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第106話 転換

 シルリネアの言葉が封じられたことを、ザフィルは魔法生物を通して理解した。

 彼女の言いたいことは、わかっている。

 ひとまずシルリネアの言葉を取り返すため、彼女に施された魔法を砕いた。

 造作もない。


 それにしても、シルリネアの体力の低下は予想以上だ。

 彼女を支えるための魔法を注ぎ続けているが、すぐに消費される。

 魔法の蓄積を中断すれば、さほどの時間を要さずに使い切るだろう。

 彼女の体は——。


 いや、為すべきは他にある。


 ザフィルは思考を切り替え、アザルファへの蚕食(さんしょく)を再開した。

 まだ気付かれていない。

 気付かれても構わない。押し通ることは十分に可能だ。

 万一逆に侵入されたとしても、メイランがいる。彼ならきっと気付き、対処してくれるだろう。

 あのアザルファが、侵入などという「野卑な」手段を使うとは、思えないが。

「僕は人間だからね」

 ザフィルは口の端だけで、薄く笑う。

 終端が見えてきた。アザルファの本体だ。


 ******


 影嵐(エイラン)は、淡い燐光を引く長刀を最短で振るった。

 実体のない相手だが、通じるはずだ。ヴェンツェルが魔法をかけていた。魔法に関して、魔法王国の宮廷魔術師を疑う理由などない。

 シルリネアが剣を抜くのを見た。笑みが浮かぶ。

 真横に突如現れた敵に向けて、即座に抜ける奴はそういない。紅嵐(ホンラン)黒嵐(ヘイラン)では、躊躇するだろう。

 こいつを守る? とんだ笑いぐさだ。

 左手に、ざくりとした手応えが伝わってきた。脂肪を切る時のような、粒状の弾力。

 影嵐の長刀は、アザルファの腕を断ち、脇から腹にかけて斬り進む。このままではシルリネアに当たりかねないので、途中で止め、引き抜いた。

 人間なら致命傷だが、こいつはどうか。


 ヴェンツェルの魔力封じの魔法もまた、アザルファを捉えていた。手応えを感じる。

 ザフィルの時は、その後すぐに破られた。 アザルファはどうだろう。

 ヴェンツェルは結果を確認することなく、別の魔法の詠唱を始めた。

 効くにせよ効かぬにせよ、次の手を打つべきだ。

 この部屋にある鏡をすべて破壊し、逃げ場を断つ。


 シルリネアは剣を抜き、真横のアザルファに突き立てた。

 影嵐と同士討ちにならないよう、腰を狙う。

 人間であれば、骨盤が通っていて硬い部位のはずなのに、するりと貫けた。

 引き抜き、そのまま後ろに数歩さがる。

 アザルファは、穏やかな笑顔を浮かべたままだ。

 シルリネアと影嵐の与えた衝撃で、月白色の髪が揺れるのみ。

「なるほど」

 アザルファが微笑む。影嵐が切りつけた腕と胴は、わずかに存在が揺らいでいる。

 効いている。

 シルリネアの突いた部分も、存在が薄れていた。

「お前が要だ」

 アザルファが、シルリネアを見た。

 凄まじい寒気を感じた。魂そのものを握られるような感触。

 直後、耐え難い激痛がシルリネアの全身を締めあげた。

「ぁ——ああああああぁあぁあああ!」

 シルリネアの絶叫が響き渡る。

 膝から崩れ落ち、苦痛にのたうち回る。剣を離さないことが精一杯だ。

 影嵐は舌打ちをし、アザルファに斬りかかった。

「昏倒させろ!」

 ヴェンツェルに向け、力の限り叫ぶ。シルリネアの悲鳴に掻き消されないように。

 気を失わせる魔法があったはずだ。ちょっとやそっとでは起きないような。

 彼女から苦痛を切り離さないといけない。そうしないと、脳がおかしくなる。

 シルリネアを昏倒させる時間を稼ぐため、影嵐は至近距離でアザルファに張り付いた。

 長刀の間合いよりも、なお近い距離。それでも影嵐は長刀を器用に操り、アザルファをシルリネアから引き離していく。

 シルリネアの悲鳴が、少し小さくなった。

 距離を離すことは、ある程度有効のようだ。


 ******


 悲鳴の質に、ザフィルは覚えがあった。

「折檻」だ。

 シルリネアが、アザルファの折檻を受けている。

 あれに耐えられるとは思えない。ザフィルはあの苦痛から逃れるために、痛覚を切り離す術をいくつも覚えた。

 影嵐の声が聞こえた。正しい判断だ。

 ヴェンツェルが逡巡した。ザフィルはその隙間を埋めるように、シルリネアの意識を切断した。


 仕方ない。


 ザフィルはシルリネアに渡している不定形の魔法生物から、別の魔法生物をひとつ生み出した。

 メイランの姿を模して。


「続けて」

 戸惑うヴェンツェルに詠唱を続けるよう促し、メイランの姿の魔法生物を、シルリネアの前に立たせた。

「影嵐、いくよ」

 口調はザフィルのまま、メイランそのものの動きで、魔法生物がアザルファに肉薄した。


 ******


 ヴェンツェルは反応できなかった。

 突然の絶叫、影嵐の咄嗟の判断と指示。

 ヴェンツェルは、鏡を壊すための大規模破壊魔法をほとんど完成させていた。

 そのため、魔法を破棄することを、一瞬惜しんでしまった。

 その刹那、シルリネアは苦しんでいたというのに。

 どうにか魔法の破棄を決めた時、シルリネアの悲鳴が突然途絶えた。

 何が起きたんだ。

 判断が追いつかない。影嵐との経験の差を、まざまざと感じた。

 悔しさと尊敬の念が、同時に沸きあがる。

 その時、シルリネアとアザルファの間に立ちふさがるように、ひとりの姿が現れた。

 メイラン?

 どうして、どうやってここに。魔法の届かない彼が。

 メイランが口を開く。

「続けて」

 その声は、口調は——。

「ザフィル?」

 メイランは答えない。影嵐に一声かけ、アザルファのもとへ飛び込んでいった。

 魔法生物。

 ヴェンツェルはようやく、辻褄の合う答えを見出した。

 混乱の極みにあった思考が、焦点を結ぶ。

 散りかけていた魔法を集め直し、もう一度組み上げる。

 組み上がった魔法を解き放つと、甲高い音と共に鏡がすべて割れ、崩れて落ちた。

「よし」

 これでアザルファは、鏡の中に戻れなくなったはずだ。

 地底湖の思念体たちが言っていた。アザルファは、鏡の中に隠れていると。鏡の外では、長時間の活動ができないようだと。

 そして、壊れた鏡には隠れていられないようだとも。


 アザルファは、影嵐と魔法生物に抑えられている。

 だからヴェンツェルは、シルリネアの様子を見ることにした。

 ザフィルが昏倒させたのだろうが、生命の兆候ぐらいは確認しておきたい。


 ******


 メイランは、アザルファの複製の動きを完全に封じている。

 接触しているからか、魔法を使ってこない。

「やっぱ格闘だな」

 今度習い直そう。影兄に稽古をつけてもらいたい。あの人に勝る技術の持ち主を、メイランは知らない。

 複製は身をよじり、自らの手足を千切って脱出しそうな様子を見せている。

 そうはさせない。

 押さえる力の加減を調節していると、少し離れた場所にいるザフィルが、こちらを向いた。

「メイラン、姿と力を借りてる」

「いくらでも」

 弟に笑いかけた。

 よくわからないが、きっと魔法の話だろう。自分の何かが役に立つなら、好きに使えばいい。

 ザフィルがうっすらと微笑む。

「影嵐と組んで、アザルファを追い詰めているよ」

「へぇ。影兄、うまいだろ」

「メイランには劣る」

「そうかぁ?」

 メイランは笑う。いかにも雑談という風情で。

 だが知っている。ザフィルは今もなお、アザルファの内部を破壊し尽くそうとしているはずだ。

 影兄を巻き込んで派手に動いているのは、誘導だろうか。

 いずれにせよ、ザフィルの本当の目標を、アザルファに悟られないようにしないといけない。

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