第109話 夕闇迫る
影嵐の指示は、とても動きやすかった。
端的で明快。シルリネアの体は、彼の指示に従って自在に動いた。
幾度となく、アザルファに剣を突き立てた。
体が軽いのは、ザフィルの魔法と魔力のおかげだ。
今回のことは、感謝する価値が十分にある。
体力が続く限り、あるいはザフィルが力を貸してくれる限り、ずっと攻め続ける。そう誓った直後。
近い場所で、何かが砕け散る音がした。
同時に、対峙していたアザルファが動きを止め——崩れるように姿を消した。
「終わっ……た?」
シルリネアは、目の前で起きたことが、にわかに信じられなかった。
「終わりましたよ」
ヴェンツェルが、穏やかに言った。
「核を壊しました。もう奴はいません。少なくとも、我々に介入する手段はない」
メイランを模した魔法生物も、頷く。
「ザフィルもアザルファの魂を消した。僕の役目も、終わり」
魔法生物はそう言ったきり、砂像が崩れるように姿を消した。
「自壊しましたね。我々も一旦帰りましょう」
ヴェンツェルの呼びかけに応じて、シルリネアと影嵐は出口に向けて歩こうとし——。
地面が大きく揺れた。
凄まじい揺れに立っていることさえままならず、3人は思わずしゃがみこむ。
天井を仰いだ影嵐は、天井が大きくひび割れている事実に気付いた。
「崩落する!」
叫ぶ。だが、どうにもならない。這って歩くことさえ難しい揺れだ。
まさかアザルファが、こうなるように仕組んだのだろうか。3人は、ほとんど同じことを考えていた。
自分の消滅と同時に、この屋敷もまた消え去るように、仕組んでいたのではないか。
身を守るための魔法を、ヴェンツェルは唱えようとした。だが、揺れが激しすぎて詠唱さえまともにできない。
その間にも、天井や壁、床にまで大きなひび割れが走る。
このままでは、崩れ落ちて潰されるのも、時間の問題だ。それなのに、手の施しようがない。
影嵐とヴェンツェルが同じ思いでいた時。
シルリネアが、揺れをものともせずに立ち上がった。
「創生神——」
呼びかけとともに、彼女の体が黄金色に光る。
「あなたの力を貸してください」
シルリネアの澄んだ声が、激しい揺れと地鳴りの中で、なぜかかき消されずに響く。
揺れが弱くなった。
シルリネアの立つ位置を中心に、波紋が広がるように揺れが収まっていく。
やがて揺れが完全に収まった時。
シルリネアは意識を失い、その場に倒れた。
******
ザフィルが目を開けた。
真っ先に、太陽の没しつつある空が見えた。自分が倒れていることを理解する。座っていたはずなのに。
つまり……。
足が動かない。骨と筋肉が砕かれていた。
腕も同様だ。肩から先がまったく機能していない。
魂に手をかけられた時、肉体にも影響が出たのだろう。
ザフィルはため息をついた。これを直すのは、時間がかかりそうだ。
ひとまず出血を止める。
「メイラン、終わったよ。そいつは好きにしていい」
姿を目視できない兄に、声をかけた。彼は、今もまだあの男を拘束しているはずだ。見えずともわかる。
直後、鈍い音が聞こえた。首の骨を折る音だ。
メイランらしい。
あの男を動けなくするための、最短経路を選んだ。
そんなことを考えながら血管を繋ぎ直し、肉と骨をあるべき場所に置き直していると、メイランが駆け寄ってきた。
「お前、大丈夫なのか?」
不安げに揺らぐ声のする方に、ザフィルは首を向ける。
汗と泥と血にまみれ、心配そうにこちらを見つめるメイランがいた。
遠い記憶の兄も、こんな顔をしていたな。ザフィルはぼんやりと考える。
「大丈夫。動けないだけ。体の修復に少し時間が欲しいけど」
「時間なんて気にすんな。姿勢はそのままでいい?」
ザフィルは改めて、自分の倒れている様子を確認した。
なるほど、座ったまま仰向けに倒れたようで、実に不自然で滑稽な格好をしている。
「……手足を伸ばしてくれると、助かるかも。痛くないから、思い切り」
今の姿勢でも問題はないが、手足がまっすぐな方がやりやすいのは確かだ。
それに、ほんの少しだけ、兄に甘えたい。
「よし、任せとけ」
メイランは嬉しそうに笑い、ザフィルの希望通り、手足を大きく伸ばしてやった。
その後メイランは、彼自身の傷の手当をはじめた。ザフィルの横で、満足そうに。
ザフィルは兄の様子を眺めながら、自分の体を直していたが。
突然、目を見開いた。
「駄目だ、シルリネア!」
緊迫感のある声に、メイランがびくりと震え、ザフィルを見る。
「どうした」
ザフィルはぎりりと歯ぎしりをし、悔しそうに顔を歪ませる。
メイランは驚愕した。弟を「ザフィル」として見る中で、もっとも強い感情だ。
「連れてくる」
ザフィルが言うや否や、3人がその場に現れた。
影嵐とヴェンツェル、それに気を失ったシルリネア。
「シルリネア!」
メイランが血相を変えて飛び出す。自分の怪我など、忘れたかのように。
ザフィルは自分の手足を素早く強引に繋ぎ、動ける体にした。ゆっくり確実に、綺麗に直そうとしていたが、その余裕は消え去った。
立ち上がり、シルリネアを見る。
メイランが彼女の名を呼び、肩を揺すっている。シルリネアは目を閉じたまま、動く気配どころか、生命の兆候さえ窺い知れない。
ザフィルは、悔しさに顔を歪めた。どうして彼女は、自分を呼ばなかったのか。3人を転移させるぐらい、何の問題にもならないのに。
——いや、わかっている。
ザフィルは深呼吸をした。
きっと彼女は、反射的にやってしまったのだ。
自分でできるから。
誰かの力を借りるという発想よりも先に、それがきた。
助けてもらうという、習慣がない。
「どいて」
影嵐とヴェンツェルに声をかけ、道をあけさせた。
しゃがみこみ、シルリネアの体に手を触れる。
状態が悪い。顔をしかめた。
当然だ。ただでさえ消耗していたのに、神の力を使うなんて。
体が耐えられただけで、運が良かったと喜ぶべきだ。
「ヴェンツェル」
ザフィルが声をかける。
「ここに認識阻害の結界を作って。誰にも邪魔されないように。メイランの体質には気をつけて」
「わかりました」
ヴェンツェルは頷き、即座に魔法を組み立てるための詠唱を開始した。
「メイランと影嵐は、周囲の見張り。何ひとつ寄せ付けないで。あと、倒れてる奴をヴェンツェルの結界の外に捨てて」
「梅、行くぞ。ぼさっとすんな」
影嵐は不安そうなメイランの腕を取り、首の骨を折られて動けない男の首根を掴んで引きずっていった。
それらを確認し、ザフィルは改めてシルリネアに向き合う。
最善の環境を整えた。不確定状況を可能な限り排除した。
それでも、彼女の生命を保てると言い切れない。
星集めの剣には、今も魔法と魔力を送り続けている。シルリネアの体力を支えるために。
これがあったから、すんでのところで生き永らえたのだろう。
「生き残ってもらう——何があっても」
ザフィルは呟き、魔力の糸でシルリネアの中に潜り込んでいった。




