える。建物のようだ。
その建物は、遠目にも理解できる程、崩れ落ちていた。




