第114話 ザフィルの歪み
影嵐との取引がすべてまとまり、全員が一旦外に出た。
空はまだ明るいが、太陽はだいぶ傾きはじめている。
影嵐が別れの挨拶をしようとした時。
「影嵐、時間ある? 日没ぐらいまで」
ザフィルが先んじて口を開いた。
「どうした」
影嵐の了承を見て、ザフィルは用件を告げる。
「メイランは転移門を使えないから、代わりの移動手段を用意したんだけど」
「移動手段?」
影嵐が怪訝そうに眉をひそめ、ザフィルは頷く。
「そう。メイランとシルリネアにも紹介する」
「紹介?」
メイランは見当がつかず首をひねり、同じような表情のシルリネアと顔を見合わせた瞬間、空間が大きく歪んだ。
メイランが、反射的にシルリネアを背にかばう。影嵐も身構えた。
ザフィルの横に現れたのは、馬数頭分の体躯を持つ竜だった。灰色混じりの白い鱗をしている。
「これ」
ザフィルは事もなげだ。
「これって……」
シルリネアが絶句した。メイランと影嵐も、二の句を継げない。
「北大陸には竜が多いから、手頃なのを捕まえてきた。中央大陸に移動するなら、空が楽だと思って」
ザフィルはそう言って、影嵐を見た。
「どう?」
影嵐はこれみよがしなため息をつき、ザフィルを軽く睨みつけた。
「どうもこうもあるかよ」
「だめ?」
影嵐は理解した。
メイランが移動する可能性が高いのは、青嵐関連の場所だ。だから、関係者である自分に意見を求めているのだろう。
配慮はしているようだ。ザフィルの価値観なりに、ではあるが。
「調教できてんなら文句はねぇよ。こいつを、どこにどうやって繋ぐのか知らねぇが」
「調教はまだ。今は魔法で縛って言いなりにさせている。呼べば来るようにして、普段は放っておくつもりだけど」
「なら好きにしな」
危険でないなら、言うべきことはない。
それにしても、この竜が安洛城に来たら、騒ぎになるだろう。
しかも竜の背に乗っているのが、メイランとシルリネアとなったら——。
影嵐には、その光景がありありと見えた。
騒ぎそうな奴らには、事前に言っておこう。影嵐は言うべき連中を頭の中で数え上げ、軽い頭痛を覚えた。
ほとんどが、弟妹たちだ。
あと、親父。
******
影嵐が帰った後、メイランは改めてザフィルが捕まえてきた竜を見た。
「こいつ、俺が乗んの?」
竜としては小さくても、馬やラクダに比べると、圧倒的に大きい。
特に胴回りの太さだ。背に乗れたとしても、跨がり続けられるか怪しい。
「そのつもりだけど、嫌?」
ザフィルの言葉に、メイランは笑う。
「そうじゃなくて、鞍とか要るんじゃねぇかなって」
兄に言われたザフィルが、まじまじと竜を眺める。
「……そうかもしれない」
「考えてなかったのかよ」
メイランは大きく笑い、弟の背を軽く叩いた。
「まぁいいさ。今度、影兄が来た時に相談しよう。岩叔借りれねぇかって」
竜の鞍なんて、前例がないに違いない。鞍を乗せる場所からその大きさまで、すべて最初から決める必要があるだろう。
そういう時は、気心の知れた岩嵐を頼るに限る。
ザフィルはしばらく兄の様子を観察し、どうやら竜については問題なさそうだと判断した。
「魔法で縛らないでいいぐらいにしたら、渡すよ」
そう言って、ザフィルは竜を消した。メイランが苦笑する。
「いじめんなよ」
ザフィルは、兄の意図がすぐに読めなかった。少し考え、いくつかの可能性を導き出す。
メイランは、竜が苦痛で躾けられることを心配している。あるいは、それしか知らないと思われている。または、竜を「教育する」過程で、ザフィル自身が傷つくことを憂慮しているのかもしれない。
彼の心配を取り除くために、ザフィルは答える。
「大丈夫。あいつは人の言葉がわかるから、教えるのは楽。いずれ喋るようになるかもね」
「そんな竜、いるんだ」
シルリネアが、目を丸くして驚く。竜と言葉で意思疎通ができるというのは、彼女にとって初耳だった。
「数は少ないはずだけどね」
「稀少種かよ」
今度はメイランが呆れ声を出した。
「問題ある?」
ザフィルには、ふたりの反応の意味がわからない。首を傾げ、メイランとシルリネアを見る。
「問題はねぇんだけど……」
どう話すべきかわからないまま、メイランはたどたどしく説明をはじめた。
******
なかなか難しい。
メイランの説明を聞いてから彼らと別れ、ザフィルはひとりで考える。
北大陸の冷涼な風が頬をなで、淡い胡桃色の髪を踊らせた。
転移門を作った時のヴェンツェルも、似たような反応だった。
問題があるかと聞けば、ないと答える。
それなのに、受容されない。むしろ、否定に近い反応が返ってくる。
この矛盾が、ザフィルには理解しがたい。
探査の糸に、魔族が触れた。
ザフィルは即座に転移の魔法で魔族の前に移動し、無言でその存在を消去した。
虚無の力を再現した魔法で、魂ごと。
魔族を殺す。
10年程前にアザルファの肉体を滅ぼし、あの屋敷から出て以来、ずっとやっていることだった。
今までは肉体しか殺せていなかったが、これからは魂ごと殺す。
魂だけでこの世に残っている魔族がいれば、それも始末する。
クソ野郎を二度と出さないためにも。
魔族は、1匹残らず消えるべきだ。
魔族を1匹でも多く滅ぼす。
それはザフィルが、死ぬまで続けると決めた課題だった。
いっそ、死後も続けられないかと考えてさえいる。
「こっちの方が、簡単だ……」
メイランたちの思考を理解するよりも。
これがきっと、歪んでいるということなのだろう。
ザフィルは小さく嘆息し、北大陸のあの場所へ帰ることにした。
「簡単ではない方」に帰ろうとしている、自己矛盾に気付くことさえなく。
******
「手が歪んでる」
シルリネアの家で夕食を囲んでいると、シルリネアがザフィルの手を見て、そう言った。
「癒したと思ったんだけど」
ザフィルは食器を置き、自分の手を見た。
シルリネアは詰問というより、疑問の口調だ。心配しているようにも感じる。
「そう?」
手をかざす。
よくわからない。歪んでいる時が長すぎて、どこが歪んでいるのか判別できなかった。
「そうやって見るとまっすぐに見えるんだけど……そのまま手を握ってみて」
シルリネアはザフィルと同じように片手をかざし、ゆっくり握り込む。
ザフィルはそれを真似た。なぜかメイランも真似をしている。
3つの拳を見比べると——。
「あ」
メイランが声をあげた。ザフィルも気付いた。
指の付け根の位置が揃っていない。シルリネアが頷いた。
「そのまま指を見せて」
シルリネアは自分の手首を反転させ、指が見えるようにする。ザフィルが真似をすると、メイランは目を見開いた。
「ヤバい向きになってんじゃん」
確かにザフィルの小指は、奇妙にねじ曲がっていた。拳を握ると、薬指の下に小指が潜り込んでしまう。
他の指も、小指ほどではないが、ねじれている。
「動かすのに支障はないんだけどね」
ザフィルは手を握り、開く動作を数度繰り返した。そのたびに指がねじれ、指の付け根が歪む。
シルリネアがため息をつく。
「食器も持ててるし、そうなんだろうけど……治した方がいいと思う」
「そう?」
ザフィルは、動かせるなら問題がないと思っている。そもそも、手はほとんど使わない。
食事にしても、手を使った方がふたりが納得するようなので、そうしているだけだ。
ザフィルの態度に、シルリネアは少し苛立ちを見せる。
「あなたが自分でやらないなら、私が癒すけど。それでもいい?」
メイランが困り果てた様子で顔を歪めた。
シルリネアの今の状態で癒しの魔法を使うのは、確かに危険だ。生命に関わる。
やむを得ない。ザフィルは、シルリネアの意向を呑むことにした。
「わかった。肩から指先までと、腿から足先まで。全部見直す」
これなら文句ないだろうと言わんばかりの様子に、今度はシルリネアが驚いた。
「そんなに?」
「あいつにやられて、急ぎで直した部分。動かせればいい、ぐらいの精度でやったからね」
ザフィルは食器を手に取り、食事を再開した。スープを一口飲んでから、シルリネアを見る。
「手足の小さな骨や腱、筋肉の位置がよくわからない時は、あなたの手足を確認したいんだけど。それでもいい?」
メイランでは魔力を通せない。だから、シルリネアを参考にするしかない。
シルリネアがぱっと花開くように笑った。
「もちろん。手足が歪んだままより、ずっといい」
「そう」
ザフィルはもう一口、スープを飲んだ。話は終わりだと言わんばかりに。
シルリネアの、手足の歪みを許さない価値観は、正直なところよくわからない。
だが彼女が笑うなら——それを見るメイランが笑顔になれるなら、その方がいいに決まっている。




