第116話 青嵐の手並み
シルリネアは、少しずつ回復していった。
とはいえ、彼女の余命が延びたのではない。
ザフィルは数日ごとに彼女の状態を確認し、必要な処置を施す。
臓器を支え、途切れがちな神経や血管、筋肉を繋ぐ。
その際、ついでに自分の手足を直していった。
シルリネアの手足を正しい形とみなして直したせいか、ザフィルの手足は、心なしか彼女のものに似てきた。
「筋肉のつき方が似たんだろうな」
メイランは、そう言って笑う。
彼の手足は、ふたりに比べて筋肉質で太く、逞しかった。
ザフィルは今までずっと、自分自身だけを直していた。
支障なく動く程度に直れば、それでいいと思っていた。
だがシルリネアには、それだけでは足りない。
「きちんと」直す必要がある。
たとえば傷跡を残さないこと。たとえば痺れを残さないこと。たとえば——。
多岐にわたる項目を、ザフィルはひとつひとつ丁寧に解決していった。
今までやったことのないような精密さで。
メイランが気にする。それが最大の理由だ。
シルリネア自身は、ザフィルに近い考えを持っていた。動ければいいと笑い、多少の不都合は、やむを得ないと受け入れる。
だがメイランは、シルリネアが少しでも不便そうな様子を見せるたびに、なんとかならないかとザフィルに訴えた。
そしてザフィルは兄に対して、どうしても否と言えなかった。
頼まれると、どうにかしようと考えてしまうし、実際どうにかなってしまう。
日々は穏やかに繰り返され、ゆっくりと過ぎていく——多少の不安と焦燥を乗せて。
メイランのこだわりのおかげと言うべきか。
ザフィルは人体の構造を、驚異的な精度で理解できるようになった。
「きっと、世界中で僕が一番詳しいよ」
とある日の夕食、ザフィルはそう言って肩をすくめた。
「素材を揃えれば、人体を作れるぐらいにはね」
作る意味と価値はない。だが、作る自信はある。
シルリネアが遠慮がちに問いかけた。
「じゃあ、そこに魂……みたいなものを組み合わせたら、人間……っぽいものができる……?」
「かもしれない」
あっさり認めたザフィルを見て、メイランは呆れたように笑う。
「マジかよ」
「今のところ、やる気はないけれど」
シルリネアとメイランは顔を見合わせ——苦笑した。
アザルファは神に近い存在だったが、こいつはそれ以上ではないのか?
声にせずとも、ふたりとも同じ気持ちだった。
******
そんなある日。
影嵐が転移門からやってきた。
数台の荷馬車を連ね、紅嵐と黒嵐を従えて。
「こんなに頼んだっけ」
予想をだいぶ上回る量だ。メイランは困惑気味に出迎えた。
「半分は青嵐からだ。主に親父と母御殿からな」
「えぇ……」
「説明してやる。こっちこい」
メイランは影嵐に引っ張られていった。
少し離れた場所で、ふたりは話し込んでいる。
やがて、シルリネアもやってきた。
「紅嵐、黒嵐! 久しぶり!」
花のような鮮やかさで笑い、小走りで駆け寄る。
その少し後ろに、ザフィルがいた。
「湖姐! 元気だった?」
紅嵐が嬉しそうに跳ね回り、シルリネアに軽く抱きつく。
シルリネアは、紅嵐の小柄な体を抱きとめて笑う。
「見ての通り元気。紅嵐も変わりなさそうでよかった。黒嵐も会えて嬉しい」
「俺も湖姐に会えて嬉しいよ」
黒嵐が、はにかむように笑った。シルリネアの後ろを、少し気にしながら。
どうしたんだろう。シルリネアは背後を見て——思わず笑ってしまった。
黒嵐は、ザフィルが苦手なんだ。
当のザフィルは、まったく気にしていない様子だ。そもそも、黒嵐を覚えているのかさえ怪しい。
特にあの頃のザフィルは、触媒のせいで死にたがっていたから。自分の死に関係のないことを、果たして覚えているかどうか。
「ねえザフィル、黒嵐と紅嵐、覚えてる?」
シルリネアはザフィルに尋ねてみた。ザフィルは首を傾げてふたりを見て。
「何となく」
と言った。
「は?」
黒嵐が喧嘩腰になる。
「こっちはお前のせいで、寝込んだし醜態を晒すはめになったんだけど」
「そう。大変だったね」
何の感情もこもらない平板な声で、ザフィルは応じた。
ああ、これは会話にならない。
シルリネアが仲裁するために声をかけようとすると、まだ抱きついていた紅嵐が、シルリネアにだけ笑いかけた。
任せておけ、ということだろうか。
紅嵐はシルリネアから離れ、トコトコ歩いていく。ザフィルのもとに。
ニコリと笑顔を向けた。
「こんにちは。あなたが梅兄の弟のザフィルでしょ? 影兄から聞いてる。私は紅嵐、よろしくね」
「……よろしく、紅嵐」
突然親しげに話しかけられ、ザフィルは困惑気味だ。
「ザフィルは何歳? 私は18」
「22ぐらい」
ザフィルの年齢を聞いて、紅嵐は大げさに驚いてみせた。目を見開き、楽しそうに笑う。
「あ、照兄と同じだ! えー、嬉しいな。照兄はいい人だから、きっとザフィルもいい人だね。梅兄の弟だし」
紅嵐の決めつけに、ザフィルは眉をひそめた。
「論理性に欠ける」
「えー、いいじゃん。そんなもんだよ会話なんて。ザフィルってすごい魔法使いなんでしょ、ちょっと教えてよ。私、勉強中でさ……」
ザフィルを会話で引き回しながら、紅嵐は徐々に黒嵐と距離を取っていく。会話の合間に、紅嵐は黒嵐に視線を送った。
黒嵐は大きなため息をつく。
「正直、助かった。照兄は21で22は月姐だけど……まぁ紅嵐だし……」
「そうね。黒嵐、お疲れ様」
シルリネアは軽く笑い、黒嵐をねぎらった。黒嵐がザフィルを嫌うのは、仕方のないことだろう。
黒嵐は懐から書類を出し、シルリネアに渡す。
「これ、納品書。ちゃんと揃ってるか確認して。わからないことは説明するから」
納品書には、びっしりと品名と数量が書かれていた。これを、実際に運ばれてきた荷と照合しろということだろうか。
シルリネアが苦笑する。
「やったことないから、教えてくれる?」
「もちろん。じゃあ一緒に確認するよ」
黒嵐は少し自慢げに、荷車に乗せられた品々を説明しはじめた。
******
「あの荷車は、全部親父と母御殿からだ」
山と積まれた荷車1台を示して、影嵐が言う。布類や家具のようなものが見える。
「あれどうすんの……」
状況が掴めず、メイランは戸惑っている。布はともかく、家具は入れる場所がない。
「あれを入れる家を建てんだよ。梅、お前がな」
影嵐は言いながら、紙をメイランに突きつけた。文字を読むと、どうやら荷車に積まれている品の一覧のようだ。
品目を追っていくと、ひっかかるものがあった。まさか——。
「影兄、これ——」
家財道具一式の中に、明らかにシルリネアに向けられたものが多く含まれている。鏡、裁縫箱、櫛、簪、髪飾り、化粧道具、冬物を仕立てられそうな布地、そして。
影嵐がニヤリと笑い、頷いた。
「さっさと祝言挙げろってこった」
婚礼衣装一式が、立派な箱に入っていた。
「つっても寸法……あー岩叔か、くっそー」
衣装の寸法はどうするんだと反論しようとして——メイランは思い出してしまった。
武具の作成を依頼した時に、岩嵐がふたりの寸法を計っていたことを。
八方塞がりだ。メイランは困り果てて頭を抱えつつ、なぜか口には笑みが浮かんでしまう。
どうやら安洛城では、すっかり包囲網が完成しているようだった。




