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many merry bad ENDs 聖女がたどる結末たち  作者: 源泉


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93話 隠せなかった顔 中編

ルカの声に応じて町の人々が動き始めたことで、通りの状況は一変していた。


馬車の逃げ道を塞がれた男たちの何人かがそちらへ気を取られ、シリウスの前を塞いでいた人数も減っていた。


その一瞬を、シリウスは逃さなかった。


目の前に残っていた男の剣を弾き、その身体を押し退ける。

崩れた木箱の脇を抜けると、そのままフィアのもとまで一気に距離を詰めた。



「その手を離してください」



フィアの背後から、聞き慣れた声が響いた。

振り返るより早く、彼女を掴んでいた男の腕が強く引かれる。



「ぐっ……!」



男が呻き声を上げた。


そこにいたのはシリウスだった。


彼の足元には、つい先ほどまで道を塞いでいた男が倒れている。

銀色の髪が乱れていたが、呼吸は落ち着いており、剣を握る手にも迷いはなかった。



「シリウス……!」



フィアが名前を呼ぶと、シリウスは短く頷いた。



「お待たせしました、フィア様」



シリウスは男の手首を掴んだまま、低く告げた。



「すぐに離させます」



男はフィアの腕を離さないまま、もう片方の手で剣を抜こうとした。


しかし、それより早くシリウスが動いた。


掴んでいた手首を捻り上げ、男の身体をフィアから引き離す。



「い、痛い! 離せ!」


「先に離していただくのは、そちらです」



男の手が緩み、フィアの腕が自由になった。

その瞬間、フィアは自分からシリウスへ身を寄せた。



「……シリウス」


「はい。もう大丈夫です」



シリウスはフィアを背に庇いながら、残っている男たちへ剣を向けた。



「これ以上、フィア様に近づかないでください」



男たちは互いに顔を見合わせた。


すでに何人も倒され、馬車も動かせない。

しかも周囲には町の人々が集まり、誰も彼らを通そうとはしなかった。


それでも、男の一人が叫んだ。



「そいつは我々が連れ戻すべき人間だ!貴様こそ、その女をこちらへ渡せ!」


「お断りします」



シリウスは即座に答えた。


男が何か言い返そうとした時、ルカがフィアたちの方へ駆け寄ってきた。



「フィア、怪我は!?」



ルカは二人のそばで足を止めると、すぐにフィアの様子を確かめた。



「……大丈夫」


「腕を掴まれてたよね。痛くない?」


「少しだけ……でも、大丈夫だから」



フィアがそう答えると、ルカは彼女の手首に残った赤い跡を見た。


その表情が、わずかに険しくなる。



「……そう」



短く答えたルカは、すぐに男たちへ向き直った。



「もう彼女には触らせないよ」



その声を聞いて、シリウスもルカを見た。


先ほどの指示。

町の中の何人かが迷わず動いたこと。


そして、あの呼び方。

殿下。


シリウスには、思い当たることがあった。


以前から感じていた違和感が、ようやく一つに繋がった気がした。


だが、今は確かめる時ではない。

フィアが無事に戻ってきたことを優先すべきだった。



「ルカ、フィア様を頼む」



シリウスが言うと、ルカは頷いた。



「うん。でも、もう無理に戦わなくていい。向こうは逃げられないから」


「ああ、わかっている」



シリウスは剣を構えたまま、男たちの動きを見ていた。


ルカはフィアの隣に立ち、彼女の前へ出るようにして身を寄せた。



「フィア、もう少しだけ僕の後ろにいて」


「……うん」



フィアは小さく頷いた。

二人がそばにいる。


それだけで、ようやく呼吸が落ち着いてきた。



「……なあ、さっきあの金髪を殿下って呼んでいたな」



男たちの一人が呟いた。

それまでシリウスへ向けていた視線が、ゆっくりとルカへ移る。



「あの男が殿下と言ったな?」



ルカは何も答えなかった。


別の男が、道を塞いでいるシェルへ視線を向けた。



「おい!お前、あの男は何者なんだ!」



シェルは答えようとしなかった。

ルカも、男たちを見たまま黙っている。



「……そうなのか?」



男の顔色が変わった。



「まさか、報告にあった隣国の……?」



その言葉を聞いたフィアは、思わずルカを見上げた。


隣国。

さっきから聞こえている、殿下という呼び方。


それらがどういう意味なのか、少しずつ分かり始めていた。


けれど、ルカの口からはまだ何も語られていない。



「お前が王子だというのか!」



男が声を荒らげた。



「なぜ他国の王族が、我が国のフィア様と一緒にいる!」



周囲の人々がざわめいた。

ルカが否定も肯定もしないことで、さらに動揺が広まる。



「王子?」


「誰が?」


「今、あの金髪の兄ちゃんのことを言ってなかったか?」


「ルカさんが……?」



男たちの声を聞いていた商人たちも、困惑したようにルカを見ていた。


ルカは周囲へ一度だけ視線を向けたが、すぐに男たちへ戻した。



「君たちは教会から来たんだね」



男は答えなかった。

だが、その沈黙だけで十分だった。

ルカは小さく息を吐く。



「やっぱり」


「……我々は、必要な方をお連れしに来ただけだ」



男は胸を張って答えた。



「その銀髪の男がフィア様を連れて逃亡したという報告を受け、我々は捜索を続けていた。それが、まさか他国の王子まで関わっていたとは……!」



シリウスの目がわずかに細くなった。



「……フィア様のお名前を、気安く呼ばないでいただきたい」


「何だと?」


「あなた方にそのように呼ばれることを、フィア様は望んでいません」



男は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに顔を歪めた。



「彼女は我が国に必要な存在だ。勝手に国外へ連れ出すなど許されるはずがない!」


「それで、無理やり馬車へ押し込もうとしたの?」



ルカが静かに尋ねた。



「我々は保護しようとしただけだ!」


「本人が嫌がっていたように見えたけど」


「彼女には果たすべき役目がある!個人の希望でどうにかなる問題ではない!」



男の言葉に、フィアの指がわずかに震えた。


役目。


その言葉を、これまで何度聞いてきただろう。


教会にいた頃も、何かを拒もうとするたびに同じことを言われた。

自分がどうしたいかではなく、聖女として何をすべきか。


いつも、それが先だった。

シリウスはフィアの様子に気づくと、彼女の前へ一歩出た。



「フィア様は戻ることを望んでいません。これ以上の接触はお控えください」


「貴様がそれを言うのか、裏切り者め!」



男はシリウスを睨みつけた。



「守護騎士でありながら、その方を勝手に連れ出したのは貴様だろう!」


「そのことは承知しています」



シリウスは静かに答えた。



「だからといって、あなた方にフィア様を引き渡すつもりはありません」


「何だと……!」



男が一歩踏み出そうとしたところで、ルカが口を開いた。



「それ以上、近づかない方がいい」



低い声だった。



「君たちが何を命じられて来たのかは知らない。でも、今ここで彼女を連れていくことはできないよ」


「貴様……他国の王子が、我が国の教会に口出しするつもりか!」


「今はそれ以上争うつもりはないと言ってるんだ」



ルカは男を見据えた。



「君たちも、もう十分分かってるでしょ。これ以上続ければ、怪我人が増えるだけだよ」


「……っ!」



男は唇を噛んだ。


しばらく黙っていたが、やがて何かに気づいたように顔を上げた。



「そうか……貴様ら、最初からそのつもりだったのか」



ルカは答えなかった。



「彼女を国外へ持ち出すつもりなんだな!」



その声は、通りに集まっていた人々にもはっきりと聞こえた。



「他国の王族が我が国のものを連れ去ろうとしているとなれば、これはもう教会だけの問題ではないぞ!」



我が国のもの。

その言い方が、フィアの胸に小さく引っかかった。


男はルカを指差した。



「我が国の王家にも報告する!正式な抗議となれば、国同士の問題になることくらい分かっているんだろうな!」



通りが静まり返った。


さっきまで男たちを取り囲んでいた人々も、何も言わなくなっていた。


フィアには、その言葉が何を意味するのか、はっきりとは分からなかった。


けれど、自分を守ろうとしてくれたルカが、何か大きな問題に巻き込まれようとしていることだけは理解できた。



「……ルカ」



小さく名前を呼ぶと、ルカは一瞬だけフィアを見た。



「大丈夫」



それだけ告げて、再び男たちへ向き直る。



「報告するなら、そうすればいい」



ルカは落ち着いた声で続けた。



「ただし、これ以上彼女に手を出すことは認めない。今日はここから引いて」


「……貴様、自分が何をしているのか分かっているのか!」


「分かってるよ」


ルカは短く答えた。


「だから、今はこれ以上の争いを望んでいないんだ」



挑発するような口調ではなかった。


ただ、これ以上は譲らないという意思だけが、はっきりと伝わってきた。


男たちは互いに顔を見合わせた。


馬車は動かせず、仲間の何人かはすでに負傷している。

周囲には大勢の町の人々が集まり、今からフィアを連れ去ることなど到底できそうになかった。



「……覚えておけ」



男の一人が、ようやく口を開いた。



「このままでは済まないぞ。必ず報告させてもらう」


「うん」



ルカは頷いた。



「もう行っていいよ」



その返事が気に入らなかったのか、男は顔を歪めた。


しかし、それ以上何も言わず、倒れていた仲間へ肩を貸した。


ほかの男たちも、少しずつ通りの向こうへ下がっていく。



「おい、待てよ!」



町の男が声を上げた。



「こんなことしておいて、そのまま帰すのか!?」


「そうだ!とっ捕まえて役人に突き出した方がいいだろ!」



何人かが男たちを追おうとする。


シリウスも、まだ剣を収めずにその背中を見ていた。


だが、ルカが静かに言った。



「追わなくていい」



町の男たちが振り返った。



「でもよ、ルカさん!」


「ありがとう。でも、もう十分だよ。ここでまた争いになったら、みんなにも迷惑がかかるから」



ルカはそう説明すると、少し離れた場所にいるシェルへ視線を向けた。



「シェル。全員を下がらせろ」


「……承知しました」



シェルはすぐに周囲の男たちへ声をかけ、道を空けるよう指示した。


シリウスはルカを見た。



「ルカ、本当にこのまま行かせるか?」


「うん。少なくとも、今ここで追う必要はないよ」


「再びフィア様を狙う可能性がある」


「それは分かってる」



ルカは声を落とした。



「でも、今ここで教会の人間を追い詰めて、これ以上怪我をさせるわけにはいかない。まして、僕の指示で動いた人たちに何かさせたら、向こうに余計な口実を与えるだけだから」



シリウスは少し黙った。


男たちは、すでに教会へ報告すると宣言していた。


そこへさらに手を出せば、彼らの主張を補強することになる。


それは、シリウスにも理解できた。



「……分かった」



シリウスは剣を収めた。



「フィア様の安全を優先する」


「ありがとう、シリウス」



ルカはフィアの方へ向き直った。



「フィア、歩けそう?」


「……うん」


「怖かったよね。ごめん、もっと早く気づいていればよかった」



フィアは首を振った。



「ルカのせいじゃないよ……。助けてくれて、ありがとう」



ルカは少しだけ目を伏せた。

それから、普段のように柔らかく笑った。



「……うん。無事でよかった」



追っ手が去った後も、通りにはまだ大勢の人々が残っていた。



「なあ、さっき殿下って……」


「シェルさんが呼んでたよな?」


「じゃあ、ルカさんって……」



あちこちから戸惑った声が聞こえてくる。

事情を知らなかった者たちはルカを遠巻きに見つめ、反対に、最初から知っていたらしい者たちは気まずそうに視線を逸らしていた。


ルカはその視線を受け、小さく息を吐いた。



「……ああ、もう」



そこへシェルが近づいてきた。



「……申し訳ございません」



先ほどまでとは違う、どこか遠慮がちな声だった。


ルカは困ったように振り返った。



「シェル、もういいよ。いつも通りで」


「ですが……申し訳ありません。私があの場でお呼びしてしまったばかりに」


「あの状況だったんだから、仕方ないよ。それより、助かった。ありがとう」


「いえ……お役に立てたのであれば何よりです」



シェルはそう答えたが、まだ少し硬い表情をしていた。


ルカはその様子を見て、軽く肩をすくめた。



「そんな顔しないでよ。さっきまで普通に話してたじゃないか」


「それは、そうですが……」


「僕は別に、怒ってないよ」


「……分かりました」



シェルはようやく小さく笑った。



「今夜は気をつけてください。あの連中、すんなり諦めるとは思えません」


「うん。何かあったら頼らせてもらうよ」


「はい、いつでも」


「ありがとう、シェル」



ルカは頷いた。



二人がそう話している間、フィアは黙ってルカを見ていた。


さっきまで、シェルはルカの命令に従っていた。


迷うことなく、まるでそれが当然であるかのように。


けれど今は、町で再会した時と同じように親しげに話している。


同じ二人なのに、何かが違って見えた。


シェルが仕事へ戻っていくと、ルカもフィアたちの方へ戻ってきた。



「……さて、二人とも。もう宿に入ろうか」



いつもの声だった。


フィアはその顔を見上げた。


聞きたいことがあった。

さっきから、ずっと胸の中に残っていること。



「……ルカ」


「うん?」



フィアは少し迷ってから、静かに尋ねた。



「……殿下、なの?」



ルカの表情が止まった。

すぐには答えなかった。


フィアも、それ以上は何も言わず、返事を待った。


やがて、ルカは小さく息を吐いた。



「……うん」



否定しなかった。


そのことが、何よりもはっきりとした答えだった。


ルカは少し目を伏せてから、困ったように笑った。



「……ちゃんと、自分から話すつもりだったんだけどな」



その笑顔は、どこか悲しそうだった。


フィアは何も言えなかった。


今夜、話す。


ルカは確かにそう約束してくれていた。


だから、ずっと待っていた。


けれど、本人の口から聞くよりも先に、その一部を知ってしまった。


隣国の王子。


その言葉が、頭の中で繰り返される。


ルカが何かを隠していたことは分かっていた。


それでも、まさかそんな立場の人だとは思ってもいなかった。


ルカが何か言いかけた。

けれど、結局そのまま口を閉じた。


フィアもそれ以上の言葉は、まだ出てこなかった。


ルカを責めたいわけではなかった。

自分から話そうとしてくれていたことも、分かっている。


ただ、どう受け止めればいいのか、まだ整理できなかった。


シリウスは二人のやり取りを黙って見ていた。


驚きはなかった。


むしろ、これまで感じていた違和感がようやく確かなものになったようだった。



「ルカ」



シリウスが声をかける。



「まずは宿に入りましょう。フィア様もお疲れでしょうし、話は落ち着いてからでも遅くはない」


「……そうだね」



ルカは頷き、フィアへ目を向けた。



「フィア、ひとまず中に入ろう。落ち着いたら、ちゃんと話すから」



フィアも、小さく頷いた。



「……うん」



ルカが先に宿へ向かい、シリウスはフィアの歩幅に合わせて隣を歩いた。


フィアはその背中を見つめながら、少し前までの出来事を思い返していた。


自分に笑いかけてくれたルカ。


町の人々と親しげに話していたルカ。


シェルへ命令を下し、男たちの逃げ道を塞いだルカ。


そして、殿下と呼ばれたルカ。


どれも、同じ人だった。

けれど、自分はまだ、その全部を知らない。

そう思うと、胸の奥が落ち着かなかった。


三人は、夕暮れの喧騒が残る宿へ入っていった。



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