第115話 ヴェンツェルの投資
ヴェンツェルは帰還後、まずは体の汚れを落とし、十分な睡眠と食事を取った。
まともな思考状態を回復させ、ゲルハルトと合流して起きたことを伝える。
「ということです。星集めの剣は、しばらくシルリネアの元ですね。これは仕方ないと思います」
「そうだな」
ゲルハルトも頷いた。
あの娘の生命を王国の宝剣が支えていることに、不思議な縁のようなものを感じる。
「ザフィルの髪も月白色ではなくなりましたから、これで正式に『月白の魔法使い』はいなくなりましたね。今の彼を見て、月白を想起する人はいないでしょう」
愉快そうに、ヴェンツェルは笑う。
「本を書かせることもできそうですし、それらを、再興する祖国の書庫に収めることもできる——実に、楽しみです」
ヴェンツェルは、魔法という技術の未来を信じている。
そして魔法技術の先頭は、祖国であるべきだと確信している。それでこそ、魔法王国を標榜できるというものだ。
ゆえに本来であれば、ザフィルをもっと利用したい。
祖国再興の文脈において、彼は利用価値が極めて高い。
とはいえ、あのザフィルが、大人しく利用されるに甘んじるはずもない。
国の再建に興味を示すとは、さらに思えない。相応の地位を用意しても、彼は変わらないだろう。
だから、部分的な協力要請で手を打った。この加減を間違えると、祖国の二の舞になる。
楽しそうなヴェンツェルを見て、ゲルハルトも微かに微笑む。
「こちらでも、未来に期待できそうな収穫があった」
「おや、王家の宝物庫に何か良いものでもありましたか?」
意外そうに身を乗り出すヴェンツェルに、ゲルハルトは首を横に振った。
「いや。品物ではなく『心』を見た」
あの時の光景を思い出しながら、ゲルハルトは語る。
彼の足元には、今もまだザフィルの子犬型の魔法生物がくっついていた。
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「終わった」
あの時、子犬型の魔法生物はそう言った。
そうか、片付いたのか。
無事に終わって良かった。将来有望な若者を失わずに済んで良かった。
安堵すると同時に、偉業を成し遂げた若者たちを心から称賛した。声には出さなかったが。
「リュミエールに帰る?」
魔法生物に問われ、ゲルハルトは首を横に振った。
「いや、せっかくだから祖国の現状を見ておきたい。その後、帰るという段取りで良いか?」
「わかった。帰る時に教えて」
魔法生物は、あからさまな子犬の仕草で、ちょこちょことゲルハルトの足元にまとわりついた。
城下に出ると意外なことに、ささやかな集落が形成されつつあった。
何もかも破壊され、消え去ったというのに。この者たちはどこから来たのだろう。
通りがかりの青年に尋ねてみると、彼は笑ってこう言った。
「我々は、祖国が滅んだ時にこの国を離れていた者たちです。他国で暮らしていこうと思っていたのですが、どうしても祖国を忘れられなくて……」
照れくさそうに笑う青年が、ゲルハルトには眩しく映った。
アステリア王国は小国で、決して豊かな国ではなかった。
山がちな地形で、人が住むに適する平地は少ない。鉱石が数種採れるものの農耕は難しく、家畜を飼うのがせいぜいだ。
傭兵や他国の小作人として、国民を近隣諸国に出すことが、主な産業だった時代さえある。
その中で王家は魔法という技術に注力し、数代に渡る研鑽の結果、魔法王国の異名を持つに至った。
ただそれだけの国だ。
お世辞にも、住みやすい土地ではない。
それなのに、彼らは戻ってきてくれた。
ゲルハルトには、彼らの存在こそが、未来に繋がる希望の光だと思えた。
城下にはいくつかの集団があった。
概ね職能単位で固まっていて、どの集団も他国で難を逃れた人々の集まりだ。
辿ってきた歴史的経緯により、アステリア王国の民は、今でも他国で働く者が少なくない。
皮肉なことにそれが幸いし、かなりの数の人々が集まりつつあった。
彼らは皆、異口同音に言う。
祖国はなくとも、生まれた土地に帰りたかったのだと。
素朴で美しい郷土愛をゲルハルトは胸に刻み、帰還した。
このような人々が胸を張って誇れる国を、再興しなければならない。
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ゲルハルトは、城下の様子を語って聞かせた。
ヴェンツェルは考え込む。
「なるほど……では共和制も視野に入りますね。王制だろうと決めつけていましたが」
「そうだな」
ゲルハルトは頷いた。
王制にすると言っても、王家は既にない。誰を王に据えるかで、一悶着あるに決まっている。それならばいっそのこと、共和国でもいいだろう。
ともあれ、すべては故国の地に戻ってからだ。
ヴェンツェルは思考を切り替えるように微笑み、首を振った。
「やや先の未来の話はひとまず置いて、我々は引き続き、シルリネアの偽聖女疑惑と異端を解くところからはじめましょう。彼女個人も好ましいですが、それ以上に、彼女には借りと価値がありますからね。帰るのはその後です」
個の武力として最高峰のメイラン。
ザフィルという孤高の天才。
義に厚く結束力のある青嵐。
シルリネアを助ければ、これだけの——。
自分の政治的な思考に気付き、ヴェンツェルは苦笑した。
これからは、純粋な個であることが難しくなるのかもしれない。
そうなる前に、影嵐とは酒を酌み交わしておきたかった。
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「ということで、来ました」
夕刻の安洛城、安洛通運。
ヴェンツェルはにこやかに現れた。
西国の酒とつまみをたっぷり抱えて。
半分は影嵐と飲むために。
もう半分は、手土産として。
影嵐は呆れた様子で出迎えたが、すぐにニヤリと笑う。
「ちょっと待ってな——黒! 客だ、相手しろ!」
呼ばれて現れた黒嵐は、ヴェンツェルを見て笑顔になった。
「ヴェンツェルさんだ! お久しぶりです!」
「俺の客だ、失礼なことすんじゃねぇぞ」
影嵐は黒嵐に笑みを向けてから、姿を消した。
「あなたもお元気そうで、何よりです」
ヴェンツェルは微笑み、手土産として持参した分を黒嵐に渡した。
「影嵐さんと酒を飲む約束をしていましてね、今日はそのために来ました。これは場所代です。皆さんでどうぞ」
「ありがとうございます——うわ、うまそう」
黒嵐は手土産の中身をざっと確認し、羨ましそうにヴェンツェルを見た。
きっとこの手土産の多くは、黒嵐にまで届かないのだろう。ヴェンツェルは、手土産の中から小さなものをいくつか抜き取り、黒嵐に手渡した。
「私の相手をしてくださるそうなので」
内緒ですよ、と付け足すと、黒嵐は嬉しそうに笑った。
「ところでヴェンツェルさん、俺、いくつか聞きたいことがあるんです」
「いいですよ、伺いましょう」
黒嵐の符術は、ヴェンツェルの使う魔法体系とは違う。だが、理論に支えられた体系であることと、魔力を使う技術であることは共通している。
だから、答えられることもあるだろう。
影嵐の仕事が終わるまで、ヴェンツェルと黒嵐は、ずっと魔法と符術の談義をしていた。
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仕事を片付け、いくつかの酒とつまみを提げて戻ってきた影嵐が見たのは、ヴェンツェルの講義を熱心に聞いている黒嵐の姿だった。
「符術から宗旨変えか?」
揶揄の色を混ぜて声をかけると、黒嵐とヴェンツェルが同時に影嵐を見た。
「影兄おかえり。違うけど、参考になる部分がいっぱいあるんだ」
黒嵐は影嵐の揶揄を気にせず、笑顔を見せた。その横でヴェンツェルも笑っている。
「黒嵐は飲み込みが早いので、私も楽しいんです。つい時間を過ごしてしまいましたね」
実際黒嵐は優秀だ。
ヴェンツェルは半ば本気で、黒嵐を魔法王国の再興に誘いたいと思っている。
「そうかい——黒、お前の仕事は終わりだ。帰ってメシでも食って寝ろ」
「えぇー……」
影嵐に退室を促された黒嵐は、不満そうな顔を見せつつも、影嵐に従って席を立った。
それでも立ち去りがたいらしく、動こうとしない。
「また来ますよ。今度はザフィルも連れて来ましょうか?」
ヴェンツェルが笑いかけると、黒嵐は顔をしかめた。
「あいつはちょっと……」
魔力を乱され、醜態を晒した記憶が黒嵐の脳裏に浮かんだ。
「だいぶ変わって、付き合いやすくなったと思いますよ」
ヴェンツェルが苦笑し、影嵐もニヤリと笑う。
「梅んとこに荷を届ける時、お前と紅も連れて行ってやる。だから早く帰れ、粘ると俺なしでザフィル宛てに届けさせるぞ」
影嵐はどうしても自分を追い出したいらしい。黒嵐は諦め、退散することにした。
「わかった、わかったよ影兄。ヴェンツェルさん、絶対また来てくださいよ」
「もちろん」
ヴェンツェルの返事に安堵して、黒嵐は部屋から出ていった。
黒嵐の足音が遠ざかるまで待ち、影嵐が軽く笑う。
「これから梅とザフィルの悪口合戦だ。あいつに聞かせる話じゃねぇ」
「そうですね」
ヴェンツェルも同意した。黒嵐は混ざりたかったようだが、やむを得ない。
「梅は弟妹に人気があるからな。わざわざ『いい兄貴』像を壊すこともねぇだろ」
言いながら、影嵐は持参した酒を開けた。盃に注ぎ、ヴェンツェルの前に押し出す。
「でしょうねぇ。あのザフィルも懐くぐらいですし」
ヴェンツェルも、持ってきた酒の中から一番いいものを開けて注ぎ、影嵐に渡した。
盃を掲げあい、飲み干す。
夜はまだ長く、話したいことはたくさんある。
悪口と愚痴が尽きても、言葉が尽きることはない。
翌日のヴェンツェルと影嵐は、それぞれに体調が優れなかった。




