第20話 聖女
神託の儀式を終えると、その場は解散となった。
列席した人々は、興奮冷めやらぬ様子で散っていく。
シルリネアもその一人だった。
「早くクレイヴェルに戻って、ヴェンツェルさんに伝えなきゃ。ね」
「そうだな、早く戻りたいよな」
メイランはシルリネアに調子を合わせているが、上の空だ。
彼の様子をよく見れば、顔色が優れないことに気付けただろう。だが、今の浮かれ切ったシルリネアでは、無理な話だった。
シルリネアは、大神殿の通路を弾むように歩いている。髪を彩る薄荷色のリボンが、笑うように踊った。
大神殿を出る直前、尋常ではないざわめきが聞こえてきた。
「なに?」
シルリネアが、騒いでいるあたりに目をやる。
どうやら巡礼者の女性が、騒いでいるようだった。子供を掻き抱き、目の前の司祭に取りすがって懇願している。
「お願いします司祭様、どうかお助けください。この哀れな子を、どうか……!」
シルリネアの眉がひそめられた。歩調を早め、騒ぎの場に急ぐ。
「先程もお伝えした通り、その子の腕を癒すことはできないのです。元から存在しないものを作るのは、神の御業ではありません」
司祭は困惑しつつ、誠実に対応しているようだ。無理を通そうとしているのは、巡礼者の方だと思える。だから野次馬たちも、概ね司祭に同情的な様子だった。
「どうしたんですか?」
シルリネアは人混みをかきわけて、巡礼者に尋ねた。彼女の腕に抱かれた子は、真っ青な顔で震えている。巡礼者は、シルリネアに必死で訴えた。
「この子の腕が『消えて』しまったんです。だから、腕を戻していただきたいんです」
消えたとは、どういうことだろう。意味がわからず困惑していると、巡礼者が怯える子を包み込んでいるローブを払った。
ローブの中を見て、シルリネアは息を呑んだ。追いついてきたメイランも愕然とする。
その子の左腕は、消滅していた。
肩の断面が異様に滑らかだ。まるで唐突に途切れたかのように。
先天的に腕のない人でも、こんなに滑らかな断面にはならない。後天的に腕を失ったのであれば、なおのことあり得なかった。
「司祭様に腕の再生をお願いしたのです。しかし司祭様は『腕は元から存在しない』と……! そんなはずないのに……!」
この巡礼者は、左腕を失った子の母親だろうか。嘘をついているようには見えない。
存在しないものは再生できない。道理だ。シルリネアもそう思う。
しかし、本当に元から存在しなかったのだろうか。そうであれば、母親はここまで取り乱さず、子もこんなに怯えていないのではないだろうか。
「……やってみます」
シルリネアが、巡礼者に告げた。
「おい」
メイランが心配そうにシルリネアに声をかける。だが、彼女は首を横に振って微笑んだ。
「大丈夫」
大丈夫? どこが? メイランの胸に不安が渦巻く。
普段のメイランなら、強引にでも止めていただろう。しかし今は、思考がまとまらない。体が動かない。
彼女が決めたなら、それでいいじゃないか。
逃げるような考えに、すがってしまった。
シルリネアは巡礼者に近付き、腕の中で怯える子に触れた。
******
茂みの中、カルブの褪紅色の瞳が、メイランとシルリネアを捉えている。
「兄様かわいそう、困ってる」
地面に伏せて、演技じみた悲嘆の声を囁く。
「兄様は、主様のことが好きなのかな。シルリネアと、どっちのほうが、好きなんだろう。悲劇だね、かわいそうだね」
言葉で嘆きながら、口の端はクスクスと笑っている。
「シルリネアは、兄様のことを手放さないでね。だって、主様を——」
カルブの潜む茂みに、巡礼者の子が数人駆け込んできた。
それを避けるように、カルブはふわりと姿を消し。
「——殺せるのは、兄様だけだと思うよ」
高い木の上に、姿を現した。
******
シルリネアの癒しの魔法が、腕のない子の中を走る。
腕は確かに、元からなかったように見えるが……。
偽りだ。
シルリネアは確信する。
本来腕があるべき場所には、確かに痕跡が残っている。この子は、腕の記憶を残している。
戻せる。
シルリネアは、途切れた肩口に癒しの力を集めた。肩に残った腕の記憶を辿り、掘り起こす。腕がないという認識が誤りであると、シルリネア自身の腕の記憶を使って体に伝えた。
黄金色の優しい光が、その子の肩から腕にかけて、あるべき形で包み込み——。
光が収まると、腕が綺麗に再生していた。
「奇跡だ……」
誰かが言った。
「光の神の奇跡だ!」
他の誰かが叫んだ。
周囲が歓声に包まれ、神への感謝とシルリネアへの賞賛の声が響く。
違う。
奇跡なんかじゃない。
荒い呼吸を抑えながら、シルリネアは思う。
これは、私の癒しの魔法だ。
神の力でも、奇跡でもない。
癒えるべくして癒えた。それだけなのに。
癒しの代償で、左手が動かない。痺れた感覚さえない。
体が、左手の存在を認識していない。
きっと、数日はこのままだろう。
視たものの影響で、頭の中の整理ができない。ぐちゃぐちゃだ。どこかで落ち着きたい。
群衆に囲まれるシルリネアの背後に、メイランが立った。
「つらいなら寄りかかれ。目を閉じてもいいから」
彼は寄りかかり方を教えるように、シルリネアの肩を軽く後ろに引いた。倒れないよう、腰に腕を回して支える。
「……ありがとう」
シルリネアは、心から安堵した。彼なら支えてくれる、信頼できる。
腕の戻った子を抱いた母親が、シルリネアにすがりついた。
「ありがとうございます、聖女様!」
まずい。メイランの全身が、危険を訴える。
母親の気持ちはわかる。司祭に癒せなかった腕を、彼女は癒した。
だから聖女だ。光の神から特別に愛され、力を授かった女性だ。そう思ったのだろう。
だが聖女と呼ばれるのは良くない。
シルリネアが使うのは、光の神の魔法ではない。
「私は聖女じゃないですよ」
シルリネアが苦笑しつつ、否定した。
「でも、腕が元通りになって良かった……」
彼女の言葉は、微笑みは、心からのものだ。偽りのない、純粋な優しさだ。
だからこそまずいと、メイランは考える。この場にいる信徒たちが、彼女の善性を受け取ってしまう。聖女だと確信してしまう。
シルリネアが聖女ではないと否定する様子を、謙遜と捉えてしまう。
そうして噂がひとり歩きして……シルリネアは聖女になってしまうだろう。
光の神の信徒でさえないのに。
メイランは、この場を強引にでも抜け出そうと決意した。
早くリュミエールから離れるべきだ。
これ以上の騒ぎになる前に。
聖女の偽称を疑われる前に。
「行こう」
メイランは短く告げて、動くこともままならないシルリネアを抱え上げた。
小声でシルリネアに付け足す。
「抜ける。ちょっと我慢して」
シルリネアは小さく頷き、体をメイランに預けた。左腕がだらりと力なく落ちかけたので、右腕で左腕全体を抱く。
左が動かないのか。メイランは視界の端でシルリネアの状態を理解して、群衆を抜けにかかった。




