第112話 未来の約束
夕刻。
シルリネアは村に戻った。
メイランとザフィル、ヴェンツェル、影嵐も一緒だ。
山脈を貫く洞窟も、一緒に通った。
「よし、到着」
メイランは笑い、背負ってきたシルリネアをそっと降ろした。
目の前には、シルリネアの家がある。
「ありがとう」
シルリネアが微笑んだ。
歩くことはできる。しかし衰えた体では、どうしても時間がかかる。だから今回は、メイランに甘えることにした。
負担をかけたくない気持ちはあるが、愛しい人の背で揺られるのも、悪くなかった。
「今日はもう寝なよ。体を休ませないとな」
「そうする」
シルリネアは素直に頷き、メイランに付き添われて家の中へ。
「まぁた野宿か……さすがに眠ぃ」
「同感です」
影嵐とヴェンツェルが座り込む中、ザフィルだけが平然としている。摩耗しきった痛覚のせいで、手足を強引に繋いだ痛みさえ感じない。
「ザフィル、あなたは眠くないんですか?」
ヴェンツェルの問いかけに、ザフィルは淡々と答える。
「眠いという感覚がわからない」
「……は?」
驚くふたりに、言葉を足した。
「たまに気を失うけどね。シルリネアが言うには、眠りが足りなくて体が限界になって、気絶してるんじゃないかって」
「またかよ。勘弁してくれ大魔法使い様」
影嵐がぼやく。ヴェンツェルも同感だった。
「あなたは欠落しすぎなんですよ、ザフィル」
「そうみたいだね」
欠落していると言われても、ザフィルはさほどの自覚もなく、困ってさえいない。
だから、改善の意欲もない。
ザフィルは開けた空間を選び、魔法をかけた。相変わらず、一切の動作を要さない。
地面から、半楕円形の淡い光が立ち上がった。まるで門のように。
ザフィルはそれをもうひとつ作ってから、ヴェンツェルと影嵐の方を向いて口を開く。
「どうぞ」
「……何ですか、それ」
ヴェンツェルが問いかけると、ザフィルは首を傾げた。
「転移門。リュミエールと安洛城に繋いだ。野宿は嫌なんでしょう?」
身をかがめて小石をふたつ拾い、魔法をかける。
「そっちからここに来たい時は、これ。ここに繋がる転移門を入れた。握って『シルリネア』か『メイラン』って言えば、転移門が開く」
ザフィルは、小石をふたりに手渡した。
「……いやいや、ちょっと待ってください。転移門って……」
ヴェンツェルは頭を抱え、混乱を何とか整理しようとする。
「問題ある?」
「ありません。ありませんが……普通は、何人もの高位の魔法使いが、何日もかけて作るものですよ」
「そいつらが無能だ」
ザフィルにばっさりと切り捨てられ、ヴェンツェルは諦めたようにため息をついた。
「何を言っても無駄じゃねぇのか」
ふたりのやり取りを見ていた影嵐が立ち上がる。
「こいつの魔法と他の連中の魔法じゃあ、何もかも違いすぎるんだろ。この調子じゃあ、本を書かせても理解できる奴がいねぇかもな」
ヴェンツェルは苦笑した。
「それでも残す意味はあります。私が理解できなくても、後世の誰かが読み解きますよ。私は、人間全体に期待しているんです」
「そうかい。俺ぁ一旦帰るわ。明日、また来る。ザフィルに相談してぇこともあるからな」
影嵐はそう言って、ふらりと転移門の向こう側に消えた。
「潔いですねぇ、彼は」
ヴェンツェルも立ち上がった。
「私もベッドで寝ます。明日は伺わないと思いますが、何かあればまた」
ヴェンツェルもまた、転移門で姿を消した。
******
メイランはシルリネアを寝台に寝かせ、炉に火をおこした。
鍋に水を入れて火にかけ、シルリネアに笑顔を向ける。
「他にして欲しいこと、ある?」
「ここにいて」
「もちろん」
メイランは笑い、シルリネアの頬に自分の頬をこすり合わせ、離す時、接吻を頬にひとつ残した。
シルリネアが嬉しそうに微笑む。
「メイランの寝台も、作らなきゃ。でも、置くところがないかな」
「家を広げる? そうでなけりゃ、隣にもう1軒建てて繋げるとか」
幸せな未来の話に、シルリネアがクスクスと笑った。
「大工仕事、できるの?」
「簡単なのなら」
「じゃあ、両方。ここをメイランと住めるようにして、近くにメイランとザフィルの家」
メイランが笑う。
「俺、家がふたつもあるの?」
「ううん、3つ。安洛城にもあるでしょ、私たちの家」
「贅沢だなぁ。親父にも伝えねぇと」
「そうね。体がもうちょっと動くようになったら、また行きたい」
「よし、それもやろう。他には?」
「明日、村を一通り見てみたい。どうなっているのか、わからないから」
「いいね」
「とりあえず、これぐらいかな」
「よし。また明日、教えてくれよ。今日はさ、お湯でも飲んで、寝ちまいな」
「うん」
メイランが差し出したお湯は、そのまま飲むには熱かった。
適温には少し足りない。その不完全さがメイランらしくて、シルリネアは微笑んだ。
カップの飲み口をふぅふぅ吹いて、冷ましながらゆっくり飲むと、すぐに眠気がやってきた。
「おやすみ」
メイランの優しい声と、頬に当たる唇の感触が心地いい。
シルリネアは、満ち足りた気持ちで眠りについた。
******
シルリネアがすっかり寝入った後、メイランはザフィルのもとに向かう。
彼は以前と同じように、外で星空を眺めていた。
「影兄とヴェンツェルは?」
メイランはザフィルに声をかけ、やはり前回と同様に毛布を手渡す。
「帰った。野宿は嫌みたいだったから、転移門で送った」
ザフィルの視線の先を追うと、見慣れない魔法が展開されていた。あれが転移門というやつだろうか。
「影嵐は、明日また来るって」
「へぇ」
何の用があるんだろう。よくわからないが、影嵐に会えるのは、単純に嬉しい。
しかし——ふと引っかかりを覚え、メイランは首をひねった。
「ん、あれ? 影兄とヴェンツェル、こことあっちを今日明日で行き来できんの?」
北大陸と中央大陸は、交流がほとんどない。船便さえろくにないはずなのに。
転移門で帰ることはできても、来られるものなのか?
ザフィルはこともなげに頷く。
「できるよ。転移門を開く道具を渡したから。門に入る大きさなら、どんなものでも、何人でも。門が小さいなら、大きくすればいい」
「マジか。すげぇ」
「メイランは使えないけど、あっちを呼べばいいだけだから。メイランの移動手段は、別で考える」
「マジで助かるなぁ」
シルリネアが言っていた安洛城行きの希望も、これで叶えられそうだ。
「何かあった?」
ザフィルの問いかけにメイランは微笑み、シルリネアと話したことを聞かせた。
「……家? 僕の?」
ザフィルが呆然と呟いた。
「そう。シルリネアはさ、お前が近くにいてもいいって、思ってるんじゃないかな」
嬉しそうなメイランの声に、ザフィルは考える。
確かにここは、住むにはうってつけだ。通常は同じ場所にしばらく留まると魔素が歪むのに、ここではまったく歪む気配を見せない。
創生神に近い地であることが、影響しているように思える。自分の莫大な魔力が悪影響を及ぼさない場所は、知る限りではここしかない。
「そんでさ、聞きたいんだけど」
不意にメイランが口を開いた。不安そうな顔をしている。
「シルリネア、あとどれぐらい……」
声が震えていた。体も少し震えている。
なるほど、やせ我慢していたのか。ザフィルは納得する。
物分かりが良すぎると思っていた。シルリネアの前では、不安を見せないと決めたのだろう。
ザフィルは嘆息する。
「10年ぐらいかな。8年から12年の間。まともに動けるのは、その半分ぐらい」
今は魔法で補助できても、いずれは——。
メイランは悲しげに、深々とため息をついた。
「短ぇなあ」
「そうだね」
ザフィルはかける言葉もなく、夜空を見上げる。星の輝きは、夜を照らすには十分だが、昼を照らすには足りない。
まるでシルリネアだ。夜は救われたが、昼は救いきれない。
そして、彼女が一番救いたかったのは、ザフィルではなく——。
メイランが抱きついてきた。体格差もあり、抱きすくめられる形になる。
「少しだけ」
震えるメイランの声が降ってきた。
少しだけ——どうすればいいのだろう。
ザフィルはわからないまま、両腕をメイランの背に回して軽く叩いてみた——見よう見まねで。
メイランは軽く笑い、彼の体が揺れた。良かった。間違ってはいなかったらしい。
兄の肩越しに見える星は、いつも通り美しかった。




