第14話 善意
翌日。ふたりはヴェンツェルから書簡と路銀を受け取って、クレイヴェル王国を後にした。
「モンテリオから先はだいぶ暖かくなるから、薄手の服を買った方がいいかもな」
渡された銀貨を数えつつ、メイランが言った。
「どこで買うの?」
「モンテリオで最低限を揃えて、後は現地」
メイランの様子に、シルリネアは嬉しい気持ちを抑えきれなかった。
「……なに?」
シルリネアがずっとニコニコしている理由に見当がつかず、メイランは苦笑しながら尋ねてみた。さっきから、こっちを見ては笑っている。
嬉しそうに微笑みながら、シルリネアは言った。
「メイランの体調が戻ったみたいだから、嬉しくて」
メイランは呆気に取られてしまった。あの程度なら、一晩も眠れば治ると決まっているのに。
「……そんなことで?」
呆然と問いかけるメイランに、シルリネアはもう一度微笑んだ。黄金色の髪が、陽光を反射してキラキラ光る。綺麗に上がった口角が眩しい。
「メイランが辛い思いをしてないのは、大切なことでしょ」
シルリネアの言葉は、メイランの罪悪感を刺激する。彼女をまだ勘違いさせたままであることに、胸がチクリと痛んだ。
咄嗟に痛みから目を逸らす。またシルリネアを心配させる訳にはいかないし、かといって、真実を話す勇気も持てない。
仕方なく、ごまかす方向に舵を切る。
「そんなに心配させてたんだな。悪かった、気をつけるよ」
冗談めかして笑うと、シルリネアは苦笑した。
「気をつけるって、どうやって?」
冗談と受け取られていることに安堵しつつ、メイランはもう一度笑う。
「まあ任せとけって」
さらに軽口を上乗せしながら、彼は別のことを考えていた。
——本当に、気をつけねぇとなあ。
******
モンテリオ王国は、今まで通ってきた様々な地域に比べると、圧倒的に温暖だった。
「夏みたい」
上衣を1枚脱いで背負い袋に押し込みながら、シルリネアが言った。山脈の裾野を回り込んできただけで、ここまで違うとは思っていなかった。
メイランが笑う。
「夏はもっと暑いし、リヴァンティアとリュミエールはさらにキツいぞ」
「ほんとに?」
「だから服を買おうって言ったんだよ。宿に荷物置いたら、さっそく市場に行こう」
シルリネアは、疑いと驚きの混ざった顔をしている。ずっと寒い地域を移動してきたので、無理もないのかもしれない。
メイランの感覚だと、十王国に入って、やっと温暖になってきたと感じる。北大陸はかなり寒いんだろうな、とぼんやり考えた。
宿で部屋を取り、軽装で外に出る。
今までは一番安い大部屋で、他人とも同室で眠ることが多かったが、今はふたり部屋を取るようにしていた。
書簡のためにも、安全管理が求められたからだ。ヴェンツェルからは、その分の路銀も上乗せで受け取っている。
「市場に、櫛とかあるかな」
シルリネアが、期待に満ちた声で言う。
「さすがにあるだろ。服買ったら寄ってみよう」
「ほんと? ありがとう」
ぱっと表情を輝かせて、シルリネアは足取り軽く歩く。メイランはその後方から、歩調をあわせながらのんびり歩いた。
モンテリオの市場は、シルリネアが見てきたものの中でも、一番活気があった。
飛び交う呼び込みの声、値切り合戦、たまに聞こえてくる喧嘩の声……様々な感情の波が、シルリネアを圧倒した。クラクラする。
ぼんやりしすぎて何度も誰かに腕を引っ張られたし、スリにも遭いかけた。そのたびに、メイランが手を差し伸べてくれる。
「おっかねぇ」
メイランはそう言って苦笑した。
「音はできるだけ聞くな。目だけで見てろ。後は俺が何とかするから」
メイランの言う通り、見ることだけに集中すると、だいぶ楽になった。
自分は騒音に弱かったのだと、シルリネアは理解した。それでも次はもう少しまともに、いずれはメイランと同じように、市場を歩けるようになりたい。
メイランと同じように歩く。それは、シルリネアの小さな願いだった。
ふたりは、古着屋で衣服を一通り取り替えた。
その後、小物を取り扱う店が多く軒を連ねる場所に足を向けた。
シルリネアはそこで、簡素な木製の櫛を買った。他にも針と糸を数種類、小さいナイフ、帳面などの小物を手に入れる。
いかにも素朴で実用的、シルリネアらしい買い物だと、メイランは微笑ましく見守った。特に櫛を買った時など、幸せな村娘そのものだった。もっといい櫛を買えば、もっと嬉しそうに笑うのだろうか。
メイラン自身も、修理道具などの消耗品を補充した。そこでふと思いたち、普段は買わないものを、いくつか追加することにした。
******
市場の買い物を終えた後、港で船便を確認した。
モンテリオとリヴァンティアを往来する船自体は、いくつもあるようだ。メイランは護衛を探している商船を手早く見つけて交渉し、あっという間に船に乗る手筈を取り付けてきた。
日没直前、ふたりは宿へ戻った。シルリネアは部屋で荷物の整理をしながら、メイランの話を聞く。
「出港は明後日だとさ。シルリネアのことは薬草師だって言ってある。相談に来る奴がいるかもしれねぇけど、対応できる範囲で相手してやって。魔法は禁止、下手に頼られすぎると、お前がきついだろうし」
「わかった」
シルリネアは、メイランの説明に頷いた。であれば、薬草を何種類か補充しておいた方がいいかもしれない。
本当は自分で薬草を採取したいのだが、時間がない。また市場に行くしかなさそうだ。
必要になりそうな薬草を記憶の中から探していると、唐突に、メイランから布に包まれたものを手渡された。
「なに、これ?」
「やるよ」
包みを開けると、爽やかな香りがシルリネアの鼻をついた。手のひらほどの大きさの、乳白色の塊……。
「これ、石鹸……!」
石鹸は、少し背伸びして手に入れる日用品だ。メイランが持ち歩いているところなど、見たことがない。
「市場で見つけたからさ。櫛とか買うなら、使うのかなって」
ぎこちなく笑うメイランを見て、シルリネアにも笑顔がこぼれた。若葉の芽吹きに似て、見る者の胸を踊らせる。
「ありがとう、メイラン。大切に使うから」
「いや別に……いいよいいよ、使いやすいように使ってくれれば。なくなったらまた、やるからさ」
メイランは、ごまかすような早口でまくし立ててしまった。どうしてこんな口調になるのか、自分でもわからない。
その様子を見て、シルリネアが笑う。
「じゃあ、さっそくこれから使わせてもらおうかな。お風呂入りたいし」
持っている書簡をメイランに預け、シルリネアはさっさと風呂に行ってしまった。
「……これ、まずったか……?」
メイランは、なぜか心が浮ついてしまう自分に困惑していた。
何度も深呼吸をして、雑念を振り払う。
なんとかして、シルリネアが戻って来る前に、平静を取り戻さないといけない。
これじゃあ、市場でもうひとつ贈り物を買っただなんて、言えないじゃないか。




