第118話 誓い
突然の贈り物に、メイランは頭を抱えてしゃがみこんでいる。
「いつまでそうしてんだ、腹括れ。一番やりてぇことはなんだ」
影嵐が、メイランの背中をつま先だけで蹴りながら問いかける。
「……シルリネアを幸せにすること」
メイランは小さく、しかし即座に呟いた。
彼女の笑顔をひとつでも増やしたい。
残った時間は、決して多くないけれど。
影嵐はため息をついた。
「そこまでわかってんなら、親父らの厚意を最大限に利用しろ。いいな。必要なら、雪月花まとめて連れてきてやる」
女性陣の名前に、メイランはくすりと笑う。
「紅嵐の名前は出ねぇんだ」
「あいつは別枠だろうが」
「そりゃそうか」
メイランはもう一度笑い、立ち上がる。
「わかった、そうする。でさ、相談なんだけど。岩叔を呼んでくんねぇ? あの竜に鞍作んねぇとでさ。あと、家建てるのに必要なモン一式。木はあるから、工具と、まずは釘かなぁ。とにかく、なんもないんだよ。イチから作る時間も惜しいし」
ここにはシルリネアと、彼女の家しか残っていない。
「それだけか」
影嵐に改めて問われ、メイランはもう一度考える。
「うーん……あ、そうだ」
メイランが優しく笑う。
「月嵐も呼んでよ。ザフィルには見立ててもらったし、今も色々やってもらってるんだけど、月嵐にもシルリネアの体を診てもらいたい」
影嵐が片眉をあげた。
「あいつはどう見立ててる? 月に前もって伝えた方がいい」
「詳しいことは、直接聞いた方がいいと思うけど……」
メイランは、ザフィルに言われたことを思い出しながら、影嵐に説明した。
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「それで、代金なんだけど」
一通りの説明と荷の確認を終えた黒嵐が、シルリネアに切り出す。
「影兄からは、支払いに使えそうなものを見繕って、湖姐の許可をもらえって聞いてるんだけど。どこから探せばいい?」
「ええっと……」
シルリネアは足元の小石を見た。この村に転がっている石の多くは、宝石だ。その話をしようとした時。
「僕が払う」
ザフィルが戻ってきた。淡々と歩く彼の後ろから、紅嵐もついてくる。
黒嵐が、あからさまに嫌そうな顔をした。
「クソ野郎の屋敷と中身すべて。どう?」
「どうって……」
黒嵐が困惑していると。
「ずいぶん豪気じゃねぇか」
影嵐も戻ってきた。メイランと共に。
ザフィルは感情を乗せずに答える。
「僕にとって、何の価値もない場所だ。でも、代金にはなるでしょう? あなたは、地底湖に用があるとも言っていたよね。あそこが手に入れば、都合がいいはずだ」
ザフィルは影嵐に視線を合わせて、言葉を続ける。
「ザルミールの盗人どもにやるぐらいなら、あなたたちに買ってもらった方が、ずっといい。本はヴェンツェルにでも売って」
「お前は要らねぇのか」
屋敷や金銀財宝はともかく、本は魔法使いに必要なのではないか。影嵐はそう問いかけている。
「全部読んで、頭に入ってる。暗唱しようか?」
黒嵐の表情が歪んだ。
暗記暗唱は黒嵐の得意技だ。十八番を取られるようで、気分が悪いのだろう。メイランが苦笑し、シルリネアは口を開く。
「あそこの本、開いた形跡なかったけど」
ザフィルがどうやって読んだのか、知りたがっている様子だ。
ザフィルは薄く笑った。
「魔法」
「だろうと思った」
シルリネアが笑った。
メイランも笑い、黒嵐の背を何度か叩いた。
「悪ぃな黒嵐。今度また、稽古つけてやるから」
「……今からがいい」
「わかった。お前の仕事が終わったら、付き合うよ」
黒嵐をなだめてから、影嵐に笑いかける。
「どう? 支払いには十分だと思うけど」
影嵐が頷いた。
「いいだろう。あそこを丸ごと貰い受ける。その価値の分は、全部青嵐の借りだ。借りが尽きるまで、何でも運んでやる」
おそらく一生かけても、使いきれない額になるだろう。
だが、その方がいい。
親父たちも喜ぶはずだ。
どうせ、数世代に渡る付き合いになるだろうから。
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届いた荷物を片付けてから、メイランは黒嵐と紅嵐に稽古をつけた。
その後、影嵐と軽く手合わせをして、意見の交換をした。
実力が拮抗するふたりだけに、口論に熱が入りすぎ、あわや掴み合いの喧嘩に発展しかける。
止めたのはシルリネアだ。
「そこまで! おしまい!」
声を張り上げ、手を数度打ち鳴らすと、ふたりはびくりとして動きを止めた。
シルリネアが悠然と微笑む。
「華嵐さんの真似したんだけど、思ったより効くのね」
「……おっかねぇ。マジで華姐かと思った」
メイランが苦笑する。影嵐も大きなため息をつき、冷や汗を指で拭った。
「華姐が見えた」
黒嵐が真顔で言い。
「湖姐って華姐に似てたんだね……」
紅嵐もシルリネアをまじまじと眺める。
「華嵐さんに似てるなら、光栄かも」
シルリネアは笑ったが、青嵐の弟妹たちは、揃って複雑な表情を見せている。
華嵐の威光は、彼ら全員にしっかり染み付いているようだった。
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日没が迫り、誰もが引き揚げどきだと感じていた頃。
「こんばんは。おや、皆さん揃って賑やかだ」
ヴェンツェルが、ずっしりと重そうな荷物を抱え、転移門でやってきた。
「今日は千客万来だなあ」
メイランが笑う。
「いつもは静かなのにね」
シルリネアも、メイランの横で微笑んだ。
「すぐ退散しますよ。お二方の邪魔はできないので」
ヴェンツェルが冗談めかして笑いかけると、シルリネアが夕闇にまぎれて頬を赤くした。
メイランはシルリネアを愛おしく見つめてから、ヴェンツェルに笑いかける。
「で、どうしたの」
「ご報告をと思いましてね。シルリネアの異端と偽聖女を、やっと解けたので」
「え……!」
シルリネアは、思わず息を呑んだ。ヴェンツェルが微笑む。
「お待たせしてしまいましたが、あなたの名前は、記録から抹消という形になりましたよ」
ヴェンツェルは、会議の経緯をかいつまんで話した。
「ありがとうございます、ヴェンツェルさん。そこまでしていただけるなんて……!」
シルリネアは、深々と頭を下げた。
「よかったな」
メイランもヴェンツェルに一礼してから、シルリネアを優しく抱きしめる。
紅嵐と黒嵐はふたりを見て微笑み、顔を見合わせて互いの拳を合わせた。
「いい手際してやがる」
影嵐は軽く笑い、ヴェンツェルは当然だと言わんばかりに胸を張った。
「ということでザフィル、あなたも約束を果たしてくださいね。紙と筆記具一式はこれ」
持ってきた荷物を、ザフィルの前に置いた。
「足りなければいつでも言ってください。すぐ融通します」
「わかった」
ザフィルは受け取った荷物を、どこかに転移させて消す。
「書いたら、魔法王国の書庫に直接送る。あなたが書庫を開くまでに、何冊か書けていると思うよ」
ヴェンツェルは目を見開いた。
こんなに挑発的な彼は、初めてだ。声を上げて笑う。
「いいでしょう。なるべく早く、祖国に戻ります。1冊も書けてなかったら、何かしてもらうことにします」
「わかった」
ザフィルが口の端だけでかすかに笑う。
「あなたは勝てないと思うよ、ヴェンツェル」
ザフィルは既に書き始めていた。荷をほどき、紙とペンを取り出し、彼の頭の中にあるものを直接読み取り、書き記す——筆記に特化させた魔法生物が。
魔法生物であれば、休息なしで書くことができる。
まず夜明けまでに1冊。その後は半日から1日ごとに1冊。
それぐらい書けば、十分だろう。
しかもザフィルの選んだ執筆場所は、魔法王国の書庫の中だった。
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全員が帰り、夕食も終わり。
ザフィルは本を書くと言って、どこかに消えてしまった。
「あいつ、どこに隠れ家持ってんだろうなぁ」
メイランが笑う。シルリネアもつられるように笑った。
「今度聞いてみる?」
「だな。そうしよう」
小さなシルリネアの家で、小さな炉を囲む。それがふたりの、夜の習慣になっていた。
ふたりきりで、何もない。それがひどく贅沢だ。
「あの、さ」
メイランは、手の内にあるカップを弄びながら言った。
「なに?」
「今日の荷物、親父らからの贈り物が混ざっててさ」
「え、そうなの? もしかして、影嵐さんと話してたのって、それ?」
「うん、そう。でさ……」
メイランは曖昧に笑った——言うべき言葉を探して。
言い淀んでしまったメイランを見て、シルリネアが苦笑する。
「どうしたの? なんだか、困ってるみたい」
そう。確かに困っている。言葉が出てこなくて。
ああもう仕方がない。メイランは言葉を探すことをやめた。
きっとシルリネアなら、かっこ悪くても笑って許してくれるだろう。
「親父が、家具と衣装、送ってきたんだ。衣装は、婚礼の、立派なやつで。母御からは、シルリネアの、嫁入り道具、みたいなの。でさ、その衣装で俺、親父、たち、に、挨拶、したくて。シルリネアと、いっしょに」
メイランは途切れ途切れになりつつ、一度で言い切った。シルリネアに、口を挟む余地すら与えずに。
シルリネアの顔を直視できないまま喋ったので、彼女がどんな表情をしているのか、わからない。もし嫌がられたらどうしよう。恐る恐る目を向けると——。
シルリネアは頬を紅潮させ、驚きと歓喜の入り混じった顔でこちらを見ていた。
何度も何度も頷いてから、口を開く。
「すごく、すごく嬉しい。メイラン……! ねえでも、私、あまり……」
メイランはゆっくり首を横に振った。
「関係ない。俺は、シルリネアが好きなだけだから。シルリネアこそ、俺に大切な時間をくれるの?」
シルリネアの大きな瞳が、涙で揺れる。
唇が魅惑的な微笑みを形作る。
「全部あげる」
シルリネアが抱きついた。
メイランは抱きとめる。
「シルリネアのしたいこと、全部やろうな」
囁くと、彼女は腕の中でクスクスと笑った。
「私、メイランがしたいことを、したい」
「それズルいなぁ」
メイランは苦笑した。シルリネアを頭上まで抱え上げ、降ってくる黄金色の髪を楽しむ。
薄荷色の瞳を心ゆくまで見上げてから、シルリネアの唇を存分に味わった。




