第15話 繋ぎ、結ぶ
港には、これから乗る船が係留されていた。
シルリネアから、石鹸の良い香りがした。それがメイランを困惑させる。
石鹸を選んだのは自分だ。どうせならと思い、香りの良いものを選んだのも自分だ。だが、それがここまで自分に効くなんて。思ってもみなかった。
こんなに香りに敏感だっただろうか。メイランは密かに首を傾げる。そんなことはないはずだが……。
一方のシルリネアは、上機嫌だった。石鹸の香りを楽しむように、時折自分の腕や髪に鼻を寄せ、満足そうに微笑んでいる。
シルリネアは弾むように歩き、メイランはその後ろで困り果てていた。
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船に乗る時、ふたりは船員たちに紹介された。
シルリネアは、船員たちが妙にざわめいているのを不思議そうに眺めているが、メイランはその理由を痛いほど理解できた。
——男社会に、こんな美人が飛び込んできたら、そりゃあなぁ……。
護衛の仕事を探した時に、あえて伏せていた部分だ。同行者が若くて綺麗な女性だということは。
「若い女は困るんだよなぁ。薬草師だって言うから、てっきり婆さんだと思ってたんだが」
船長が、こっそりメイランにぼやいた。
概ね想定通りの反応だ。メイランは、ニッコリと人好きのする顔で笑う。
「今日中に何とかしますよ。仕事には影響ないようにしますんで」
「頼むぞ」
船長はそう言って、メイランの側を離れた。この船長は、仕事に支障がなければ、船員たちの問題には介入しない主義のようだ。その方が、船員たちと話をつけやすくて助かる。
今日中に仲間意識を作ろう。メイランはそう考えつつ、船員たちを観察した。
仮に喧嘩を売るのであれば、最上位を狙わないといけない。そうでないと、何度もやることになって面倒だ。喧嘩以外の方法をとる場合でも、影響力の強そうな人物に食い込みたい。
そんなことを考えつつ様子を見ていると、船員たちが、こちらをチラチラ見ていることに気付いた。
案外、こっちから仕掛けなくてもいけるかもしれない。
向こうから何かしてくれるなら、その相手をすればいいだけだ。楽でいい。
航海が3日しかないことを考えると、すぐにでも仕掛けてくるだろう。
「シルリネア」
メイランが、乗船しようとしているシルリネアを呼び止めた。
「なに?」
振り返り立ち止まったシルリネアに、足取り軽く近寄った。シルリネアに追いついて耳に何事かを囁くと、彼女の眉がひそめられる。
「……いいけど、無茶しないでね」
「わかってるよ。さて、行くか」
シルリネアの背中を軽く押しながら、船と港を繋ぐ板に足をかけた。
背負い袋の奥底に押し込んだままの贈り物が、小さく揺れた。
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シルリネアは船倉で、荷物の整理をしていた。
船での彼女の居場所は、ここだった。暗くてジメジメしているが、文句は言えない。
幸いなことに、甲板の床板と兼用の明かり取りの窓がある。日中であれば、暗い中で過ごす必要はなさそうだ。
本当にやるのだろうか。先刻メイランから言われたことを思い出す。
そのとき、甲板からどっと歓声がわいた。
——本当にやってる。
ここまで有言実行だと、尊敬や感動を飛び越えて呆れてしまう。
そうなると、シルリネアの出番も来てしまいそうだ。彼女は仕方なく、メイランから言われた通りの準備をすることにした。
「あまり怪我されても困るんだけど」
シルリネアが小さくぼやく。癒しの魔法を使ってはいけないのなら、なおさらだ。
「止血と湿布ぐらいでいいかな……痛み止めも少しいるかも……」
いくらなんでも、骨折まではいかないだろう。そのあたりはメイランを信じるしかない。
甲板の歓声は、長い間途切れなかった。
そして、騒ぎの中心にはメイランがいるはずだった。
しばらくすると、メイランがひょっこり顔をだした。
「出番」
彼はニッと笑い、親指で甲板を示した。シルリネアは、揃えておいた薬草と道具を手にして立ち上がる。
「骨折みたいな酷い怪我の人は、いない?」
念のためと思って尋ねると、メイランは笑いながら否定した。
「いないいない。打撲と軽い擦り傷だけ」
どうやら、軽い怪我人しかいないようだ。シルリネアは安堵のため息をつく。
「……そう。メイラン、あなたは大丈夫?」
「そりゃあもちろん。アザのひとつもできてねぇって」
シルリネアは、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「よかった」
船員たちのことも心配ではあるが、メイランの無事の方が大切だった。
これで安心して、船員たちの傷の具合を見ることができる。
「じゃあ行きましょ」
メイランを促して、シルリネアは甲板に出る階段をのぼった。
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メイランの言った通り、怪我人は全員軽症で、人数もさほど多くない。
シルリネアは怪我人の処置を手早く済ませていく。
「いやぁ兄ちゃん強ぇなぁ」
手当を終えた船員が、満面の笑顔でメイランに話かけた。
メイランも笑って応じる。
「俺、運がいいんだ」
シルリネアはメイランの軽い声を耳で追いながら、船員の手のひらにできた擦過傷に薬を塗り、包帯を巻いていく。
どうやらメイランは、船員たちの挑戦をことごとく受けたようだった。
その結果、彼は船員たちの自分に対する評価を「陸のひ弱な男」から「海でも頼りになりそうな男」に、塗り替えさせることに成功していた。
彼らの傷の具合から察するに、喧嘩ではなさそうだ。綱登りや綱引きあたりだろうか。船乗りたちの得意分野だろうに、それで彼らを認めさせるなんて。
体を使うことはメイランに任せればいいと言っていた、ファランの言葉が思い出される。
「はい、終わりましたよ」
シルリネアは、包帯を巻き終えた船員に声をかけた。
「悪ぃな、お嬢ちゃん」
「……いえ、お役に立てたなら良かったです」
お嬢ちゃんという言葉に見下す風を感じたが、シルリネアは気にしないことにした。ここで争いごとを起こすのは、よろしくない。
せっかくメイランが、ここまで仲良くなったのに。自分がその流れを壊すことは避けたかった。
「あ、そうだ。シルリネア」
不意にメイランが話しかけてきた。
「俺、今日は夜番だから。先に寝てて」
「……わかった」
シルリネアはそっとため息をついた。
色々と話したいことがあったのに。でも仕方がない。メイランは仕事だし、船の中は壁も床も薄すぎて、メイラン「だけ」に話せる環境ではない。
もうちょっと剣術に力をいれれば、メイランと一緒に仕事ができて、会話をする機会も増やせるだろうか。
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夜。
シルリネアは明かり取りの窓を少し開けて、細長い星空を眺めていた。
ひとりで眠るのは、かなり久しぶりだった。故郷にいた時が最後だったと思う。
その後はずっと、近くにメイランがいたから。
今も近くにいるはずなのだが、何となく遠い気がした。
早く眠らないと。
明日も色々とあるだろうし、体調を整えないと船酔いしやすいと聞く。
無理にでも眠ろうと横になり、毛布を頭からかぶろうとした時。
窓のあたりをコツコツと小さく叩く音がした。
驚いて音のした方を見ると、悪戯っぽく笑うメイランの顔が見えた。
「よ。揺れてるけど眠れそう?」
ささやき声でメイランが問う。シルリネアは思わず、クスクスと声を抑えつつ笑いだしてしまった。
「びっ……くりした……! 私ね、あなたのこと考えてた。そしたら来るから……!」
一瞬の沈黙。
「……そりゃあ奇遇だ。悪いことを考えられてなけりゃいいんだけど」
返ってきたのはいつもの声だった。
「メイランと別れて眠るのは久しぶりだなって、思っただけ」
「久しぶりによく眠れそうだったり?」
少し意地悪な口調だったが、シルリネアは首を横に振って微笑む。
「逆。眠りにくくて」
「…………へぇ」
妙な間をあけて、妙に感慨深い声で、メイランが言った。
「じゃあ俺、しばらくここにいるから、その間に眠っちまえよ。あとさ…………あったあった」
何かをゴソゴソと探す音の後に、窓から細長いものがするりと伸びてきた。
シルリネアが手に取ると、それはリボンのようだった。
「やるよ。髪が長くて大変そうだったから」
夜なので、色はよくわからない。だが、艷やかで手触りの良い素材であることはわかった。決して安物ではない。
「こんなのどこで……」
シルリネアはそう言いかけて、言い直した。
「ありがとうメイラン、すごく嬉しい」
メイランの返事を待たず、シルリネアは横になって毛布にくるまった。
リボンの手触りを楽しんでいると、ほどなく睡魔がやってきた。
なんだか今日は、良い夢を見られそうな気がする。




