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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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53話

翌朝、馬車宿を出る支度を整えたところで、ルカが口を開いた。



「このままだと、そのうち何か足りなくなるね」



声の調子は軽い。

だが、その軽さの奥にある温度は、さすがに見過ごせなかった。


宿の裏手では、昨夜の湿気を含んだ空気がまだ少しだけ残っていた。

厩舎からは干し草と獣の匂いが漂い、鎖の擦れる音に混じって、馬が小さく鼻を鳴らす。

空は明るかった。

晴れているのに、朝の光はどこか冷たく見える。


ルカは鞍の留め具を確かめながら、わざと大したことではないように続けた。



「服も傷んできてるし、薬も減ってるし。細かいものも、そろそろ足りなくなるよ。

今はまだ誤魔化せてるけど、このまま小さい村だけ繋いでいくのは厳しい」



誰に向けたとも言えない言い方だった。

それでも、シリウスもフィアも、その意味をきちんと受け取っているのが分かった。


逃げることはできる。

けれど、旅を続ける準備はできていない。

荷は少なく、服は消耗し、日用品も薬も心もとない。

今はまだ持ちこたえているだけだ。

成り行きのまま進み続けるには、どこかで立て直しがいる。


シリウスはすぐには答えなかった。

馬の手綱を握ったまま、少しだけ視線を落とす。

否定はしない。

だが、賛成も急がない。


フィアもまた、視線を足元へ落としていた。

朝のうちに結び直した布の端を、指先が小さくいじる。

自分たちがまだ逃げている“だけ”なのだと、ようやく輪郭を持って見えてしまったようだった。


ルカはそれ以上言葉を重ねなかった。

重ねれば説得になる。

説得の形にしてしまうと、シリウスは余計に身構える。


だから一度だけ馬の首筋を撫で、それから自分の馬の鐙へ足をかけかけて、ふと止めた。


隠しているつもりなのに、隠すほど見られている気がする。


シリウスのルカに対する視線は、この数日で確実に変わっていた。

鋭い、というだけでは足りない。

あの男はもう、何かを数えはじめている。

だが、その矛先はまだ自分の正体そのものには届いていない。


もっと手前にあるもの。

フィアに対する、ルカの感情の方だ。


そこまで見えているのかと思うと、妙に息苦しくなる。

見抜かれたくはない。

だが、誤魔化しきれないことも、自分で分かっていた。


フィアが困れば、先に気づいてしまう。

手を貸す前に一度立ち止まるべきだと分かっていても、その前に身体が動く。

そういうものが、もう隠せなくなっている。


同時に、シリウスはどうなのだろう、とルカは思う。

あの男は、本当にただの守護騎士のままなのか。

フィアを守るという形の奥に、それ以外のものは少しもないのか。

もし本当に何もないのなら、あそこまで静かに苛立ったりはしないはずだ。


それに――本来なら。


行き先は、もう少し別の形で決まっていたはずだった。

こんなふうに街道の宿で荷の不足を数えながら、先の候補を並べるような旅ではない。

ルカはもっと確実に、もっと遠回りのない形で、自分の国の側へ近づけるつもりでいた。


ここで足を止めている余裕は、本当はない。

誰かに遅れを取るわけにはいかない、という焦りが、胸の奥で絶えず小さく燻っている。

決めきれないこと自体が、すでに想定外だった。


だが今は、それをそのまま選びきれない。

それを、そのまま認めてしまうのが怖かった。


ルカは小さく息を吐き、いつもの軽い顔を作り直した。


三人は再び街道を進みはじめた。


朝の空気はまだ乾ききらず、草の先に残った露が光を弾いている。

街道には早くもいくつかの荷馬車が出ていて、追い越しざまに車輪が小石を跳ね上げた。

道端の土は轍の形に削られ、人と馬と車の重みで固く踏みしめられている。

旅人の行き交う道には、静けさとは別の気配があった。

誰もがどこかへ向かっている。

その流れの中に紛れて進むことに、シリウスはまだ慣れきっていないようだった。



「大きめの街に入った方がいいと思う」



ルカは前を向いたまま言う。



「補給だけじゃなくて、情報も拾えるし、服も道具も揃う」



シリウスはしばらく黙っていた。

馬の歩調に合わせて揺れる銀の髪が、朝の光を受けて鈍く光る。

旅人の服を着ていても、その立ち方だけはやはり騎士のものだった。

背を抜きすぎず、だがいつでも前へ出られる形で保っている。

守るための姿勢が、もう身体に染みついているのだろう。



「大きい街は、それだけ目立つ危険も増える」



ようやく出た言葉は、やはり慎重だった。



「分かってる」



ルカはすぐに返す。



「でも、危険だから行かない、だけじゃ済まなくなってるのも事実でしょ」



シリウスはそれに反論しなかった。

理屈としては理解しているのだ。

危険が消えたわけではない。

だが、危険を避けるだけで旅が続くわけでもない。


その沈黙を破ったのは、フィアだった。



「……ルカ」



ルカが振り向くと、フィアは少しだけ俯いていた。

馬上で揺れる身体はまだどこか頼りない。


けれど声は、思ったよりはっきりしていた。



「私、ルカのこと、巻き込んでる」



ルカは冗談で返そうとして、やめた。

この数日で、それを軽く流すことの限界も分かってきている。


フィアは言葉を探しながら、続ける。



「シリウスも……私も、こういう旅に慣れてるわけじゃない。ルカに助けられてる。

たぶん、私が気づかないことも、たくさんしてくれてる」



言いながら、青碧の瞳がわずかに伏せられる。

そこにあるのは感謝だけではない。

助けられていることを認めるほど、相手を縛っている気がしてしまう――そんな痛みが見えた。



「だからもう、ありがとうやごめんって言うだけじゃ、足りない」



ルカもシリウスも黙って聞いている。

馬の蹄が土を打つ音だけが続く。


フィアは少しだけ息を吸った。



「このまま、何も決めないまま進むのは……嫌」



声は小さい。

けれど、それは確かに“選ぶ側”の言葉だった。


シリウスがそちらを見る。

ルカも同じだった。


フィアは二人の視線を受けながら、それでも続ける。



「大きな街なら、いろんな場所に繋がってる。これからの道を決めるためにも、そこへ行きたい」



それは、ただルカの意見に乗ったわけではない。

自分で考えて、自分で頷こうとしている言葉だった。


そして、その中には別の意味もあった。

大きな街へ行けば、道は増える。

選択肢も増える。

それは、この旅を続ける道だけではなく、そこで別れる可能性さえ含んでいる。


だからこそ、その言葉は少し重かった。


ルカはそれを理解し、シリウスもまた理解した。

どちらも口には出さず、数秒の沈黙だけが流れた。


最初に口を開いたのはシリウスだった。



「……理屈は分かります」



視線は前を向いたまま。

声は静かで硬い。



「補給も、今後の整理も必要です。ただ、大きな街に入るなら、それなりの警戒は必要になる」



それは譲歩だった。

全面的な賛成ではない。

だが、危険を理由に止まるだけではいられないことを認めた言い方だった。


ルカは軽く頷く。



「じゃあ、条件を絞ろうか」



そこからは、ようやく本当に“相談”らしい形になった。


ルカはいくつかの街の候補を挙げる。

交易が盛んな場所。

旅人が多く、宿も市場も揃っている場所。

街道の要所で、物資は集まりやすいが監視もありそうな場所。

逆に少し外れていて、人は多いが滞在しやすそうな場所。


シリウスは安全面から見て危うい場所を消していく。

目立ちすぎる場所。

教会の手が届きやすそうな場所。

逃げ道が少ない場所。


フィアは二人のやり取りを聞きながら、黙って考えていた。

ただ従うのではなく、自分でも頷ける場所を探しているのが分かる。


最終的に、三人が選んだのは、旅人の多い少し大きな街だった。

街道の中継地で、物も人も集まる。

紛れるには都合がよく、補給にも困らない。

完全に安全とは言えないが、今の三人にとっては現実的な落としどころだった。


「……そこにしましょう」


シリウスがそう言う。

不安を消した声ではない。

だが、迷いの中でも一度決めたと分かる言い方だった。


フィアも、小さく頷く。



「うん」



その頷きは、誰かに決めてもらったものではなかった。

自分で選んだ、とまではまだ言えなくても、自分で同意した重みはある。


ルカは表向き穏やかにそれを受けた。



「じゃあ、当面の目的地はそこだね」



軽い調子のまま言いながら、心の奥では別の感覚が静かに残る。


本来なら、もっと別の場所へ連れていくつもりだった。

もっと確実に、もっと逃げ場の少ない方へ。

それでも今、自分はこの“遠回り”を選んでいる。


その選択自体が、すでに想定外だった。


街の名が初めて言葉になった時、三人は一瞬だけ同じ方向を向いたように見えた。


まだ未来は遠い。

不安も、疑いも、答えの出ない感情も、何ひとつ片づいてはいない。

それでも少なくとも、“向かう先”だけはできた。


ただひとり、ルカだけはその言葉の裏に別の行き先をまだ隠している。

それでも今は、そのことを口にするつもりはなかった。

口にした瞬間、きっとすべてが変わる。


だからルカは馬上で小さく息を吐き、前を向く。


遠く、街道の先にまだ見えない街を思い描きながら、三人は同じ道を進んでいった。

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