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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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80/83

59話-1(分岐バッドエンド)

※この先は分岐となります。

物語の本筋を追う場合は、60話へ。


フィアは、人通りの多い方へ足を向けた。


右手の大通りには、屋台が並び、荷馬車が行き交い、客の声が絶えず重なっていた。

人がいる。

たくさんいる。


ここなら、一人ではない。


そう思いたかった。


誰かが見てくれるかもしれない。

声を上げれば、足を止めてくれるかもしれない。

あの男たちも、これだけ人がいる場所では乱暴なことはできないかもしれない。


フィアはフードの端を握りしめ、流れの中へ入った。


けれど、大通りは思っていたよりもずっと歩きにくかった。


前から来る荷運びの男を避ける。

横から子どもが駆け抜ける。

屋台の前に集まった客が急に立ち止まり、フィアの行く手を塞ぐ。


人が多い。

だから、紛れられるはずだった。


なのに、足は何度も止まりかけた。


誰かの肩にぶつかり、荷籠に裾を引っかけそうになり、屋台の台に手をつきかける。

謝ろうとしても声が出ない。

顔を上げれば、誰かと目が合ってしまいそうで怖い。


それでも、ここなら。


ここなら、助けてもらえるかもしれない。


そう思った時だった。


肩を、後ろから掴まれた。



「っ……!」



短い悲鳴が漏れる。


布越しに沈む指の重さ。

逃げ道を塞ぐような力。


フィアは反射的に振り向いた。


そこにいたのは、あの大柄な男だった。

宿の部屋に入り込んできた男。

低い声で「聖女様」と呼んだ男。


その少し後ろに、痩せぎすの男もいた。

帽子の陰から覗く細い目が、楽しそうに細められている。



「やめて」



声が震えた。



「来ないで……!」



フィアは男の手から逃れようと身を捩る。

けれど、大柄な男の手は離れない。



「誰か!」



今度は、声を張り上げた。



「誰か、助けて!」



人の流れが、ほんの少し揺らいだ。


近くにいた客が振り返る。

屋台の店主が手を止める。

通りかかった女が、心配そうにこちらを見た。


見ている。


誰かが、見ている。


フィアは必死に息を吸った。



「この人たち、知らない人なの。私、追われて――」


「すみませんね」



大柄な男が、フィアの言葉を遮った。


その声は、さっきまでとはまるで違っていた。


低く押さえつけるような声ではない。

人前で困ったように笑う、気のいい男の声だった。



「うちの連れが、少し取り乱してまして」



フィアの体が強張る。


違う。

違うのに。


男は肩を掴んだまま、通行人へ向けて頭を下げた。



「昨日から熱があってね。少し目を離したら飛び出してしまって」


「違う……!」



フィアは首を振る。



「違います、この人たちは――」


「すみません」



今度は痩せた男が、近くの屋台の店主へ丁寧に頭を下げた。


細い声は、驚くほど穏やかだった。



「叱られたと思って、怖くなったようで。こちらで連れて戻ります」


「違う!」



フィアは叫んだ。

叫んだはずだった。


けれど、その声は震えていた。

喉が詰まり、息が乱れ、言葉の形が崩れていく。



「私は、この人たちを知らな……っ」


「ほら、落ち着きなさい」



大柄な男が、困ったように笑う。



「また皆さんに迷惑をかけるつもりか」



その言い方は、あまりにも自然だった。


まるで本当に、手のかかる連れを宥めているようだった。

まるでフィアが、叱られて逃げ出しただけの女であるかのようだった。


周囲の視線が、迷い始める。


さっきまで心配そうだった女も、少しだけ足を止めたまま、男たちとフィアを見比べている。

屋台の店主は眉を寄せたが、深く踏み込むほどではないという顔をしていた。



「本当に、大丈夫なのかい?」



女が、おずおずと訊いた。


フィアはその声に顔を上げた。


助けて。

そう言えばいい。


今なら。

この人なら。



「たすけ――」


「ご心配なく」



痩せた男が、フィアより先に言った。



「人が多い場所に出ると、少し混乱することがあるんです。宿の方にも話は通しています」



宿。


その言葉に、フィアの胸が冷えた。


この人の良さそうな顔で、宿の主人から部屋番を聞き出したのかもしれない。

宿帳を盗み見たのではなく、誰にも疑われずに、あの部屋の前まで来られたのだとしたら。



「違う……」



フィアは絞り出すように言う。



「違うの……」


「何が違うんだい」



近くの誰かが呟いた。


責める声ではなかった。

ただ、不思議そうな声だった。


それなのに、フィアの喉は凍りついた。


何が違うのか。

どう説明すればいいのか。


教会から逃げていること。

司教の元へ連れ戻されそうになっていること。

聖女と呼ばれていること。

シリウスとルカが今ここにいないこと。


言えることが、何ひとつなかった。


説明しようとすればするほど、言えないことばかりが喉に詰まる。



「私は……」



声が掠れる。



「私は、ただ……」


「ほら」



大柄な男が、周囲へ苦笑して見せた。



「この通りでね。何を聞いても、うまく答えられないんです」



周囲の人々の顔が、少しずつ変わっていく。


心配から、困惑へ。

困惑から、関わらない方がいいという空気へ。


誰も、はっきりとフィアを責めてはいない。


けれど、誰も手を伸ばさなかった。


フィアは大柄な男の手を振りほどこうとした。

肩に痛みが走る。

逃げようと一歩踏み出すが、人の流れに押し戻される。


誰かの肩。

荷籠。

屋台の台。

並んだ客の背中。


人が多い。

だから、逃げられない。


人が多い。

だから、誰も自分だけを見てくれない。



「やめて……」



フィアの声は、小さくなっていた。



「お願い、離して……」


「大丈夫です」



痩せた男が、通行人へ向けてまた頭を下げる。



「こちらで連れていきますので」



その声は、どこまでも丁寧だった。


そして次の瞬間、フィアの耳元にだけ届くほど近くで、囁いた。



「声を上げてもいいが」



細い声が、笑う。



「聖女様とは言えないだろう」



フィアの息が止まった。


周囲には聞こえていない。

誰も反応しない。


今の声は、フィアだけに向けられていた。


人前の顔。

耳元の声。


その二つを使い分けることに、男たちは慣れている。



「……っ」



フィアはもう一度、助けを求めようとした。


けれど、口を開いても声にならなかった。


聖女だと言えない。

追われている理由を言えない。

この男たちが何者なのかも、証明できない。


何も言えない自分だけが、震えている。


大柄な男は、フィアの肩を押さえたまま、周囲へ愛想よく笑った。



「すみませんねえ、朝から騒がせて」


「お大事に」



誰かが、そう言った。

その声に、フィアは絶望した。


悪意はなかった。

きっと、本当にそう思っただけなのだろう。


お大事に。


その一言で、フィアは男たちの側へ押し戻された。


痩せた男が、フィアの腕を取る。

今度は人前だから、乱暴ではない。

けれど、逃げられない位置を正確に押さえていた。



「行くぞ」



大柄な男が低く言った。

けれど、次に周囲へ向けた顔は穏やかだった。



「皆さん、お騒がせしました」



フィアは周囲を見た。


誰かは見ている。

確かに見ている。


けれど、誰も助けてくれない。


男たちの説明を否定できるほど、誰もフィアを知らない。

フィアの震えを信じてくれるほど、誰もこの場に踏み込まない。


人の波はすぐに元へ戻っていく。

屋台の店主は釣り銭を渡し、荷馬車は石畳を鳴らし、通行人たちはまたそれぞれの行き先へ歩き出す。


ほんの少し止まっただけだった。

フィアのために止まった世界は、すぐに何事もなかったように動き出した。



「いや……」



声は届かない。



「いや、行きたくない……」



大柄な男が、フィアの耳元で低く笑った。



「残念だったな」



その声だけは、もう人前用ではなかった。



「誰も、お前の話を聞きたがらない」



痩せた男が、反対側から支えるように腕を取る。



「助けてくれる人が多い場所を選んだつもりだったか」



フィアは答えられなかった。


足が動かない。

けれど、男たちに挟まれると、体は勝手に前へ運ばれていく。


人の流れの中を、三人は進んだ。


周囲から見れば、きっとそれは何でもない光景だった。


体調を崩した連れを、二人の男が支えて歩いている。

少し取り乱した女を、身内が宥めて連れ戻している。


それだけに見えたのだろう。


誰も止めなかった。

誰も追わなかった。

誰も、フィアの名を呼ばなかった。


シリウスも。

ルカも。


この大通りにはいなかった。


人は、こんなにたくさんいるのに。


フィアは、人の中で一人だった。


bad end.

人の中の孤独

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