第106話 転換
シルリネアの言葉が封じられたことを、ザフィルは魔法生物を通して理解した。
彼女の言いたいことは、わかっている。
ひとまずシルリネアの言葉を取り返すため、彼女に施された魔法を砕いた。
造作もない。
それにしても、シルリネアの体力の低下は予想以上だ。
彼女を支えるための魔法を注ぎ続けているが、すぐに消費される。
魔法の蓄積を中断すれば、さほどの時間を要さずに使い切るだろう。
彼女の体は——。
いや、為すべきは他にある。
ザフィルは思考を切り替え、アザルファへの蚕食を再開した。
まだ気付かれていない。
気付かれても構わない。押し通ることは十分に可能だ。
万一逆に侵入されたとしても、メイランがいる。彼ならきっと気付き、対処してくれるだろう。
あのアザルファが、侵入などという「野卑な」手段を使うとは、思えないが。
「僕は人間だからね」
ザフィルは口の端だけで、薄く笑う。
終端が見えてきた。アザルファの本体だ。
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影嵐は、淡い燐光を引く長刀を最短で振るった。
実体のない相手だが、通じるはずだ。ヴェンツェルが魔法をかけていた。魔法に関して、魔法王国の宮廷魔術師を疑う理由などない。
シルリネアが剣を抜くのを見た。笑みが浮かぶ。
真横に突如現れた敵に向けて、即座に抜ける奴はそういない。紅嵐と黒嵐では、躊躇するだろう。
こいつを守る? とんだ笑いぐさだ。
左手に、ざくりとした手応えが伝わってきた。脂肪を切る時のような、粒状の弾力。
影嵐の長刀は、アザルファの腕を断ち、脇から腹にかけて斬り進む。このままではシルリネアに当たりかねないので、途中で止め、引き抜いた。
人間なら致命傷だが、こいつはどうか。
ヴェンツェルの魔力封じの魔法もまた、アザルファを捉えていた。手応えを感じる。
ザフィルの時は、その後すぐに破られた。 アザルファはどうだろう。
ヴェンツェルは結果を確認することなく、別の魔法の詠唱を始めた。
効くにせよ効かぬにせよ、次の手を打つべきだ。
この部屋にある鏡をすべて破壊し、逃げ場を断つ。
シルリネアは剣を抜き、真横のアザルファに突き立てた。
影嵐と同士討ちにならないよう、腰を狙う。
人間であれば、骨盤が通っていて硬い部位のはずなのに、するりと貫けた。
引き抜き、そのまま後ろに数歩さがる。
アザルファは、穏やかな笑顔を浮かべたままだ。
シルリネアと影嵐の与えた衝撃で、月白色の髪が揺れるのみ。
「なるほど」
アザルファが微笑む。影嵐が切りつけた腕と胴は、わずかに存在が揺らいでいる。
効いている。
シルリネアの突いた部分も、存在が薄れていた。
「お前が要だ」
アザルファが、シルリネアを見た。
凄まじい寒気を感じた。魂そのものを握られるような感触。
直後、耐え難い激痛がシルリネアの全身を締めあげた。
「ぁ——ああああああぁあぁあああ!」
シルリネアの絶叫が響き渡る。
膝から崩れ落ち、苦痛にのたうち回る。剣を離さないことが精一杯だ。
影嵐は舌打ちをし、アザルファに斬りかかった。
「昏倒させろ!」
ヴェンツェルに向け、力の限り叫ぶ。シルリネアの悲鳴に掻き消されないように。
気を失わせる魔法があったはずだ。ちょっとやそっとでは起きないような。
彼女から苦痛を切り離さないといけない。そうしないと、脳がおかしくなる。
シルリネアを昏倒させる時間を稼ぐため、影嵐は至近距離でアザルファに張り付いた。
長刀の間合いよりも、なお近い距離。それでも影嵐は長刀を器用に操り、アザルファをシルリネアから引き離していく。
シルリネアの悲鳴が、少し小さくなった。
距離を離すことは、ある程度有効のようだ。
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悲鳴の質に、ザフィルは覚えがあった。
「折檻」だ。
シルリネアが、アザルファの折檻を受けている。
あれに耐えられるとは思えない。ザフィルはあの苦痛から逃れるために、痛覚を切り離す術をいくつも覚えた。
影嵐の声が聞こえた。正しい判断だ。
ヴェンツェルが逡巡した。ザフィルはその隙間を埋めるように、シルリネアの意識を切断した。
仕方ない。
ザフィルはシルリネアに渡している不定形の魔法生物から、別の魔法生物をひとつ生み出した。
メイランの姿を模して。
「続けて」
戸惑うヴェンツェルに詠唱を続けるよう促し、メイランの姿の魔法生物を、シルリネアの前に立たせた。
「影嵐、いくよ」
口調はザフィルのまま、メイランそのものの動きで、魔法生物がアザルファに肉薄した。
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ヴェンツェルは反応できなかった。
突然の絶叫、影嵐の咄嗟の判断と指示。
ヴェンツェルは、鏡を壊すための大規模破壊魔法をほとんど完成させていた。
そのため、魔法を破棄することを、一瞬惜しんでしまった。
その刹那、シルリネアは苦しんでいたというのに。
どうにか魔法の破棄を決めた時、シルリネアの悲鳴が突然途絶えた。
何が起きたんだ。
判断が追いつかない。影嵐との経験の差を、まざまざと感じた。
悔しさと尊敬の念が、同時に沸きあがる。
その時、シルリネアとアザルファの間に立ちふさがるように、ひとりの姿が現れた。
メイラン?
どうして、どうやってここに。魔法の届かない彼が。
メイランが口を開く。
「続けて」
その声は、口調は——。
「ザフィル?」
メイランは答えない。影嵐に一声かけ、アザルファのもとへ飛び込んでいった。
魔法生物。
ヴェンツェルはようやく、辻褄の合う答えを見出した。
混乱の極みにあった思考が、焦点を結ぶ。
散りかけていた魔法を集め直し、もう一度組み上げる。
組み上がった魔法を解き放つと、甲高い音と共に鏡がすべて割れ、崩れて落ちた。
「よし」
これでアザルファは、鏡の中に戻れなくなったはずだ。
地底湖の思念体たちが言っていた。アザルファは、鏡の中に隠れていると。鏡の外では、長時間の活動ができないようだと。
そして、壊れた鏡には隠れていられないようだとも。
アザルファは、影嵐と魔法生物に抑えられている。
だからヴェンツェルは、シルリネアの様子を見ることにした。
ザフィルが昏倒させたのだろうが、生命の兆候ぐらいは確認しておきたい。
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メイランは、アザルファの複製の動きを完全に封じている。
接触しているからか、魔法を使ってこない。
「やっぱ格闘だな」
今度習い直そう。影兄に稽古をつけてもらいたい。あの人に勝る技術の持ち主を、メイランは知らない。
複製は身をよじり、自らの手足を千切って脱出しそうな様子を見せている。
そうはさせない。
押さえる力の加減を調節していると、少し離れた場所にいるザフィルが、こちらを向いた。
「メイラン、姿と力を借りてる」
「いくらでも」
弟に笑いかけた。
よくわからないが、きっと魔法の話だろう。自分の何かが役に立つなら、好きに使えばいい。
ザフィルがうっすらと微笑む。
「影嵐と組んで、アザルファを追い詰めているよ」
「へぇ。影兄、うまいだろ」
「メイランには劣る」
「そうかぁ?」
メイランは笑う。いかにも雑談という風情で。
だが知っている。ザフィルは今もなお、アザルファの内部を破壊し尽くそうとしているはずだ。
影兄を巻き込んで派手に動いているのは、誘導だろうか。
いずれにせよ、ザフィルの本当の目標を、アザルファに悟られないようにしないといけない。




