表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
many merry bad ENDs  作者: 源泉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/85

62話-1(分岐バッドエンド)

※この先は分岐となります。

物語の本筋を追う場合は、63話へ。



黒髪の男が出ていき、扉は閉まった。

けれど、鍵の音はしなかった。


それでもフィアは外へ出られず、部屋の隅に身を寄せるようにして座っていた。

机の上には男の短剣があり、床には手をつけられないままの食べ物が入った袋がある。


扉も窓もあるのに、その先のどこへ向かえばいいのか分からなかった。


外からは、知らない街の声が聞こえている。

足音が行き交い、遠くで誰かが笑っている。

そのすべては確かに近くにあるのに、この部屋には届かない。


フィアは膝を抱えたまま、机の上の短剣を見た。


飾りのない、使い込まれた短剣だった。

鞘も柄も古く、黒ずんでいる。

武器というより、印のように見えた。


男は、誰かが来たらそれを見せろと言っていた。

見せれば守られるのかもしれない。


けれど何が守られるのか、フィアには分からなかった。

その短剣を持った瞬間、自分の立場が決まってしまう気がした。

誰かに預けられているのか、誰かのものになったのか、自分ではまだ分からないものを自分から認めてしまう気がした。


短剣が怖いわけではなかった。


怖かったのは、それを持ったあと何が変わるのか、自分に分からないことだった。


フィアは手を伸ばしかけて、途中で止めた。

そのとき、部屋の外で足音がした。


体が強張る。


最初は、黒い髪の男が戻ってきたのだと思った。


けれど、近づいてくる足音は違っていた。

軽く、隠そうともしていない。

あの男の足音のように、いつの間にか近づいてくるものではない。


階段が小さく軋んだ。


一段。

また一段。


フィアは短剣を見た。


誰かが来たら見せろ、と言われていた。

そう分かっているのに、手は動かなかった。


扉が軽く叩かれ、フィアが返事をする前に開いた。

入ってきたのは、見知らぬ男だった。


フィアは息を止める。


その男は、黒い髪の男とはまるで違っていた。

背は高すぎず、体つきも威圧的ではない。

服装は簡素で、旅人にも商人にも見える。


目元には柔らかい笑みがあり、部屋に入ると少し驚いたように眉を上げた。



「あれ、先客?」



声も穏やかだった。


扉を閉める動作もゆっくりで、乱暴なところは少しもない。

フィアは警戒しなければいけないと思いながら、ほんの少しだけ息がしやすくなるのを感じた。


黒い髪の男のような怖さがない。

普通の人に見えた。



「怖がらなくていいよ」



男の声が少し柔らかくなる。



「ここ、そういう場所だから」



そういう場所。


意味は分からなかった。

けれど、この男には分かっているのだと思った。


この部屋のことも、机の上の短剣のことも、自分がここにいる理由のようなものも。


今なら見せればいい。

フィアはそう思った。


けれど、机の上の短剣へ手を伸ばそうとすると、胸の奥が重くなる。

この短剣を出した瞬間、自分で自分の立場を決めてしまう気がした。


守られているのかもしれない。

けれど、その代わりに何になっているのかは、まだ分からない。


分からないものを、自分から認めるのが怖かった。


男は少しだけ部屋の中を見回した。


寝台。

壁際の木箱。

そして机の上に置かれた短剣へ視線が落ち、一瞬だけ笑みが薄くなった。


本当に、一瞬だけだった。


けれど、フィアには分かった。

確かに見ていた。

しかも、その短剣が何なのか、それだけで分かったような顔をしていた。


それなのに男は、何も言わなかった。

驚きもせず、誰のものかも聞かず、すぐにフィアへ視線を戻す。


まるで最初から、この部屋にあるものを全部知っていたみたいだった。



「……静かだね」



男は穏やかに笑った。



「一人?」



フィアは声が出なかった。

答えなかったのに、男は気にした様子もない。

少しだけ近づいて、困ったように首を傾げる。



「ねえ」



優しい声だった。



「誰の?」



フィアは答えられなかった。


短剣のことなのか、自分のことなのか、それともこの部屋に置かれているものすべてのことなのか、分からなかった。


男は首を傾げる。



「それ」



男の視線が、机の上へ流れた。



「持ち主、いる?」



フィアの唇が震えた。

自分を連れてきた、黒い髪の男の。


そう答えればいいのだと思った。

そうすれば、この人は離れるのかもしれない。


人のものには手を出さない決まりなのだと、黒髪の男も言っていた。


けれど、その言葉は喉の奥で止まった。


口にした瞬間、自分までそこに含まれてしまう気がした。


男は待っているように見えた。

けれど本当は、もう答えを待っていないようにも見えた。



「じゃあ、君は?」



穏やかな声が続く。



「君は、誰の?」



フィアは息を呑んだ。

違う、と言いたかった。


誰のものでもない、と言いたかった。


けれど、その言葉も出てこなかった。

誰のものでもないと言った瞬間、今度は本当に、自分を守るものが何もなくなってしまう気がした。


短剣を見せることもできない。

黒い髪の男のものだとも言えない。

誰のものでもないとも言えない。


だからフィアは、ただ黙っていた。


男はその沈黙を拾うように、小さく笑った。



「へえ」



最初と変わらない、優しい声だった。



「誰のものでもないんだ」



そのとき、フィアは遅れて理解した。


この人は助けてくれる人ではない。

こちらの言葉を待っていたわけでもない。


答えられない沈黙を、自分に都合よく受け取る人だった。


男が一歩近づいたとき、フィアはようやく短剣に手を伸ばそうとした。


けれど、遅かった。


男は短剣を取らなかった。

触れもしなかった。

机の上に置いたまま、フィアの手首を軽く押さえる。


強くはない。

痛くもない。


それでも、動けなかった。



「誰のものでもないなら」



優しい声が言った。



「持っていっても、怒られないよね」



フィアは首を振ろうとした。

声を出そうとした。

けれど、何も間に合わなかった。


机の上には、短剣だけが残った。


男のものだと分かるはずのもの。

見せろと言われていたもの。

見せなかったもの。


扉は開いていた。

鍵は、最後までかからなかった。


部屋の外から、別の男たちの声が聞こえた。



「何だ、それ」



フィアの手首を押さえた男が、いつもの穏やかな声で答える。



「誰のものでもないって」



それから、少しだけ笑った。



「なら、拾ってもいいだろ」



机の上の短剣だけが、最後までそこに残っていた。


bad end.

誰のものでもないなら

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ