第10話 芽吹き
老人はゲルハルトと名乗った。
「明日の朝、お前たちの宿まで迎えに行こう」
ゲルハルトにそう言われたので、メイランは素直に宿の場所を教えた。
「ここに来いって場所を指定されるかと思ってたけど、かなり慎重だな。さすがは近衛騎士団の元副団長」
酒場の帰り道、メイランはそう言って笑った。
「それはそうとシルリネア、ああいう場所はどうだった?」
シルリネアは苦笑する。
「まだよくわからないけど、慣れたいとは思うかな」
わざわざメイランが連れて行くのだから、振る舞い方を覚えておくべき場所なのだと思う。
シルリネアの横で、メイランは上機嫌だ。
「まぁ旅をする限り、慣れておいて損はないな。情報のやり取りをするのに、一番いい場所なんだよ。土地の人もいるし、俺らみたいな流れ者もいるからさ」
「色々な立場の人たちの話が聞けるってこと?」
「そ。あのゲルハルト爺さんなんかも、偉い立場の人だってのに、わざわざあそこにいただろ? 飯も酒も、あんな酒場に行かなくたって手に入る立場だぜ、あの人」
「そうなんだ……」
シルリネアは考える。そんな人がどうして酒場にいたのかはよくわからないが、きっと事情があるのだろう。
身分も立場も異なる人たちが集まる。それが酒場の特徴なのだろうか。
考え込んでしまったシルリネアの背を、メイランはごく軽く叩いた。
「今日はさっさと寝よう。爺さんは早起きだって、相場が決まってるだろ。朝日が出る前に来たらどうする?」
「それ、さすがに失礼じゃない?」
笑ったら、気が抜けた。一度に疲れが押し寄せてくる。
自覚する以上に疲れていたようだ。初めて酒場に行ったからだろうか。
メイランが笑わせてくれたので、やっと一息つけたような気がした。
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翌朝。
メイランの予想よりはだいぶ遅い時間に、ゲルハルトはやってきた。
シルリネアとメイランは朝食を終え、出かける準備もすっかり整っている。
「待たせたかな」
ゲルハルトは謹厳さを保ちつつ、穏やかに言った。
メイランが見る限り、ゲルハルトの足取りに不安はなかった。右腕を失っているだけで、それ以外の身体機能は極めて健全に見える。頭脳も明晰だろう。
「いえ、俺たちが勝手に楽しみにしてただけなので」
そう言ってメイランは笑い、シルリネアはその横で会釈をした。
「今日はお世話になります」
「では参ろうか」
ゲルハルトが歩き出す。徒歩だ。メイランは少し驚いた。地位の高い人は馬車を使うものなのに、この人は足を使っている。
馬車のような目立つものを使いたくないのか、それとも足腰の衰えを防ぎたいのか……。6:4ぐらいかな、とメイランは自分勝手に決めつけた。
一方のシルリネアは、大人しく歩いていた。彼女の背中を守る都合もあって、メイランはシルリネアの後ろにいる。そのおかげで、陽光に輝く彼女の美しい金髪を、思う存分楽しむことができた。
******
ゲルハルトは、やや富裕な人たちの住まう区画にやってきた。
使用人を数人抱えられるようになった商人などが、主な住人だろうか。宮廷魔術師や近衛騎士団副団長といった、輝かしい経歴を持つ人が住まうには、質素な趣だ。
とある家の扉を叩くと、使用人が姿を見せた。使用人はゲルハルトの姿を見ると、用向きを聞くことさえなく、家の中に招き入れる。
ゲルハルトは迷うことなく二階にあがり、奥まった場所にある部屋の扉を叩いた。
「ヴェンツェル殿、私だ、入るぞ」
「……どうぞ」
ゲルハルトの声に応じて、扉の向こう側からくぐもった声が返ってきた。扉を開けて中に入ると、どうやら書斎のようだった。
この部屋の主は、書き物をしていたようだ。今は机から顔をあげて、こちらを見ている。
まだ若い男性だ。30歳にはなっていない。メイランと同年代だろうか。琥珀色の理知的な目に強い意志の力を宿し、波打つ赤褐色の髪が、柔らかく温かい雰囲気を添えていた。
故郷を滅ぼされ復讐を誓うと、皆こういう顔つきになるんだろうか。メイランは漠然と考えた。ヴェンツェルと呼ばれた青年とゲルハルト、そしてシルリネア。すべての目が、強く揺らぎのない意志に満ちている。
強すぎ、揺らがなさすぎて、危うささえ感じる程に。
「あなた方が、ゲルハルト卿の言っていた方々ですね。はじめまして、ヴェンツェルと申します。アステリア王国では、宮廷魔術師の末席におりました」
「はじめまして、メイランです。あなたと話ができるのは、俺じゃなくて彼女です。後は彼女と話してください」
メイランはそう言って一歩引き、シルリネアを前に押し出した。
シルリネアは覚悟を決めるように一度だけ深呼吸をしてから、話しはじめた。
ぎゅっと握られた拳が、小さく震えている。
「はじめまして、シルリネアといいます。故郷の村を、月白色の髪をした少年の魔法使いに滅ぼされました。アステリア王国がどうやって滅んだのか、教えていただけませんか? 私の村を滅ぼした魔法使いと、同一人物ではありませんか?」
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月白色の子犬が、どこか暗い場所でうずくまり、クスクスと笑っている。
笑うたび、首に食い込んだ真紅の首輪が震えた。
「主様の蒔いた種が芽吹いてきた」
不意に立ち上がり、踊るように跳ねる。
「嬉しいな、嬉しいね、殺してもらえるかな、良かったね」
耳と尾、四肢にある飾り毛がふわふわ揺れた。
不意にピタリと止まる。今まで踊り跳ねていた反動を感じさせない、唐突な静止だ。
「……ああそうだ、挨拶に行かなきゃ。兄様にも会いたいな」
子犬の姿が歪み、4、5歳ほどの男児の姿に変化した。
月白色の髪と褪紅色の瞳を持つ、やせこけた男児だ。首には赤い布製の首飾りがきつく巻かれており、子犬の赤い首輪を彷彿とさせた。
一糸まとわぬ姿の男児は、自分の姿を丹念に眺めてから、満足そうに頷いた。
「服は……これでいいよね。主様からいただいたんだから」
どこからともなく取り出されたのは、ボロボロの布だった。元は豪奢な服だったのか、部分的に立派な刺繍や装飾が残っている。しかし今や汚れて擦り切れ、ほつれすぎて穴もあき、ボロ布にしか見えない。
男児はその布を、いかにも大切そうな様子で体に巻き付けた。浮浪児よりもなお酷い有様なのに、世界で一番大切なものを身に着けているような、誇らしげな顔をしている。
「楽しみだな。兄様、どんな顔をするんだろう」
そう言ったきり、男児の姿は煙のように消えた。




