表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
many merry bad ENDs  作者: 源泉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/73

54話-1(分岐バッドエンド)

※この先は分岐となります。

物語の本筋を追う場合は、55話へ。




街に入る門まで、あと数歩だった。


門の向こうから、途切れない喧騒が押し寄せてくる。


荷馬車の車輪が石を噛む音に、門番の問いかけが重なり、

それに応じる旅人の声の隙間を縫うように、呼び込みや笑い声が入り込んでくる。


そのすべてが、すぐ目の前にある。



けれどフィアは、門の向こうではなく、シリウスの横顔を見ていた。


張り詰めた目。

強く握られた手綱。

いつでも前へ出られるように整えられた姿勢。


街に入ると決めたのは、自分だ。


けれど、その選択が彼を苦しめているように見えた。

自分が行きたいと言ったから。

自分が頷いたから。

だからシリウスは、また苦しさを飲み込んでいる。


そう思った瞬間、足が止まった。



「……やっぱり、行けない」



小さな声だった。

シリウスが振り返る。



「フィア様?」



大通りの喧騒も、荷馬車の音も、人の波も、その一瞬だけ遠くなった。


フィアは門を見なかった。

シリウスの顔だけを見ていた。



「シリウス、私が行きたいって言ったから、無理してる」


「違います」



返答はすぐだった。

少し強すぎるほどに。


けれど、その強ささえ、フィアにはさらに無理をしているように見えてしまう。



「違わない」



声が震える。



「私、また選んだふりをして、誰かに背負わせてる」


「それは違います」



シリウスの声が低くなる。



「あなたの選択を、私が負担だと思うことはありません」


「でも」


「ありません」



強く言い切られても、フィアの胸の中にある迷いは消えなかった。

むしろ、その即答の速さが痛かった。


シリウスは、いつもそうだ。

自分の苦しさを苦しさとして数えない。

フィアの前では、それを当然のように飲み込んでしまう。


そのことが、フィアにはたまらなく苦しかった。


ルカの表情から、いつもの軽さが消えた。



「フィア、それは違うよ」



声は低い。

普段のような冗談の余地がない。



「それに、今ここで止まるのは……君が思ってるより危ない」



フィアがルカを見る。


ルカは周囲を一度だけ見た。

門へ向かう人の列。

進む荷馬車。

足を止める者に向けられる、ほんの一瞬の視線。



「ここで列を外れる方が目立つよ」



その言葉に、シリウスの目が鋭くなる。


街門の前では、荷馬車の列がゆっくりと進んでいた。


一台が軋みながら前へ出て、三人の間に一瞬だけ流れを作る。

門番が何かを問い、別の旅人が横から割り込む。

馬が鼻を鳴らし、手綱が引かれ、誰かの荷がフィアの視界をかすめた。



シリウスは周囲を確認するため、半歩前へ出た。


ほんの半歩。

それだけだった。


彼がフィアを置き去りにしたわけではない。

目を離したわけでもない。

ただ、危険を探すために、いつものように前へ出ただけだった。


ルカは馬の手綱を押さえ直し、荷が人にぶつからないように身を捻る。



「少し詰めろ!馬車が通るぞ!」



門番の声が飛ぶ。


人の流れが押し寄せ、荷馬車の影が一瞬だけ伸びた。

旅人の肩と馬の首が、フィアと二人の間を細く遮る。


二人とも、フィアから目を離したつもりはなかった。



それでも――


ほんの一瞬だった。



フィアの肩に、後ろから手が置かれた。


重い手だった。


掴む、というより、逃げ道を確かめるような触れ方。

指が布越しに沈み、肩の骨の位置を確かめるようにゆっくりと力を込めてくる。



「……っ」



息が詰まる。


声を出そうとしたはずなのに、喉が先に閉じた。



「ああ、よかった」



耳元で、低い声がした。



「門に入る前で助かった。中じゃさすがに面倒だったからな」



フィアの呼吸が止まる。


知らない声だった。

少なくとも、覚えのある声ではない。


それなのに、身体が先に怯えた。

声の意味よりも、肩に置かれた手の重さが怖かった。

逃げ道を塞がれていることを、身体の方が理解してしまう。



「二人とも随分と服装が変わっていたから、探しにくかったなぁ」



大柄な男が、背後にいた。


獣のような体躯だった。

布越しにも分かる厚い肩。

フィアの肩に置かれた手は、人を押さえることに慣れた重さをしている。



「まあ、それでも隠しきれてはなかったけどな」


その少し後ろで、もうひとつの影が揺れた。


痩せぎすの男だった。

骨ばった輪郭が、人波の影に溶けている。

細い指が帽子の縁に触れ、口元だけがゆっくりと歪む。


振り返るより早く、乾いた笑い声がした。



「まったくだ」



細い声だった。

耳の奥を引っかくような声。



「あと少しで面倒になるところだった」



シリウスが振り向く。

その顔が、わずかに歪んだ。



「……お前たち」



声に、聞き覚えがあった。


教会から逃げ出したあの夜。

森の奥の礼拝堂で。

眠るフィアを追ってきた、あの二人。


フィアは知らない。

あの時、彼女は目を閉じていた。


だがシリウスは覚えている。

大柄な男の低い声も、痩せた男の乾いた笑い声も。


教会に雇われた密偵。

あるいは、それに近い何か。


シリウスの指が剣の柄へ動く。


だが、その一瞬で大柄な男の手がフィアの肩にさらに沈んだ。



「おっと」



男が笑う。



「動くなよ、騎士様」



その呼び方に、シリウスの瞳が冷える。



「手を離せ」


「怖い顔だ」



痩せた男が、帽子の陰で口元だけを歪めた。



「でも、ここで騒ぐのは困るだろう? 聖女様が目立つ」



フィアの肩が震えた。



聖女様。


その呼び方が、嫌だった。

丁寧なはずなのに、そこには敬意などなかった。


人として呼ばれていない。

価値のある荷物を見つけた時のような声だった。


ルカも同時に顔を上げていた。

その呼び方と、シリウスの反応で理解した。


――追ってきた連中だ。


いつもの軽さは、もうどこにもなかった。



「……離した方がいいよ」



低い声だった。



「その手、後悔することになる」



大柄な男はルカを一瞥し、鼻で笑った。



「お前は誰だ?」


「通りすがり」


「なら、通り過ぎろ」



ルカの琥珀の瞳が細くなる。


けれど動けない。

動けば、男の手がフィアに何をするか分からない。

人が多すぎる。

門番も、旅人も、荷馬車も、すべてが邪魔だった。


大柄な男がフィアの肩を押さえたまま、低く笑った。



「このまま司教様の嫁にするなんて、勿体ないな」



フィアの身体が固まる。


司教。


その単語だけで、胸の奥が冷える。



「なあ、少し遊んでから帰ろうか」



痩せた男が、帽子の陰で口元だけを歪める。



「聖女様も、長旅で退屈しているだろうしな」


「黙れ」



シリウスの声が落ちた。


怒鳴ったわけではない。

けれど、その一言で空気が変わった。


冷えた刃のような声だった。



「その口を閉じろ」



痩せた男は笑った。



「おお、怖い」


「手を離せ」


「離さなかったら、どうする?」



シリウスは答えなかった。

答える代わりに、一歩踏み込もうとする。


だが、荷馬車がちょうど門へ向かって動いた。

馬が横へずれ、旅人が二人の間を塞ぐ。

門番が怒鳴り、誰かが振り返る。

そのすべてが、ほんの一瞬だけ、フィアと二人の間に壁を作った。


大柄な男は、その一瞬を逃さなかった。

フィアの身体が後ろへ引かれる。



「っ……」



足がもつれる。

布の端が引っかかる。

人の肩が視界を横切る。


フィアは声を出そうとした。

けれど、喉が凍りついたように動かない。


シリウスが叫んだ。



「フィア様!」



ルカも手を伸ばす。



「フィア!」



二人の声が、確かに聞こえた。

すぐそこにいるはずだった。

手を伸ばせば届く距離だったはずだった。


それなのに、その距離がひどく遠い。


ほんの一瞬。

ほんの半歩。


それだけで、届かなくなった。


それだけで、彼女は人波の外側へ引き戻された。

強く掴まれた肩が痛み、声が詰まる。

踏み出そうとした足は、石畳を滑るだけだった。


街の中へ入っていく人々は、誰も振り返らなかった。


そこでは、誰かが立ち止まることなど珍しくない。

誰かが連れて行かれても、流れは止まらない。


門の向こうでは、人々が笑っていた。

誰かが値段を叫び、馬車が進み、門番が次の旅人を通している。


そのすぐ外側で、フィアの名前を呼ぶ声だけが、人波に呑まれて消えた。



bad end.

迷いの代償

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ