第107話 希望
いきなりメイランが現れた。
影嵐は一瞬我が目を疑ったが、すぐにザフィルであることに気付いた。
姿と動きはメイランのものでも、表情と口調が違う。
影嵐は、口の端を釣り上げるように笑った。
「しっかり真似しな」
武器を長刀から九節鞭に切り替えた。メイランが持ち前の突破力で近接の間合いを制し、影嵐は柔軟性と視野の広さを武器に、中距離を支配する。
かつて馴染んだ配置だ。
アザルファが不思議そうに首を傾げた。メイランの姿をしたザフィルは、酷薄な笑みを浮かべる。
「僕がそれを許すと思う?」
連撃の手を緩めないまま、ザフィルは声だけを影嵐に投げた。
「魔法と『折檻』は封じた。ヴェンツェルの魔法を拡張した」
「ハハ!」
影嵐が笑う。剣の攻撃の合間を、九節鞭で埋める。アザルファの姿が、存在が、薄くなってきた。
「梅より強ぇじゃねぇか!」
魔法の使えるメイランだ。しかも、世界でも類を見ないほどの魔法使いだなんて。
反則もいいところだが、今は好都合だ。
「メイランが強いからだよ」
ザフィルは淡々と剣を振るう。メイランの姿と技術で。
「何度でも殺してあげるよ。——嬉しいでしょう、アザルファ」
******
影嵐と組ませた魔法生物は、自律的にメイランを模倣する。
ザフィル自身の思考も読ませているから、あまり面倒を見ずに済むはずだ。
何かあれば、呼びかけがあるだろう。
シルリネアに意識を向け、様子を確認した。
「折檻」による痛みは消えている。これなら起こせる。
シルリネアには、起きていてほしい。
メイランのために。
いやそれ以上に。
彼女はザフィルを殺せなくなってしまった。
ならばせめて、ザフィルという存在を作り、壊した奴の破滅を見るべきだ。
シルリネアの体の苦痛をひとつずつ和らげた後、切断した彼女の意識を繋いだ。
最後にメイランを見て——盤石だ。
ザフィルはメイランに一声かけてから、意識のほとんどをアザルファとの対峙に向ける。
お前は僕が触媒を失い、虚無の力を使えなくなったと思っているね。
それが誤りだと、教えてあげるよ。
あれとは長く共に生きた。その構造と原理は、すべて理解している。
******
ヴェンツェルは、倒れて動かないシルリネアに近寄った。
息がある。
よかった。ほっと胸をなでおろす。
魔法で気を失っているなら、起こすことができるはずだ。
どの魔法で起こせるか探ろうとした時。
薄荷色の瞳が、鮮やかに開かれた。
「ヴェンツェルさん……」
顔色こそ悪いが、声はしっかりしている。ほっとため息をつく。
「起きられますか」
ヴェンツェルの声に、シルリネアは頷いた。
星集めの剣をしっかり握り、立ち上がる。
アザルファの姿を求め、影嵐と——愛しい人の後ろ姿を見た。
「どうして……!」
彼は北大陸にいるはずなのに。
「ザフィルの魔法生物です。どういう訳か、メイランの動きをそのまま使えるようで」
ヴェンツェルの説明で、シルリネアは腑に落ちた。あれがメイランではないという事実は、少し寂しかったけれど。
「本当にメイランみたい」
どうやって、あの動きを再現しているのだろう。
メイランの姿が見えただけで、元気が出る。本物ではないとわかっていても、なお。
星集めの剣を握りしめた。
動ける。
「援護してきます。ヴェンツェルさんは作戦通りに」
シルリネアは軽やかに走った。岩嵐に作ってもらった外套が、柔らかく風をはらむ。
ヴェンツェルは、シルリネアの後ろ姿を見て嘆息した。
あれでは、恋人の姿を見つけて駆け寄る娘そのものだ。
ヴェンツェルは気持ちを切り替える。
影嵐たちが対峙しているアザルファが、本体とは思えない。
別のどこかに、核がある。
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シルリネアは走る。
体が軽い。
ザフィルのおかげだ。彼の魔法と魔力に支えられている。
あいつはずっと許さない。なのに——心が揺れる。
ああ、そうか。
こういうことだ。
ずっと考えていた。これ以上、誰も犠牲にならない方法を。
「ザフィル、聞こえてるだろうし、勝手に話すけど」
走る距離はそんなに長くない。手短に言葉をまとめる。
「もっと魔法と魔力を貸して」
ザフィルに借りを作る。貸しを作らせる。
彼への感謝の気持ちを、復讐の気持ちよりも上回るようにさせる。
そうすれば、彼のしたことを許せなくても、忘れられなくても、彼の存在ぐらいは許せるだろう。
星集めの剣から、凄まじい力が流れ込んできた。今までは受け取れる量に調整されていたが、もはや受け取りきれず、あふれかえっている。
ザフィルの許諾と解釈して、シルリネアは強気に笑う。
「そう。もっと私が、感謝できるようにしてよね」
******
感謝されたいと思ったことは、ないけれど。
ザフィルは、シルリネアに送る魔法と魔力を一気に増やし、漠然と考えた。
案の定、あふれている。
だが、シルリネアはこれでいいと思っているようだ。
ならば言うことはない。
魔法使い数百人分を優に超える魔力が無駄になっても、ザフィルにとっては微々たるものだから。
それよりも、こちらの問題を片付けねばならない。
辿り着いたのは、アザルファの魔力の源、魂のありか。
大きい。
魔力の量が人間と桁違いだ。それに守られている魂も、また。
だがザフィルは薄く微笑む。
「こんなものか」
魂はともかく、魔力の量に関しては、ザフィルの方が遥かに上だった。
アザルファへの蚕食は、今も継続している。このまま魔力を食い尽くせば、魂が露出するはずだ。
「やあ、ザフィル」
穏やかな声がした。
やはり、そう簡単にはいかないようだ。
ザフィルの目の前には、アザルファがいた。記憶にある姿のままで。
「今回の君は、ずいぶん騒がしくていけない」
アザルファは穏やかで、それでいて冷ややかだ。ザフィルは目をあわせることさえなく、破壊のための魔法を押し広げる。
アザルファの魂を魔力ごと包み込み、押し潰す。
一欠片さえ残さず始末するなら、この方法がもっとも確実だ。
アザルファが微笑む。
「そうだね。私を殺すには、それが一番いいだろう。でもね、ザフィル」
アザルファが——アザルファの姿を模した魔力の塊が、ザフィルの頬をなでた。
気持ちが悪い。
不快感を無視すると、今度は抱きしめられた。あくまでも優しく、柔らかく、礼儀正しく。
それなのに。いやだからこそ、ザフィルは強烈な悪寒に襲われた。
手足を折られる時。体に穴があく時。そして「折檻」の時。アザルファの態度はいつもこうだった。
体が震える。
アザルファは微笑む。
「君はこんなに弱いのに。どうやって私を殺すというんだい?」
手を取られ、さすられる。優雅な所作が恐ろしい。
「この手を壊せば、君の肉体の手も壊れるみたいだね」
穏やかに、優しく、ザフィルの右手が握り潰された。
ザフィルは沈黙を貫く。既に痛覚は切り離してある。潰される感覚は不快だが……慣れている。
その様子を見て、アザルファが満足そうに頷く。
「肉体は不便だ。それでいて、ある種の魅力がある」
左手も潰された。ザフィルの表情は動かない。アザルファは抱きしめる力を強め、囁いた。
「君を壊して、肉体をもらうことにしよう。かつて君は、私の肉体を壊したのだから。償いをしないといけないよ」




